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第七話 『解剖授業(後編)』

2013-10-27

 耶美の性器観察タイムが始まった頃、虹輝はクラスメイトたちの輪から少し離れた場所に佇んでいた。壁際に寄せられた机に背を預け、体育座りしてぼんやりと狂乱の様子を眺めている。
 鮫島から、出席番号順に観察するよう言われているが、律儀にその馬鹿馬鹿しい言葉に従う義理もないだろう。自分の後ろの番号の級友に一言、順番を抜かしてもいいと言っておけば問題ない。本当は耶美のために、連絡の取れない姫乃を探しに行きたいところだが……さすがに教室を出ようとすれば鮫島に咎められるのは目に見えていた。
「ねぇ明石くん……。この戦争ってさ、一体どんな意味があるの?」
 呟くように問う。
 虹輝の右隣に、あぐらをかいて座っているのは士郎だ。彼もまた、性器観察には参加せず、つまらなさそうにあくびをしていた。
「そいつぁまた、哲学的な質問だな」
 腕を頭の後ろで組んで小さく笑う。
「女子に脱がされる前に、女子を脱がす。女子に恥をかかされる前に、女子を辱める。それが俺たち男子にとっての、男子女子戦争だろ? お前だって暮井を脱がした時は興奮したって言ってたじゃねぇか」
「それはそうだけど……」
 女子を罠に嵌め、裸にして写真を撮る行為は、確かに無上の征服欲を刺激してくれた。虹輝が嬉々としてそれに参加していたのは事実だ。けれども過激化の一途を辿る男子女子戦争に、最近はついていけなくなりつつあるのもまた、事実だった。
 プールでの凌辱劇。
 そしていま目の前で繰り広げられている解剖授業。
 たった一人の女の子を、クラス全員で寄ってたかって――しかも担任の教師まで加わって辱めるなど、常軌を逸しているだろう。みんな感覚が麻痺しているんだ。こんな事、本当なら許されるはずもない。
「……戦争に意味なんか無いさ」
 頭上から声が響いた。虹輝の左隣には、机の上に腰掛けるようにして、清司が佇んでいる。
「あるのは結果だけだ。『勝つ』か『負ける』か。現場レベルの兵士で言えば、『生きる』か『死ぬ』かだな。今ここで、甲守耶美は死んだ。そして姫乃派が桃香派に負けた。その結果があるだけだ。意味なんか無い」
「『勝つ』か『負ける』か……」
 話していると、人影が一つ、こちらに近づいてくるのが見えた。
 桃香だ。
 クラスメイトたちの性器観察タイムが始まったため、特等席を譲ったのだろう。暇を持て余しているらしかった。
「あーらお三人さん、どうしたのこんな所で? 耶美ちゃんの丸出しのアソコはちゃんと見てきたの?」
 さも愉快そうに士郎たちに声をかける。
「お前ほど悪趣味じゃないんでね。それに甲守はちょっと好みのタイプから外れてるんだよなぁ」
「俺はもともと女の裸になんか興味はない」
「めんどくさい連中ね……」
 桃香は体育座りしている虹輝も一瞥した。
「で? 犬飼くんはどうして見に行かないの? あたしにちょっとキツい事言われたから、遠慮してるわけ?」
「べ、別に……」
「そういう所が風見鶏って言ってんのよ」
「ご、ごめん……」
 虹輝が謝る必要など何も無いのだが、桃香の口調にはどことなく逆らい難い迫力があった。さすが女子軍サブリーダーだけのことはある。
 正直なところ、虹輝も女の子の性器を間近で観察したいとは思っていた。写真では不可能なくらい目を近づけて、ヒダの一つ一つを網膜に焼き付け、テレビ画面では伝わらない匂いを思う存分楽しみたい――そんな欲望が心の底から湧き上がるのを、抑えられる五年生の男子がどれほどいるだろうか。
 ただ、耶美と目が合ったらどうしようとの思いもあった。
 やっぱりちょっと気まずい。
 士郎派と姫乃派は同盟を結んでいるのだ。祢々子やみどりの裸を堪能できたのは、彼女らが男子軍と敵対する女子軍であるだけでなく、姫乃派と敵対する桃香派でもあったから。姫乃の親友の耶美に対して、本人の気持ちを無視して無理矢理性器を観察するなど、できるはずもなかった。そんな事をすれば、後で事情を知った姫乃は、必ずや虹輝の事を軽蔑するに違いない。彼女に嫌われたくはなかった。
 ん?
 姫乃が……軽蔑する? 嫌われたくない?
 虹輝が内心首を傾げる。
 どうして僕は――。
 姫乃さんに嫌われる事を、怖がっているんだろう?
「おいおい、そうウチの虹輝をいじめてやるなよ。甲守にしたって……そろそろ許してやったらどうだ?」
 虹輝と桃香の間に、士郎の言葉が割って入った。
「あそこまでいたぶれば十分だろ」
「失礼ね。まるで私が自分の趣味だけで耶美を虐めてるみたいな言い方じゃない?」
 桃香の発言に、士郎と清司と虹輝が口を揃えて言葉を返す。
「え? 趣味でやってるんじゃないのか?」
「どう見たって趣味だろ」
「趣味でやってるんだとばかり思ってた……」
「あんたたちねぇ……」
 言われてみれば、確かに趣味だけでここまで辱める必要があるのかとは疑問に思う。戦死させるだけなら裸の写真を撮っただけで十分だし、いくら虐め抜いたところで、耶美が桃香に服従するとも思えなかった。
 耶美はそこらの雑魚女子とはわけが違う。辱められて牙を折られて、桃香に恐怖心を抱いて二度と逆らわなくなるような……そんなヤワな精神の持ち主ではないのだ。今は敗北して屈従しているが、数日も経てば、きっと元のクールビューティに戻るだろう。たとえクラスメイト全員の前で生き恥を晒しても、姫乃のために共に戦うという使命がある限り、彼女の心が折れる事はない。
 それは桃香も十分分かっているはずだ。
「こっちはちゃんと着地点を計算して行動してるから、安心してちょうだい。耶美にはどうしてもやってもらいたい事があるのよ。その為にこうやって精神的にも肉体的にも追い詰めてるだけ。ま、壊さない程度に遊ばせてもらうわ。あと……十五分くらいね」
 そろそろ性器観察タイムも終了だ。
 授業時間は残り十五分ほど。一体これ以上耶美に何をさせるつもりなのか。桃香は肩越しに手を振りながら、再びクラスメイトの輪の中へと戻っていった。
 その背中を眺めながら、士郎が呟く。
「虹輝。清司が言った事は間違いなく事実だぜ。戦争に意味なんて無い。『勝つ』か『負ける』か、それだけだ。あともう一つ付け加えるなら……」
「付け加えるなら?」
「戦争を終わらせる方法も、『勝つ』か『負ける』かしかない。戦争が始まる前に、戦争を止める方法ならいくらでもある。けど、一度始まってしまった戦争は『勝つ』か『負ける』かでしか終わらないんだ。お前は女子軍に負けるつもりなのか?」
「まさか」
 女子軍に負けるという事は、虹輝が裸にされ、恥ずかしい写真を撮られることを意味している。それだけでなく、虹輝を含めた男子全員が――五年二組解散のその日まで、女子たちの奴隷になるという事でもあるのだ。
「女子に負けるなんて、嫌だ。僕は勝ちたい。女子軍に勝って、男子軍勝利で戦争を終わらせたい」
「――だったら」
 言葉を継いだのは清司だ。
「女子軍を倒す事だけに専念するんだ。戦争の意味なんて考えてる暇はないぞ。お前が倒すべき敵は、どいつもこいつも一筋縄じゃいかない」
 男子女子戦争でいま生き残っているのは、虹輝と礼門と桃香……それに恐らく姫乃。この四人だ。虹輝以外の三人はいずれもつわもの揃いである。
 一応同じ男子軍である礼門は別にしても、少なくとも桃香や姫乃は倒さなくてはならない敵だった。裸にひん剥いて、写真を撮って、弱みを握らなければならないのだ。もちろん、虹輝が直接手を下さなくても、例えば礼門がその役を担うかもしれない。しかし傍観するにしても、虹輝が生き残るためには、彼女らの痴態を目の当たりにする必要があった。それは揺るぎない事実である。
 姫乃を罠にかけ、裸にして写真を撮り、弱みを握る。
 そんな未来を想像すると、虹輝はとてつもない興奮を覚えた。そして同時に、胸の奥がなぜだかチクリと痛むのだ。
 その痛みが何を意味するのか、今の虹輝には、まだよく分からなかった。




 実際、耶美の精神力は大したものだと思う。
 桃香は素直に感服していた。
 ぐるりと周囲をクラスメイトに取り囲まれながら、ストリップをこなし、寝転がってM字開脚し、自らの指で性器まで開いて見せた。しかもその痴態の一部始終をカメラで撮影され、級友たちが順番に股座を覗き込んでいくのだ。普通の女子なら羞恥のあまりとっくに失神していてもおかしくない。
 何が彼女の心を支えているのか。
 言うまでもなくそれは、姫乃に対する恋心であろう。
 姫乃への強い恋愛感情があるからこそ、連絡が取れなくなった事で桃香の人質作戦に屈服せざるを得なくなった。今の耶美は、自分が犠牲になってでも姫乃さえ助かればそれでいい……そんな殉教者の如き高潔の精神を抱いているのだ。
 しかし桃香はこれで終わりにするつもりは毛頭なかった。予定している『着地点』へ向かうためには、もっともっと耶美を追い詰めなくてはならない。カッコイイ殉教者のままで終わらせてたまるものか。
 姫乃への恋心が最後の心の支えというのなら、これを利用しない手はなかった。
 最大の心の拠り所。
 それは即ち、最大の心の弱点。
 弱点の分かっている人間を潰す事ほど簡単な話はないだろう。ましてその弱点が、恋愛感情などという……低劣で愚鈍な、忌むべき感情であれば尚の事だ。
 そう。
 誰かを好きになって、幸せになる事なんて絶対にない。桃香は身をもってそれを学んでいた。恋愛感情など邪魔なだけだ。
 特に、戦争の最中においては。
「よーし、これで全員が性器を観察し終えたな」
 出席番号十六番の女子が耶美の股間から離れると、鮫島はパンパンと手を叩いて授業を再開した。
「では次にセックスの実演をしてもらおう。誰か、協力してくれる男子はいるか?」
 唐突な、しかしある程度予想できた言葉に、男子たちが顔を見合わせる。みんな口々に「お前やれよ」だの「やだよ、なんで俺が」だの「お前甲守好きって言ってただろ」だのと囁き合っていた。実に見苦しい。さんざん耶美の痴態を嘲笑したくせに、いざ自分がパンツを脱ぐ場面に遭遇すればたちまち臆して逃げ回る。しょせん童貞坊やの反応などこの程度だ。最初から予想されたリアクションだった。
「先生、それは無理ですよ」
 打ち合わせ通り、桃香が手を挙げて進言する。
「いつも同じ教室で勉強しているクラスメイトの前で性器を晒すなんて、そんな恥ずかしい真似、いくら男子でもできるはずがありません。……ああ、女の子なのにやっちゃってる子が一人いますけど、まぁアレは例外ですね」
 未だに仰向けになって性器を開陳している耶美を一瞥し、桃香が嘲笑交じりに付け加えた。人垣から失笑が漏れる。
「それにセックスの実演なんてしても、男子の身体が邪魔で上手く観察できないと思いますよ」
「言われてみればそうだな。しかしどうしたらいい? おまんこの穴にこう、棒のようなものが出し入れされる様子を観察したいんだが」
「だったらオナニーの実演で十分じゃないですか? 耶美ちゃんはまだ処女でしょうけど、指を一本出し入れするだけでも参考になると思いますよ」
 耶美はじっと目を閉じて、ただ二人の会話を聞き流していた。どうせ反論する事は許されない。言われた通りの事をするだけ……そう開き直っているのだろう。余裕ぶっていられるのも今の内だけだ。今に後悔させてやる。
 桃香が目配せすると、祢々子がさも今思いついたような口調で言い放った。
「あっ、そういえば郷里くんから面白い物もらったんだっけ」
 それにみどりが合いの手を入れる。
「なになに? 何をもらったの?」
「女の子のアソコに塗ると、すっごく気持ちよくなるお薬だって。ほら、コレ」
「へぇー、面白そう。耶美ちゃんがオナニーしやすいように、使ってあげたら?」
「そうだねぇ、それいいかも!」
 何だか白々しいやり取りを経て、祢々子が耶美の股間に回り込んだ。手のひらサイズのプラスチック容器に、ジェル状の透明な液体が入っている。
 本当に効果があるのかどうか怪しいものだが、礼門の話によれば、かなりの効果が見込めるらしい。芋茎に含まれるサポニンという成分が入っているのだとか。まぁ本格的な成分でなくても、例えば山芋のように痒みを引き起こす効果だけでも十分だった。とにかく手っ取り早く耶美にオナニーを始めさせるのが目的なのだから。
「あんまり付け過ぎると気持ち良すぎて頭がおかしくなっちゃうんだって。少しずつ使わないとねぇ」
 キャップを外し、彼女自身の指で開かれた耶美の性器に先端をあてがう。祢々子の口元がニヤリと歪んだ。
 彼女も耶美の事を恨んでいるのだ。遠慮も躊躇も気遣いもするはずがない。
「――あ、ごめーん! 手が滑っちゃった!」
 刹那、力いっぱい押し込まれた容器の先から、透明のジェルが勢いよく飛び出していった。
「ひゃぁっ?」
 生暖かく粘り気のある大量の液体が、耶美の性器にぶつかって飛び散る。容器の中身をほとんど全て放出してしまったようだ。重力に引っ張られてゆっくりと垂れ落ちていった。
 それは明らかに故意に行われた、祢々子の復讐。
 粘液は性器全体に広がったばかりでなく、膣口や肛門の中にまで染み込んでいく。あれなら数分で我慢できなくなってしまうだろう。祢々子はあどけない容姿と言動の割に、時々えげつないことを平気でやってのける一面もある。幼さゆえの残酷さというものか。ある意味では頼もしい仲間だ。
「あーあ、祢々子ったら付け過ぎでしょ。まぁいいか。遠慮しないで思いっきりオナニーしてね、耶美ちゃん?」
 媚薬に頼るというのは、相手に「薬を使われたんだから屈しても仕方ない」という心理的言い訳を与えることになる。本来なら避けるべきだが、授業終了時間が迫っている以上、無駄を省いて事を進めるしかなかった。それにオナニーショーもまだ『着地点』への課程に過ぎない。桃香の目標はその先にあるのだ。耶美の気持ちが昂るまで待つつもりはなかった。
「あ、ごめんごめん。そう言えば耶美ちゃんって、オナニーした事ないんだっけ。やり方わからないんじゃ困っちゃうよね」
「そ、そんな事……」
「いいからいいから。私が直々に教えてあげるわ」
 桃香は耶美の股間に回り込み、陰唇を撫でながら軽くクリトリスを爪弾いた。
「あひっ!」
「フフフ、可愛い声。ほーらもっと気持ち良くなっちゃえば?」
 既にピンク色の粘膜からは透明な粘液が滲み出している。もちろんさっきの媚薬とは別の液体だ。礼門の言葉に偽りは無かったらしい。
「そうそう、こうやって乳首も弄ってさ」
「お尻の穴も悪くないかもよー?」
 祢々子に加えて、みどりまでもが耶美の身体で遊び始めた。公開ストリップに性器開陳、観察ショーと羞恥の連続を受けて、彼女の肉体は性的快感に敏感になっている。その上、媚薬をたっぷりと塗りつけられて大事な所を弄られれば、喘ぎ声を漏らすなと言う方が無茶というものだった。
「駄目……待って、ちょっと……ああんっ!」
 あの無表情・無感動な普段の様子は何だったのかと言いたくなるほど、艶めかしい声が耶美の口から漏れ出していく。あっけないものだ。堕ちるのも時間の問題か。
 止めとばかりに、桃香は人差し指を慎重に、耶美の膣口へと滑り込ませていった。指一本くらいなら余裕で入る。分かりきっていた事だが、やはり耶美もオナニーの経験くらいあるらしい。お澄まし顔のクールビューティがいつもどんな顔で自慰しているのか、たっぷり拝ませてもらう事としよう。何度も何度も、繰り返し指を出し入れして快感を刻み込んでいく。
「指……だめぇ、おかしく……なっちゃう……」
「駄目なの? じゃあ抜いちゃおうっと」
 さんざん嬲った後で、桃香は人差し指を引き抜いていった。祢々子もみどりも彼女の身体から離れる。
「え? そ、そんな……。なんで……」
 中途半端にお預けを食らって、耶美が困惑の表情を浮かべた。
「さ、耶美ちゃん。いい子だから自分でオナニーしてみましょうねぇ。人にやってもらうよりずっと気持ちいいと思うわよ?」
 指先をティッシュで拭いつつ、桃香が見下した視線で笑う。
 オルガスムスに達していないのに、急に性的刺激が与えられなくなったら……当然、自分で自分の身体に刺激を与えるしかなかった。昂った気持ちを抑えられないのだろう。耶美はためらうことなく右手を股間へとあてがい、人差し指を性器に挿入していった。左手は膨らみの薄い乳房を覆い、人差し指と親指とで乳首を摘み上げていく。
「うわっ……女子のオナニーって初めて見た」
「した事ないって絶対嘘だよね。慣れた手つきじゃん」
「やっぱ甲守でもやる事やってんだな……」
「あんな激しく指、出し入れしちゃって」
 男子たちがひそひそ声で感想を言い合っているが、もはや耶美の耳には届いていないようだった。夢中になって自分の身体を慰めている。クールビューティが聞いて呆れるというものだ。当然、女子たちはその有様を眉をひそめながら眺めていた。
「いくら薬塗られたからって、フツーみんなの前でする? あり得ないんだけど」
「見てよアレ。ヨダレ垂らしちゃってない? 上も下もベトベト」
「いい気味よ。ちょっと可愛いからって調子乗り過ぎなんだって」
「どうせならセックス実演もすればいいのにね」
 もはや女子軍内部における、姫乃派の威信は失墜しつつあった。肝心の姫乃自身は、人当たりのいい優等生キャラのお陰もあって、未だ男女ともに人気がある。しかしその右腕の耶美がこの醜態では、男子女子戦争において姫乃派に従おうという気概は薄れてしまうだろう。命を預ける相手が公開オナニーショーなぞやっていては、まるで話にならない。
 あと一押しだ。
 桃香はそっと人垣から離れ、教室の壁際に寄せられた机の一つに歩み寄っていった。机の横に吊り下げられているスイムバッグを持ち上げる。これが桃香の用意した最後の凶器である。これで耶美に止めを刺す。後は、桃香自身の言葉で耶美を追い詰め、『着地点』へと誘導するだけだった。
「気持ちよさそうね、耶美ちゃん?」
 三度人垣に戻った桃香がニヤニヤと声をかける。だが耶美はオナニーに夢中で全く気付いていない。目尻に涙を浮かべ、ヨダレを垂らしながら、蟹股で無様に股間を弄んでいた。
「これを使うともっと気持ちよくなると思うわよ。いわゆるオカズってやつね」
 桃香は青いスイムバッグを開けた。中から可愛らしい花柄のバスタオルを取り出す。タオルを解くと、中から出てきたのは紺色の女子用スクール水着だ。
 午前中、五年二組では水泳の授業があった。その時に使ったのだろう。水着はしっとりと濡れ、塩素のほのかな香りを放っていた。胸に縫い付けられた白いゼッケンには……『白鷺』という苗字が書かれている。
 そう、この水着は姫乃の物。
 スイムバッグも姫乃の持ち物だった。
「どう? 姫乃の身体に直接密着していたスクール水着。これでオナニーしたらさぞ気持ち良……あらら」
 桃香のセリフは最後まで続かなかった。肩紐を両手で摘み、これ見よがしにスクール水着を見せつけると、耶美はひったくるようにそれを奪い取ったのである。湿り気を帯びた水着を抱きしめ、恍惚の表情を浮かべる。
「ああ……姫乃……。姫乃ぉ……」
 今の耶美はもう頭の中が快感を得ることで一杯で、それ以外の事には注意が回らないようだった。自分の痴態をクラスメイトに見られている事さえ忘れてしまっている。
 無理もない。
 確か四年生の時は、耶美は姫乃とは違うクラスだったはずだ。彼女がいつ頃姫乃に恋愛感情を抱くようになったのかは知らないが、五年生になって同じクラスとなり、初めて更衣室で一緒に着替えた時の胸の高まりは、想像に難くなかった。
 もちろん女子更衣室で着替えるといっても、身体を隠さずに丸裸で水着を着る女子はいない。みんなラップタオルなどできちんとガードしており、姫乃も例外ではなかった。それでも、脱いだ下着はちらりと見えるし、何より好きな女の子が目の前で着替えているという事実は興奮を誘うものだ。たとえ、見ている本人が同じ女の子であったとしても。
 耶美はきっと毎晩、更衣室での姫乃の着替えを思い返しながらオナニーしていたはずだ。彼女の水着や下着を手に取ってみたいと思っていたかもしれない。桃香は男子の下着などには興味ないが、男子は好きな女子の下着に興奮し、実際に舐めたり匂いを嗅いだりしてオナニーするんだそうだ。耶美にもそういった一面があるらしかった。
「姫乃……。好き、好きなのぉ」
 いくら肌に密着していたスクール水着とはいえ、塩素の入った水に濡れた時点でかなり匂いは薄れているはずだった。それなのに耶美は鋭い嗅覚を働かせているらしい。幸せそうに水着を舐め、股間の布地をひっくり返して舌を這わせた。一度でいいからやってみたいと思っていたようだ。
「あれ……白鷺さんの水着よね?」
「ヒメノって……。白鷺の事か?」
「女子のくせに女子がオカズって何だよ。変態じゃん?」
「気持ち悪いわね。何考えてるのよ、いやらしい」
 男子も女子も、遠慮なしに耶美を罵り、蔑んだ。彼女のオナニー姿に興奮していた男子たちも、さすがに姫乃の水着を舐めまわす耶美の醜態には引いてしまっているようだった。もはや彼女に対しあどけない好意を抱く男子など一人もいない。
 耶美はクラスメイトたちの目の前でストリップを強制され、服の内側を全て見られてしまった。そしてM字開脚した挙句に自ら割れ目を開き、身体の内側までさらけ出した。そして今、姫乃の水着で公開オナニーした事で、心の内側までも晒し者になったのである。自らの恋心さえ嘲笑の対象にされるとは……哀れと言う他なかった。もちろん、同情する気など桃香には全く無かったが。
 耶美の性器に抜き差しされる人差し指が、一際その抽送のピッチを速めていく。いよいよオルガスムスの階段を上りきるようだ。しばらくの間、天国を味わうといい。すぐに地獄を見せてあげるから。
「はぁっ、はぁっ……。も、もう……だめぇ、あああああっ!」
 彼女の身体が痙攣する。手足を突っ張り、歯をカチカチと鳴らして仰け反った。さすがに漫画みたいに「イクぅ!」なんて言ったりはしないようだ。現実にあんな事言われたらこっちも反応に困る。
 数秒間硬直した後、ゆっくりと耶美の身体が弛緩していった。きっと最高の快楽を味わっている事だろう。大好きな姫乃の使用済みスクール水着で思う存分オナニーできたのだから。この先クラスメイトたちから変態女と軽蔑されても、彼女は姫乃への想いだけを心の支えに生きていくに違いない。それほどまでに耶美は、白鷺姫乃の事を愛しているのだ。
 だからこそ、その恋心は利用できる。
 耶美を完全に屈服させるために。
「あーら、ずいぶん気持ちよさそうだったわね、耶美ちゃん?」
 彼女の呼吸が整ってきたのを見計らい、桃香が近づいていく。授業時間は残り十分。ギリギリだ。
「無表情だった耶美ちゃんの、イク瞬間の恥ずかしい顔。バッチリ見せてもらったわ。それにしてもまさか姫乃をオカズにオナニーしちゃうなんてねぇ。女の子同士なのに、姫乃の事をそんな風に見てたんだ? 性欲解消のための……ええと、何だっけ。昔の言葉で言うと――。そうそう、オナペットってやつ?」
「え……?」
「友達みたいな顔しておいて、いつか姫乃の事を裸にして無理矢理エッチしたいとか、心の中では思ってたわけよね?」
 棘のある桃香の言葉に、耶美はあからさまに狼狽し始めた。
「そ、そんな……違う、私は……」
「何が違うっていうの? あたしてっきり、勝手に姫乃の水着を取り出した事を怒ると思ってたんだけどなぁ。だってそうでしょ? 親友の持ち物を勝手に荒らされたら、注意するのが友達ってもんじゃない。ところが耶美ちゃんってば、怒るどころか自分から水着ひったくってオナニーしちゃうんだもん。ビックリだわ」
 一度オルガスムスに達したとはいえ、耶美の身体はまだまだ媚薬の支配下にあった。身体の疼きをこらえながら懸命に反論するが、普段の頭のキレは微塵も感じられない。今なら論破する事は簡単だ。
「私は、本当に姫乃の事が好きなの! 今は……薬を使われて……。だから……」
「薬? ふふん、便利な言い訳ね。本当に好きなら、薬なんかに負けずにあたしを咎められたはずよ。あなたが負けたのは薬じゃない。自分の性欲。普段から姫乃の事をいやらしい目で見ていたから、ちょっとの誘惑にあっさり屈してしまったのよ。つまりあなたの姫乃に対する想いなんて、所詮その程度って事。郷里くんや鮫島先生と同じね。姫乃を裸にして、征服したい。自分の物にしたい。そんな自分勝手な欲望でしかないのよ」
「ち、違う……私は……私は本当に……」
「最低よね。友達ヅラして仲良くしておいて、心の中では手籠めにすることしか考えてない。よくもそんな低俗な欲望を恋愛感情に履き違えられたものだわ。どうせ毎晩、姫乃を犯すことを想像しながらオナニーしてたんでしょ。あーあ、姫乃が可哀そう。親友と思っていた相手が、実は下品でスケベな色情魔だったなんて。友情を裏切られたあの子の気持ち、考えた事があるの?」
「そんな……。私は……ただ……」
 もはや耶美の口からは反論らしい反論すら出てこなくなっていた。名前を出された鮫島が苦笑しているが、桃香は事前の打ち合わせ通りのセリフを言っているだけだ。別に気にする事はない。むしろ鮫島は嬉々として、耶美を追い詰めるセリフの内容にあらかじめアイディアを出してくれていた。オナペットとか、やや古めかしい言葉が出てくるのもその為である。
 そもそも、桃香の論理は完全な詭弁だった。
 恋愛感情を持つ相手に対しエッチな想像をする事は、本来極めて健全な思考と言えよう。なぜなら恋愛とは即ち、子孫を残すパートナーを探すという事なのだから。その相手に対し、セックスを連想しない方がおかしかった。もちろん女性同士の恋愛では子孫は残せないが、セックス自体が高度なスキンシップである以上、やはり同性愛にもセックスという要素は不可分であろう。
 それに恋愛対象に対して暴力的なエッチを妄想したとしても、それが即、愛情の希薄を意味するものでもなかった。頭で想像するだけなら、それは誰にも迷惑はかからない。本人の自由だ。凌辱もののアダルトビデオをよく見る男性が全員、レイプ犯予備軍などではないように、恋愛の相手を凌辱する想像をしたからといって、本当の恋愛感情ではないと断罪するのは間違いだった。
 普段の耶美なら、これくらいのロジックはすらすらと口から出てくるはずだ。口数は少ないが頭の回転が速く、弁舌は立つ。桃香相手にディベートで引けを取る耶美ではなかった。
 しかし徹底的な羞恥地獄の連続を味わわされ、媚薬も盛られ、肉体的にも精神的にも追い詰められた今の彼女に、普段通りの実力は望むべくもなかった。姫乃への恋愛感情という、唯一にして最大の弱点を鷲掴みにされ、完全に桃香のペースに乗せられている。
 もう既に勝負はついていた。
 後は、クラスメイト全員に見せつけるだけだ。
 耶美が桃香に負けた事を。
 そして姫乃派が桃香派に屈した事を。
「――まぁいいわ。耶美ちゃんの気持ちが本物かどうかは、相手に判断してもらいましょ」
「あ……いて?」
「姫乃に決まってるでしょ。馬鹿ネズミ、さっきのオナニービデオ、ちゃんと撮れてたでしょうね」
「もちろんです桃香様。白鷺姫乃の名前を連呼してるところも、バッチリ記録済みです」
 忠一がカメラを構えたまま答えた。そのファインダーは未だに耶美の姿を捉え続けている。素っ裸のまま、目尻に涙を溜め、口からヨダレを垂らしている情けない顔が、みるみる青褪めていった。
「ま……さか……」
「もちろんさっきのオナニーの様子も、姫乃に見てもらうわよ。男子女子戦争で撮影した画像や動画はクラス全員で共有してきたじゃない。今回だけ特別扱いするわけないでしょ? フフフ……自分の使用済みスクール水着を舐めながらオナニーする親友の姿を見て、姫乃はいったいどんな顔をするのかしら。姫乃ぉ、好きなのぉ! なーんて愛の告白までしちゃってるもんね。ケッサクだわ」
 予想通り、耶美にとってオナニービデオを姫乃に見せる事は、死刑宣告に等しいショックらしかった。彼女にとって姫乃への恋愛感情は、最後の心の拠り所。それを踏みにじられる事が最大の恐怖なのだ。
「やめ……て。そんな酷い事……しないで。お願い……」
 ついにその口から哀願が漏れ始める。
 今まで――ストリップさせられようがM字開脚させられようが、性器観察されようがオナニーさせられようが、決して屈従の言葉を吐こうとはしなかった耶美が。とうとう、桃香に対して頭を垂れようとしていた。
「どうして? いいじゃない、オナニービデオくらい。きっと姫乃も喜んで鑑賞してくれると思うわよぉ?」
「嫌……そんなの嫌! あんな姿見られたら……嫌われる……。姫乃に嫌われてしまう……それだけは嫌なのっ!」
 ポロリ、と目尻から涙が零れる。あれだけ頑強に、決して涙を見せまいと意地を張っていた耶美が……あっけないほど簡単に泣き始めた。それほどまでに恐れているのだろう。姫乃に軽蔑され、嫌われる事を。
「お願い……お願いします……。姫乃にビデオを見せないで下さい。何でもしますから……それだけは許して下さい」
 床面から身を起して嘆願を始める。効果覿面だ。桃香は内心ほくそ笑みながら、ゆっくりとその場で立ち上がり、おもむろに腕を組んだ。
「そんなに嫌なんだ? しょうがないなぁ、同じクラスのお友達にお願いされたんじゃ、断れないじゃない。あたしだって鬼じゃないし」
 意外にも温情のある言葉に、耶美が安堵の表情を浮かべる。桃香がそんな情けをかける人間じゃない事くらい、いつもの耶美ならすぐに察するのだが……精神が擦り切れた今の有様では、気付く余裕もないようだった。何のために桃香が立ち上がったのかさえ理解できていない。
「でも耶美ちゃんってさ、いっつも姫乃と一緒になって、あたしのやる事なす事ケチつけてきたよねぇ。その辺きちんと謝ってもらわないと。もちろん……ちゃんとした謝り方で、ね」
「ちゃんと……した……?」
 床に腰を下ろしている耶美が、仁王立ちする桃香を見上げる。頭のいい耶美なら桃香の意図に気付くだろう。
 何のために桃香が立ち上がったのか。
 それは耶美に『ちゃんとした謝り方』をさせるためだ。
 桃香は自分の頭を一番高い位置に持っていった。ならば耶美は、自分の頭を一番低い位置に動かすべきだろう。それが誠意の見せ方というもの。
 つまり桃香は耶美に対し、土下座して詫びろと強制しているのである。
「どうするの耶美ちゃん? もうすぐ授業も終わっちゃうし。やるなら早くやってもらわないと?」
 彼女の期待通り、耶美はすぐにその意図に気付いたようだ。そして自分に拒否権が無いという事にも。
 実際に土下座したところで、桃香が約束を守ってくれるかどうか保証はない。そもそも人の口に戸は立てられないものだ。本当にビデオを見せないでくれたとしても、級友たちの噂話を通して、一部始終が姫乃の耳に入るのは時間の問題だった。
 もちろん……だからといって「土下座したって無駄だ」と開き直れるほど、耶美は豪胆な人間でもなかった。他の事ならいざ知らず、姫乃の事に関して「ビデオを見せたければ見せればいい」などと言い放つ勇気は無かったのだ。
 クラスメイトたちが固唾を呑んで見守っている。
 果たして、姫乃派の耶美は桃香派に屈するのだろうか。決定的瞬間を目に焼き付けようと、みんな瞬き一つせずに二人に視線を送っていた。
「……します。ちゃんとした……謝り方」
 そしてとうとう、耶美は服従の言葉を紡ぎだした。姿勢を直し、両足を揃え、まずは正座してみせる。それだけでも耶美にとっては十分屈辱的だろう。その上さらに、眼前の桃香に向って――、愛する人とライバル関係にある少女に向かって、静かに腰を折っていくのだ。
 桃香の足元に手を着き、頭を垂れる。その両手の間に額をつけた。桃香の位置からは見えないが、反対側に回ればきっと肛門や性器が丸見えになっているはずだ。
 素っ裸での完全なる土下座。
 屈服と服従の証だった。
 ついに姫乃派は桃香派の軍門に下ったのだ。
「今まで……偉そうな態度で、申し訳ありませんでした……。桃香のやる事に……」
「桃香ぁ?」
「桃香……様のやる事に、口出しして、身の程知らずでした。これからは二度と……桃香様に……逆らいません。ごめんなさい。許して下さい。お願いします……」
 耶美はたとえ自分が戦死しても、姫乃派の威信だけは守ろうなどと悪あがきを考えていたらしい。しかし何のことはない。桃香の巧妙な策略に乗せられて、ついにはこうして自分から敗北を認めてしまっていた。もはや姫乃一人がどうあがこうと、クラスの女子たちに姫乃派への信頼を再び取り戻す事は不可能なのだ。
「あーれーぇ? 確か耶美ちゃんって、服を脱ぐ前に言ってなかったっけぇ? 私は土下座なんかしないってさ。あたしが『土下座して謝れば、裸にならずに済むかも』って忠告してあげたのに、『私はそんなみっともない真似、絶対にしないわ』なーんて、カッコよく言ってたじゃない」
 桃香が鬼の首を取ったように嘲笑うが、負けを認めた耶美はもう反論さえしようとはしなかった。ポロポロ涙をこぼして、嗚咽を漏らしつつ土下座を続けるだけだ。桃香は右足を軽く浮かせる。
「あーあ、ガッカリ。普段クールな耶美ちゃんが、泣きながら土下座するなんてねぇ。しかもすっぽんぽん! 幻滅だわ。どんな目に遭ってもプライドだけは捨てたりしないって思ってたのに」
 言いながら、桃香は耶美の頭を踏みつけた。上履きの底で後頭部をグリグリと踏みにじり、彼女の額を床に擦り付けていく。もちろん耶美は抵抗しない。足を払おうともせず、文句を言い放つ事もせず、唯々諾々と桃香に服従するだけだ。
 桃香は最初からこうするつもりだった。徹底的に辱めて、身も心もボロボロにして、二度と自分に歯向かえないように叩き潰してやると。おすまし顔を、涙と鼻水とヨダレでベトベトにしてやると。
 全ては彼女の思い通りの結末になった。
 完全勝利だ。
 最後の『着地点』へと向かうべく、桃香は仕上げに入る。右足を耶美の頭からどけて、その上履きを彼女の鼻先に突きつけた。
「舐めて」
 まるで飼い犬に命令するかのように、短く言い放つ。逆らう事の許されない、主人の命令。だがさすがに耶美もこれには躊躇せざるを得なかったようだ。目の前の臙脂色の爪先を見つめながら、硬直してしまっている。
「あれれぇ? できないのぉ? ふーん、耶美ちゃんの姫乃に対する気持ちって、所詮その程度のものだったんだぁ。やっぱりオナニーのオカズくらいにしか見てなかったのねぇ」
 実に分かり易い挑発であった。しかし今の耶美はこれに乗せられるしかない。元より、逃げる事も逆らう事も許されないのだから。
 舌を伸ばし、おずおずと桃香の上履きに触れる。忠一のビデオカメラが敗北の瞬間を撮影し、教室のテレビにリアルタイムで生中継していった。ピチャピチャという唾液の水音だけが、静まり返った空間に響いていく。
「昼休みにトイレに行ったから、おしっこが跳ねて汚れてるかもねぇ。あ、ちゃんと靴底も舐めてね」
「はい……桃香様」
 桃香はさも楽しそうに爪先を上げ、トイレの床も歩いたゴム底を耶美に見せつけた。もはや躊躇うことなく、彼女は丹念にそこを舐め上げていく。
 昼休み、姫乃と耶美は女子トイレで桃香と会っている。あの時、よもやこんな醜態をさらす事になるとは、耶美は想像できただろうか。五時間目の授業が終わるまでの間に、素っ裸にされ性器の中まで見られ、オナニーショーでクラス全員に同性愛者だとバラされるなんて、予想だにしなかったはずだ。
 あの時のクールな表情はもう見る影もなく、耶美は顔面を涙と鼻水とヨダレでベトベトにしながら、言われるままに桃香の上履きを舐め続けていた。
 完全に堕ちた姿だった。
 桃香は今だとばかり、目配せでみどりに指示を出す。
 彼女は小さく頷き、手筈通り耶美の背後に回った。丸出しになっているお尻を軽く蹴飛ばす。
「ひゃんッ?」
「ちょっと、なに安心しちゃってるわけ? 桃香が許しても私はまだ許してないんだけど?」
 みどりを見上げる耶美の視線には、明らかに怯えの色が見て取れた。普段の彼女では考えられない事だ。耶美が敵として一目置いているのは、せいぜい桃香一人。みどりや祢々子は、たかが腰巾着と見下していたはずだ。今はその腰巾着にすら平伏しなければならない。
「あんたがした事、忘れたとは言わさないわよ。ちゃんと謝りなさいよ。じゃなきゃオナニービデオ、姫乃に見せるから」
「そ、それだけは許して下さい……みどり様」
 耶美は一度正座の姿勢に戻り、身体の向きを変え、仁王立ちするみどりに向かって……改めて土下座の姿勢を取った。
「申し訳ありませんでした、みどり様……」
「何を謝ってるのか言ってもらわないと、こっちも困るんだけど?」
「せ、先日のプールの授業中に、みどり様を見捨ててプールを離れました。みどり様が戦死するだろうと思いながら、私は逃げました」
 桃香と同じように、みどりも上履きで耶美の頭を踏みつけた。その力の入れ具合は、桃香より容赦ない。
「なんでそんな事したわけ? 馬鹿ゴリラが怖かったの?」
「いえ……それは……姫乃の指示で……」
 勝った。
 桃香は内心ほくそ笑んだ。
 忠一のビデオは未だ撮影を続けている。耶美の致命的な自白も、克明に録画している事だろう。これで完全に姫乃派は崩壊した。
 そう。桃香が目指していた『着地点』とはまさにこの事だった。耶美にスパイの罪を自白させ、姫乃派の信用を失墜させる。
 耶美がスパイとして暗躍していた事は、プールの一件で桃香たちの知る所となった。しかし雑魚女子たちの間ではまだ知られていなかったのだ。姫乃たちが自分から話すはずがないし、桃香たちが喧伝しても、それは対立する姫乃派を貶めようとする嘘だと思われるのが落ちだったからだ。
 桃香は鋭い観察眼と洞察力の持ち主である。当然、自分がクラスメイトたちにあまり好かれていない事も見抜いていた。男子女子戦争が始まった原因の一端は桃香にあるし、戦火を拡大させた張本人は間違いなく桃香である。それはクラスの誰もが――もしかすると転校生の虹輝は知らないかもしれないが、みんな知っている、言わば常識だった。仮に虹輝がいま知らなかったとしても、いずれ知る事になるだろう。男子女子戦争の開戦の秘密。そして如何に桃香がクラスメイトたちに悪行を働いてきたのかを。
 当然、雑魚女子たちの本音は、姫乃主導による女子軍の勝利だった。
 桃香派が負けて、姫乃派が女子軍の実権を握るのが、彼女らの理想に違いない。今は桃香に扇動されて耶美を辱めているが、落ち着きを取り戻せば「あれはやり過ぎよ」「耶美ちゃんが可哀そう」「ちょっと酷過ぎ」なんて自分勝手な感想が出てくるに決まっている。自分たちでは何もできない連中に限って、己の言動を棚に上げて優等生ぶる。そして姫乃が桃香を倒し、耶美の敵を討つ展開を希望し始めるのだ。正義は勝つ、というお題目か。
 ……冗談じゃない。正義が勝つのはフィクションの世界だけで十分だ。現実の世界では正義など勝つ事は決してない。勝つのは悪である。桃香だって負けるつもりは毛頭なかった。
 ただし、正義は勝つという理想論は、雑魚女子を束ねるには便利なスローガンだった。馬鹿な大衆を扇動できてこそ、一人前の支配者というもの。そこで桃香は、耶美にスパイの罪を自分から白状させ、これによって『正義ヅラしていた姫乃派こそ、裏切り者の悪だ』という潮流を作り上げようとしていた。耶美を徹底的に辱めたのは、この着地点へ向かうための手段に過ぎなかったのだ。
 耶美の自白を聞いて、雑魚女子たちがざわめき出した。予定通りみどりが畳みかけていく。
「姫乃の指示? へぇー、そう。私を見殺しにしろって、姫乃が言ったのね?」
「え? そ、それは……その……」
「サイテーじゃん。同じ女子軍の仲間をわざわざ見捨てるなんて、とんだ裏切り者ね。女子軍の勝利より、きっと姫乃派の勝利の方が大切なんだわ。自分勝手な女」
 さすがに姫乃の名前が出たことで、耶美も我に返ったようだ。自分が取り返しのつかない事を言ってしまった事実に気付きつつあった。しかしもう遅い。一度口から出てしまった言葉は二度と取り戻せないのだから。
「ちょっと! 祢々子だって耶美ちゃんには酷い目にあってるんだよ! 無視しないでよね!」
 祢々子が耶美の脇腹を容赦なく蹴飛ばした。痛みに顔をしかめ、耶美が床を這いつくばる。だがクラスの誰も……男子も女子も、彼女に憐みの視線を向ける者はいなかった。耶美が裏切り者だと知った雑魚女子たちはもちろん、雑魚男子たちも、仲間を平気で見捨てた彼女の行動に失望したらしい。
「ほーら、土下座! ちゃんと謝ってよ! ビデオ公開されてもいいの?」
「ま、待って……。謝ります。謝りますから……祢々子様」
 姫乃に嫌われたくないから土下座してスパイの罪を自白する。それは本末転倒の行動だった。スパイの罪を自白するという事は、つまり姫乃を裏切り、彼女を女子軍において失脚させる行動に他ならないのだから。今はまだ頭が混乱した状態で、そこにハッキリと気付いていないため、耶美は言われるままに祢々子に土下座を始める。
 今まで丹念に、じっくりと時間をかけて、耶美を羞恥地獄でいたぶってきた成果が現れていた。普段の耶美なら絶対にこんな事はしない。たとえオナニービデオを撮られたとしても、桃香たちの脅迫に屈する事はなかっただろう。姫乃に嫌われる事と、姫乃を裏切る事。どちらを選ぶかと言われれば、まず間違いなく嫌われる方を選ぶはずだから。姫乃を裏切るくらいなら、嫌われた方がマシだ。
 ……そんな殊勝な判断をさせないために、桃香は羞恥地獄で彼女の精神を崩壊させ、姫乃への恋心だけでかろうじて正気を保っている状態にまで追い込んだのだ。クラスメイト全員に蔑まれても、姫乃にだけは嫌われたくない。姫乃への想いがあれば生きていける。そう思っているからこそ、姫乃に嫌われないためにスパイの罪を自白するという、絶対にしてはいけない事をやってしまった。
 これでもう、耶美はお終いだろう。
 女子軍の一員としても。
 姫乃派の一員としても。
 そして、恋する一人の女の子としても。
 もう、お終いだった。
「私は……祢々子様の麻婆豆腐の皿を入れ替えて、下剤を飲むように仕向けました。祢々子様が戦死したのは私のせいです。申し訳ありませんでした」
「そうだよ。お蔭でめっちゃ恥ずかしい思いしたんだからね。分かってんのっ?」
 祢々子が上履きで耶美を蹴飛ばし、踏みつける。体重が軽いからさほど痛みは無いだろうが、耶美は平伏したままひたすら許しを請い続けていた。
「ごめんなさい、許して下さい。お願いします……」
「それも姫乃ちゃんの命令だったんだよね?」
「それは……」
「ちゃんと言いなさいよ! ビデオ、見せちゃうよっ?」
「はい、そうです! 姫乃の命令でやりました!」
 言うまでもなく、桃香も忠一をスパイとして飼っている。彼に手柄をあげさせ、男子軍中枢に送り込むため、情報をリークして雑魚女子を捨て駒にした事も多々あった。スパイを使った悪行では、姫乃より桃香の方が遥かに悪質で回数も多いに違いない。だがそんな事はここでは問題ではないのだ。
 姫乃の悪行を暴露し、失脚させる。その為には忠一の事など触れる必要は無かった。彼はつい最近、桃香に惚れて男子軍を裏切り、奴隷となった――それが雑魚女子たちの共通認識である。よもや開戦初期の段階からスパイとして暗躍していたとは夢にも思うまい。姫乃派が後から忠一のスパイを暴露しようとしても、自分たちのスパイの罪が明らかとなった後では、誰も耳を傾けるはずがなかった。もう姫乃派に再起のチャンスなど存在しないのだ。女子軍は桃香のもの。彼女が今日から女子軍のリーダーとなるのだ。
 いや、元々女子軍のリーダーは桃香だったのだから、姫乃の手から取り戻したと言った方が正確かもしれない。いずれにせよ、クーデターは成功である。
 あの優等生キャラなら、雑魚女子たちもすぐには姫乃に冷たく当たったりはしないだろう。それでももう姫乃に、女子軍の中で居場所はない。これでやっと五分の勝負に持ち込めるというものだ。
 そう、これでもまだ五分。
 ようやく互角の勝負に持ち込めるに過ぎない。
 女子軍の指揮権を失い、右腕の耶美を戦死させられても、なお姫乃は女子軍リーダーに収まった桃香と互角に戦えるだけの底力を持ち合わせていた。
 凡夫の雑魚女子なら、このまま成す術もなく男子軍の餌食となって戦死するだろう。しかし姫乃は恐らく、男子軍と手を結んで桃香に対抗してくるに違いない。それは決して荒唐無稽な発想ではなかった。姫乃は女子軍リーダーとはいえ、主に内部統制を担当している。男子軍への攻撃は桃香が担当する事が多かった。姫乃が文官、桃香が武官と言うべきか。つまり男子たちは姫乃よりむしろ桃香の方を怖がっているはずなのだ。
 とすれば失脚した姫乃をあっさりと戦死させるより、まず彼女を利用して桃香と戦わせようとするはずだ。女子同士で潰し合いをさせ、勝って生き残った方も、疲弊した隙に戦死させる。この方が遥かに効率がいい。
 姫乃としても、耶美をここまで嬲り者にされれば、女子軍を裏切って男子軍につくことに対し一切躊躇しないだろう。彼女の弱点らしい弱点は、その優しさ。自分から攻撃してクラスメイトを傷つける事ができない弱さが、今回のクーデター成功を招いたとも言えた。もし桃香が姫乃の立場だったら、唯一生存メンバーが二人いる派閥という特性を最大限に生かし、積極的に攻撃を仕掛けたはずだ。姫乃にはそれができなかった。相手の出方を待ち、いたずらに時間を消費してしまい、結果として手痛い敗北を喫することになったのだ。鮫島を仲間に引き込むという、桃香の一か八かの起死回生の一手が、今回は見事に結実した。
 次はいよいよ姫乃との直接対決だ。今回の作戦でも、礼門が麻酔薬を使った罠を仕掛けたのだが……どうせあの筋肉バカでは姫乃を仕留める事などできないだろう。姫乃はそんな甘い相手ではない。
 その時、ちょうど携帯にメールが届いた。礼門からだ。内容は――『白鳥は籠から逃げた。イルカを連れて巣に戻る』。案の定、姫乃を仕留め損なったらしい。イルカというのは……察するに、斑鳩美月の事か? ともかく、もうすぐ授業も終わる。後片付けを急がなければ。
「祢々子。それくらいで許してあげなよ」
 桃香は猫なで声で彼女を咎めた。
「えー、もう終わり? つまんないの」
「悪いのは耶美ちゃんをこき使ってあたしたちを裏切った姫乃なんだからさ。ほら、耶美ちゃんももう服を着ていいわよ。よく頑張ったわね」
 まるで母親が子供をあやしているかのような口調だ。もちろんそれは、深い愛情に基づく言葉などではなく、自分より目下の存在だと見下して嘲笑している、純粋な悪意による言葉なのだが。
「はい……ありがとう、ございます……。桃香様」
 耶美が顔を上げる。涙と鼻水とヨダレでベトベトになった顔には、媚びへつらうような情けない笑顔が張り付いていた。これがあのクールで無表情・無感動だった甲守耶美なのだろうか。授業が始まる前とは大違いだ。まったく惨め極まりない。
 負け犬に相応しい顔ね。
 桃香は鼻で嗤った。




 その後、耶美はクラスメイトの輪の中で、ようやく服を着る事を許された。しかしそれは新たなる駄目押しの羞恥ショーでもあったのだ。
 まず彼女は、鮫島から渡されたショーツに足を通した。クラス全員に回覧され、さんざん臭いだの汚いだのと罵られた布きれを、再び股間に密着させる。それは何とも惨めで滑稽な行動だった。
 しかも女子のショーツは、きっと男子のブリーフもそうだと思うが、直立不動の姿勢では上手く穿くことができない。トランクスのようにゆったりしたデザインではないのだ。身体に密着する形状であるため、きちんと着用するには、足を少し開いて、蟹股気味にならなければいけなかった。
 その上着用した後も、食い込みの位置を直したり、陰毛がはみ出していないかチェックしたりする必要がある。女の子がパンツを穿く姿というのは、男子が妄想しているほど可愛らしくはないし、綺麗でもカッコ良くもないのだ。
 ニヤニヤと笑う級友たちの目の前で、耶美はそんなみっともない姿をしっかりと見せつけた。食い込み直しやハミ毛のチェックを無視しようとすれば、すかさず桃香たちが茶々を入れて恥をかかせるつもりだったが、その必要も無かったようだ。桃香が自分に対して何を望んでいるのかよく分かっているのだ。あるいは単に感覚が麻痺しているだけか。
 次に身に着けるのはジュニアブラ。脱いだ時と同じように、おっぱいと脇の下を曝け出しながら着用する。当然、身に付けた後は乳房の位置を調整する姿も披露しなければならない。あの程度の膨らみなら形を整える必要は無いだろうけど。
 エロ漫画やアダルトビデオでは、女性が脱がされる場面は多々あるが、女性が服を着る場面はそう多くない。桃香も興味本位でそういった作品を見たことがあった。登場する女性を綺麗に見せるにはそれが正解だろう。だが登場する女性に恥をかかせるには、衆人環視の下、服を着させるというのも一つの手だと、今の耶美の姿を見ると思うのだ。
 最後に耶美はデニムのボトムとシャツを身に着けていった。ほんの五十分ほど前に脱いだ時はあれほど颯爽としていたのに、今やあのクールなカッコ良さは見る影もない。ベルトを締め、シャツのボタンを留める。
 こうして、ようやく耶美は羞恥地獄から解放されたのだった。
 服の内側を見られ、身体の内側も見られ、心の内側さえも見られた……。甲守耶美という一人の女の子の秘密を、情け容赦なく徹底的に暴き尽くす。まさに紛う事なき完璧なる『解剖授業』であった。
 鮫島の号令で、クラスメイトたちが机を元に戻していく。耶美は散らかされた姫乃のスクール水着とバスタオルをスイムバッグに片づけていった。みんなで作業すればあっという間だ。
机の位置が戻ると、教室はすぐさま日常を取り戻した。さっきまでの狂宴がまるで嘘か幻だったかとさえ思えてくる。
姫乃が戻ってきたのは、まさにその時だ。
 ……もうあと数分でチャイムが鳴るというタイミング。ガラリと開いたドアに、教室の全員が視線を向けた。
「おや斑鳩先生。どうなさったんです?」
 姫乃に肩を貸す美月に、鮫島が白々しくも尋ねた。彼女が鋭い視線で睨んでも飄々としている。
「……白鷺さんが教室に戻りたいと言ったので、ここまで連れてきたんです。体調が優れないようですね」
「だったら保健室で休ませてもらえば良かったのに。白鷺、どうした? 大丈夫か?」
 全ての事情を知っている鮫島は、失神寸前の姫乃に好色そうな笑みを向け、形ばかりの労りの言葉をかける。全く……悪魔のような男だ。そんな残忍な担任教師の言葉を無視し、姫乃は美月の身体から離れ、フラフラした足取りで教室の中を進んでいった。
 彼女の白いワンピースは埃まみれになっている。もしや彼女も礼門に凌辱されたのだろうか……とクラスメイトたちは一瞬訝った。詳しい事情は知らなくても、姫乃と礼門が教室にいなかった事と、耶美が何らかの脅迫を受けていた事を察すれば、当然そういう発想に結びつくというものだ。
 しかし、すぐにそうではないと気付き始める。姫乃の目は全く死んでいなかったのだ。あれは、辱めを受けたばかりの少女が放つ眼光ではない。彼女はよろめきながら、けれどもしっかりとした足取りで、耶美の机の前まで歩いていった。
 椅子に座っていた耶美が顔を上げる。その眼は、姫乃と違い死んでいた。これこそ辱めを受けた少女の眼だ。何の光も宿っていない。
 それだけで全てを察したのだろう。姫乃は何も言わず、耶美を抱きしめた。
「ごめんね、耶美……。遅くなって」
 力いっぱい絞り出した一言。その掠れかかった声を聴いて、耶美もまたすぐに察した。姫乃が苛烈な罠を切り抜け、必死の思いでここまで帰ってきてくれた事を。
 死んだ彼女の眼からポロリと、涙が一粒、こぼれていく。
「ひ……めの……」
 後から後から、涙は溢れ出していった。
「姫乃……。姫乃ぉ……うわぁぁぁぁんっ!」
 抑え込んでいた感情が爆発したのだろう。耶美は人目もはばからず、顔をくしゃくしゃにして大泣きし始める。彼女にまだこんな一面があったなんて。これは意外だ。
 まるで幼子のように泣きわめく姿は、解剖授業の激しい恥辱の連続の中でも、決して見せなかった顔だった。
 姫乃にだけは本当の自分を曝け出せる。
 姫乃にだけは心の中まで開放できる。
 解剖授業でも解剖し尽くせなかった一面が、まだ耶美にはしっかりと残されていたのだ。
 それは、徹底的に解剖されても頑として最後まで見せなかった、耶美の……本当に本当の、ありのままの姿だった。
 姫乃への想いそのものでもある。
 ――そんな耶美の、姫乃に対する純粋な気持ちを、無残にも踏みにじったのだ。
 羽生桃香は。
 キッと姫乃が桃香を睨み付ける。
「あーら、なーに姫乃ちゃん? あたしの顔に何か付いてる?」
 桃香は臆することなく、小馬鹿にした視線を返した。女子軍で失脚し、居場所を失った姫乃など、もはや恐れるに足りない。そう言いたげであった。
「よくも耶美を……ッ!」
 頭に血が上ったのか。
 姫乃が珍しく我を忘れ、拳を振り上げるような見幕で桃香の机めがけて駆け出した。実際には麻酔薬の効果もあり、それほど素早い動きでもなかったが。
「……おいよせよ白鷺! らしくないぜ? そうカッカすんなって」
 割って入ったのは士郎だ。すかさず羽交い絞めして、姫乃の動きを抑え込む。その耳元に、他の連中には聞こえないような小声で、短く囁いた。
「お前は男子女子戦争を理想的な形で終わらせるために戦ってるんだろ? 自分からぶち壊しにするつもりか?」
「ク……ッ」
 その言葉の真意は、桃香にはよく分からなかった。しかし姫乃に対しては効果覿面だったようだ。歯ぎしりしながらも、彼女は身体の力を抜いていく。
「そう……ね。耶美のためにも……。こんな所で馬鹿な事を、しでかすわけには……いかない……わ」
 最後の気力を使い果たしたのだろう。そのまま、姫乃はガックリとくずおれていった。慌てて美月が駆け寄り、士郎と一緒に彼女の身体を支える。ようやく麻酔薬の力に負け、姫乃はその意識を失っていった。よくもまぁここまで持ちこたえたものだ。超人的な精神力と言ってもいい。
 一方、クラスメイトたちの視線が姫乃に集まっている隙に、礼門は何食わぬ顔で自分の席に戻っていた。偶然にもそこは桃香の席の隣だ。
「――このドジ。しくじったわね」
 桃香は視線すら向けずに礼門を小声で罵った。
「仕方ねぇだろ。麻酔薬は完璧に吸入させたんだぜ? あの状態で保健室の前まで逃げるなんて、化けモンかよあいつは……」
「だから言ったでしょ。麻酔薬を用意した程度で勝った気になるのは大間違いだってね。まぁいいわ。予定通りクーデターは成功したし。次の最終決戦で勝負を決めてあげる」
「最終決戦だぁ? まだ生存メンバーは四人だぜ? 気が早くねぇか?」
 礼門がどう思おうと、桃香にとっては次の戦いこそが間違いなく最終決戦であった。生存メンバーが四人と言っても、姫乃以外の連中など眼中には無いからだ。筋肉バカの礼門などどうとでも扱えるし、虹輝に至っては論外。姫乃さえ倒せば、もはや男子女子戦争は勝ったも同然だ……それが桃香の本音なのである。
「勝負は三日後よ。それまでに色々準備しておかないと」
「三日後? お前まさか……」
「そうよ。私たち五年生は、三日後から二泊三日の予定で自然教室に参加する。それが最終決戦の舞台ってわけ。大自然の只中にある宿泊施設……姫乃の処刑場としてはもってこいだと思わない?」
 自然教室の期間中は、夜遅くまでクラスメイトと一緒に過ごす。他のクラスや施設の職員の目もあるから、あまり好き勝手な行動はできないだろうが、それでも時間制限が大幅に緩和される事実は大きかった。今日のように授業時間を気にする必要も無ければ、放課後になってクラスの連中がバラバラになる事もない。終わりのない延長戦が可能となるのだ。
 自然教室の期間中に、間違いなく姫乃と桃香のどちらかが死ぬ。
 もちろん桃香には負けるつもりなど全く無かった。どうやって姫乃をいたぶってやろうかと想像を膨らませるばかりだ。青空の下でストリップでも強要するか? それとも素っ裸にして犬の首輪でも着けて、真夜中の施設の中を散歩させてやろうか? 最低でも、クラスの雑魚男子たちに輪姦させて、筆おろしはさせてみたい。最高の見世物になるだろう。時間無制限なら十分実現可能なプランだった。
「その為にはまず、自然教室が始まる前に、切り崩し工作をしっかりやっておかないとね。こっちに寝返りそうな人間を籠絡しておくのよ」
 耶美を屈服させた喜びもそこそこに、早くも桃香は次の戦いに思いを馳せていた。自分が最後の一人に勝ち残るまで、決して手綱を緩めない。それは礼門ですら呆れるほどの、好戦的で悪魔的な姿だった。




 姫乃が目を開けると、まず視界に飛び込んできたのは保健室の天井だった。次いで、覗き込む虹輝の顔が映り込んでくる。
「虹輝……くん?」
 小さく呟く。まだ呂律が少し覚束ない所もあるが、ようやく麻酔薬の影響が抜けてきたようだ。身体を起そうとするが上手くいかなかった。
「あ、じっとしてて。もうちょっと休んでた方がいいよ」
 虹輝はベッド脇の椅子に腰かけ、ずっと姫乃を見守ってくれていたらしい。壁に掛けられた時計が目に飛び込む。六時間目はとっくに終わっていて、もう放課後になっていた。見回すと、保健室の中に美月の姿がない。視線を泳がせる姫乃の様子を察し、彼が状況を説明してくれた。
「斑鳩先生ならちょっと校庭に行ってるよ。低学年の子が転んで怪我したんだって。もう帰ってくると思う。あ、ここまで姫乃さんを運んだのも斑鳩先生だよ。本当なら保健委員の明石くんが付き添いとして見てるはずなんだけど、用事があって先に帰るからって……僕が代役になったってわけ」
「そう」
 姫乃は自分にかけられたシーツを確認した。乱れた様子はない。
「じゃあ斑鳩先生がいない間、二人っきりだったんだね。私の服を脱がして、裸の写真でも撮った?」
「そ、そんな事しないよ!」
 顔を真っ赤にして虹輝が否定する。
「どうして? せっかく私を戦死させるチャンスだったのに」
「チャンスって……。そんなのおかしいよ。姫乃さん、体調悪いのに」
 脱がそうかどうか躊躇っていたわけではなく、そんな事は思いつきもしなかったようだ。甘いというか何というか。まぁそういう所は姫乃によく似ているとも言えた。
 気まずくなったのか、虹輝は椅子から立ち上がって、机の上に置いてあった携帯電話を持ってきた。姫乃の携帯だ。そうか、理科実験準備室で落としたきり拾っていなかった。スチール棚が倒れて資料が散乱しているあの惨状を、誰がどう上手く説明したのかは知らないが……きっと鮫島あたりが取り繕ってくれたのだろう。こういう時くらい教師らしく尻拭いしてもらわなければ、こっちはたまったものじゃない。
「これ、姫乃さんの携帯」
「ありがとう」
 受け取る姫乃の手には包帯が巻かれていた。今頃になってズキズキと傷が痛み始める。いや、ようやく痛みをしっかりと覚知できるようになったと言うべきか。どちらでも良かった。耶美が受けた身体と心の傷に比べたら、こんなもの何でもない。
 着信履歴を見ると、五時間目の授業時間中に受けた耶美からの電話が、『不在』になっていた。この電話に出る事さえできたら、少しは状況は変わっていたのだろうか。
「耶美は……私の事が好きだったのね。恋愛対象として」
「え?」
 虹輝が困惑の表情を浮かべる。本当に、思った事がすぐ顔に出る人だ。事実をありのまま言ってしまって良いものかどうか、迷っているのだろう。
 姫乃と耶美を分断し、それぞれ「相手を人質に取った」と脅迫するのが、今日の桃香たちの作戦だったはずだ。論理的に考えればそんな脅迫に屈する事など無意味である。事実、姫乃は容赦なく脅しを突っぱねたし、耶美だってそれは分かっていたはず。
 それなのに耶美は敗北し、戦死した。
 なぜか?
 それはつまり、論理的に考える事が出来なかったからに他ならない。理屈では割り切れない感情……。その感情ゆえに耶美は負けた。
 そこまで推理できれば、耶美がどうして陳腐な脅迫に屈服したのか、想像できない姫乃ではなかった。
「もっと早く気付いてあげれば良かった。そうすれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに……」
 耶美が桃香たちにどんな苛烈な辱めを受けたのか、姫乃は知らない。しかしいずれ知る事になるだろう。知りたくはなかったが、知らなければならない。それは耶美を助けられなかった自分が負うべき義務でもある。
 そして耶美がそこでどんな事をしていようとも――桃香たちに扇動され、たとえ姫乃を貶めるような事を強要されていたとしても、彼女は耶美を咎めるつもりは全く無かった。
 許しを乞うべきはむしろ自分なのだ。
 耶美を救えなかった自分。
 甘さゆえに桃香たちに先制攻撃できなかった自分。
 耶美を犠牲にして、一人だけ戦死を免れた自分。
 きっと耶美は明日学校を休むだろう。放課後にでも家を訪ねて、まずは会ってくれるようにお願いしなければならない。そこで耶美に罵倒されても、姫乃は文句ひとつ言う権利はないのだ。
「虹輝くんは……好きな女の子とか、いるの?」
 唐突に話題を変えると、虹輝は分かり易いくらい狼狽して取り乱した。
「べ、別に……っ! いな、いないよ! そんなの!」
「そう」
 誰か本命がいるみたいだ。姫乃は桃香ほど観察眼も洞察力も鋭くないので、それが誰かまでは分からなかったけれど。
「私はいるよ」
「え?」
「私が好きなのは……虹輝くん」
 小さく微笑みながら言うと、彼はぽかんと口を開けて固まってしまった。本当に分かり易い。あまりにも純情すぎて、こっちが申し訳なくなってくるほどだ。
「――冗談よ」
 姫乃はやはり小さく微笑みながら、そう言って窓の外に視線を移した。虹輝の顔は完全に視界から外れてしまっている。彼は今どんな顔をしているんだろう。怒っているのか? がっかりしているのか? それとも安心しているのか?
 姫乃の告白は、半分は本当だし半分は嘘だった。
 男子女子戦争を終わらせる目的のため、一つの伏線として、姫乃は虹輝に告白した。彼に異性としての白鷺姫乃という存在を、しっかり認知してもらいたかったのだ。それが今後どう作用するのか、正確には読み切れないが、姫乃としてはプラスに働くと思っている。
 しかしだからといって、心にもない告白だったかと言えば、そうでもなかった。
 姫乃は、虹輝の事が好き。
 それは紛れもない事実なのだ。
 ――つまり。
 どれだけ耶美が想いを寄せてくれても、姫乃は恋愛対象として耶美の気持ちに応える事はできなかった。彼女の気持ちはいずれ必ず裏切らなければならない。
 そのくせ、自分が好意を寄せているはずの虹輝に対しても、姫乃は男子女子戦争の戦略の一環として冗談交じりに告白していた。
 それはきっと、人の気持ちを踏みにじる、最低の行動なのだろう。桃香に対してどの面下げて怒りを露わにしたのか。
 やはり許しを乞うべきは自分なのだ。
 耶美や虹輝に罵倒されても、自分は文句ひとつ言う権利はないのだ。
 私は、好戦的で悪魔的な人間なのだ。
 ……姫乃は、ぼんやりと窓の外を眺めながら、静かにそう思った。

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