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第十九話 『激突! 虹輝VS姫乃』

2015-04-12

 脱衣カードゲームは四回戦に入ろうとしていた。
 これまでのところ、虹輝も姫乃も一勝一敗一引き分け。手札の内容は、虹輝がスペードの6と8から上のカード、姫乃がハートの7から上のカードとなっている。数字『1』分だけ、虹輝が劣っている形だ。偶数回なので、後攻の虹輝が先にカードを出す番である。
「セット」
 虹輝は迷いなく一枚のカードを手札から選び、裏向けて場にセットした。さっきの姫乃のように、複数のカードを一度に出したりはしない。三回戦で姫乃が行ったカード三枚切りにより、手札の数は合計八枚と半分近くにまで減っていた。無用の冒険を避けたのだろう。
 しばらく、無言の時間が経過する。
 姫乃が虹輝に続いてカードを出す番なのだが、彼女はじっと手札を見つめながら長考していた。ルールには特に制限時間などは書かれていない。明らかな時間稼ぎでもしない限り、早くカードを出せと催促する事はできないのだ。セミの鳴き声が響く中、虹輝を含めた観客全員が、じっと姫乃の動きに注目している。
「……セット」
 ようやく、姫乃が一枚のカードを場に出した。かなりじっくりと考えていたようだ。本気を出した虹輝をそれだけ警戒しているという事か。さすが白鷺姫乃……敵を侮って自ら墓穴を掘るような、愚鈍な真似はしないらしい。
「じゃあ同時にオープンを……」
「姫乃さん」
 だからといって……いやむしろ『だからこそ』、虹輝は妥協する事無く全力で戦わなければならなかった。少しでも姫乃の動揺を誘うため、積極的に心理戦を仕掛けなければ勝機は見出せない。
「姫乃さんが出したカードの数字、当ててみようか?」
 彼女が一回戦で使った『予告カード提示』のようなブラフだ。ギャラリーたちの間にざわめきが広がっていった。当の姫乃はさほど驚いていなかったが……それは一種のポーカーフェイスなのかもしれない。心の内がどうなっているのかは、桃香のような観察眼や洞察力の無い虹輝には分からなかった。
「面白い趣向ね。聞かせてもらえる? 正解しても御捻りは出ないけれど」
 こちらの手の内を推し量るためか、姫乃も積極的に乗ってくる。
「いいよ。……姫乃さんのカードの数字を考えるためには、まず僕が出したカードの内容を、姫乃さんがどう推理したのか考えないといけない。僕のさっきまでの手札は、スペードの6と8から上のカードだ。僕が本気で勝ちを狙いに行くのなら、いくら手札の内容を整えるためであっても、勝ち目のないスペードの6を一枚だけ出す事は絶対にありえないよね」
 姫乃の手札の中で一番数字が小さいカードはハートの7だ。スペードの6が一枚だけでは絶対に勝てない。どうしてもスペードの6を消費したいのなら、他のカードと一緒に複数で出すべきだろう。まだ一敗とはいえ、無駄に黒星を重ねるのは愚策の極みである。
「つまり僕が出したカードは最低でもスペードの8。それに勝つためには、姫乃さんはハートの9以上のカードを出さないといけない」
 理路整然とした虹輝の言葉に、クラスメイトたちは顔を見合わせてヒソヒソと囁き合った。あの一瞬で虹輝がここまで熟慮していたとは想像以上だったらしい。これが本当にあの、気の弱い風見鶏の男子の言葉なのか? あまりの変貌ぶりに女子たちは困惑し、男子たちは期待を高めていった。もしかしてもしかすると、或いはあの白鷺姫乃を倒す事ができるかもしれない。それは都合の良い期待であったが、可能性はゼロではなかった。
「じゃあ虹輝くんは、私がハートの9を出したと思っているわけね?」
 あくまで泰然とした態度を崩さず、冷静に聞き返す姫乃。
「どうかな? 相手が他の女子ならそう結論付けただろうけど……姫乃さんがそんな一筋縄でいく相手じゃないって事は、分かってるつもりだよ。あの白鷺姫乃なら、そこまで読み切った上で尚、僕の予想を裏切るカードを選択してくる。その可能性は十分あると思う。勝つために最低でもハートの9を出さないといけないのなら……確実に勝つためには、手札の内容を悪くしてでも、さらにもう一つ上のカードを切ってくるんじゃないかな? つまり姫乃さんの出したカードは……」
 虹輝の言葉に合わせるように、姫乃は左手を伸ばして、場にセットしたカードを裏返した。そこに描かれていた数字は――。
「ハートの10、だ」
 果たして、ハートの10であった。
 観客たちの間に驚きの声が上がる。見事正解したのだから当然か。もっとも、虹輝としては別にハズレでも構わなかった。ハートの9以上の数字なのは間違いなく、さすがにハートのJまでは出してこないだろうと踏んでいたからだ。推測通りハートの10なら姫乃に心理的圧力をかけられるし、もしハートの9なら「なんだ、もっと警戒して大きな数字を出すと思ってたのに、意外と甘いんだね」などと言って牽制する事もできる。要は相手を動揺させる事が目的なのであって、正解か否かは問題ではなかった。
「私がハートの10を出すって読んでいたのなら、虹輝くんは当然、それ以上のカードを出しているのよね」
「そういう事になるかな」
 続いて虹輝も自分のカードを裏返す。現れた絵柄は、若い男性の上半身が上下対称に描かれたイラスト。スペードのJだ。脱衣カードゲームでは11の大きさを表すカードだから、ハートの10対スペードの11となって……この勝負は虹輝の勝ち、となる。
「なるほど……。これが本気を出した虹輝くんの実力ってわけね。お見事だわ」
 一度手札を切り株の上に置き、姫乃は右のリストバンドを脱ぎながらそう呟いた。これで虹輝が一敗なのに対し、姫乃は二敗。初めて虹輝が勝ち星でリードしている格好になった。
「いいぞ、虹輝! そのまま姫乃をやっつけちまえ!」
「あと三回で素っ裸だぜ!」
 勢いに乗った男子たちが気勢を上げる。
「ドンマイだよ白鷺さん!」
「ただの偶然よ。気にする事ないわ」
 女子たちも負けじと声援を張り上げた。
 しかし当の本人たちは至って冷静である。勝ちを収めた虹輝がこの程度で驕る事は無かったし、負けた姫乃も全く取り乱していなかった。次の五回戦に向けて、早くも両者は相手の手を読み始めているのだ。
 先攻の姫乃がカードを選ぶ。
 彼女は二枚のカードを手札から引き抜き、裏向けて場にセットしていった。その様子を見て虹輝が小さく笑みを漏らす。
「あら、余裕の笑み? もう勝った気になっているなんて、随分な自信ね」
 想像以上の虹輝の実力に、焦りを隠せないのか、姫乃の言葉にはあからさまな棘が見受けられた。だが彼は意に介さない。自分の手札を確認しながら飄々とゲームを進めるだけだ。
「余裕なんか無いさ。ただ、姫乃さんが何を考えているのか、手に取るように分かるのが楽しくてね」
「また私のカードの数字を当ててくれるの?」
「うん。二枚出したってところが、さすが姫乃さんって感じかな」
 先ほど見事姫乃のカードの数字を言い当てた事で、徐々にゲームのペースは虹輝の側に傾きつつあった。この機を逃すまいと、虹輝はさらに畳みかけていく。
「さっきの四回戦、僕は確かに勝ったけど、スペードのJっていう大きな数字のカードを消費してしまった。相変わらず、手札の中にスペードの6が残ったままだ。手札の内容を整えるためにはどうしてもこのスペードの6を使いたいって思ってる」
 スペードの6を一枚だけ出しても、姫乃の手札はハートの7以上のカードしかないのだから、必ず負けてしまう。よってスペードの6を使うには、どうしても二枚以上のカードの組み合わせで使うしかないのだ。
「そこで姫乃さんがカードを二枚切ってくれれば、渡りに船とばかりに僕がスペードの6を出すのは容易に想像できるってわけさ。姫乃さんは僕が出す二枚のカードの内、一枚はスペードの6だと見当をつける事ができる」
「……私の手札は今、ハートの7・8・9と、Jから上のカードが揃っているわ。一番小さな数字のカード二枚の組み合わせでも、7と8の合計15なのだから、スペードの6と組み合わせるカードは10以上でないと勝てない計算になるわね」
「その通り。いくら手札を整えたいって思っても、スペードの6と8の組み合わせじゃ合計14だもんね。それじゃ勝ち目が無いよ」
 虹輝の手札の内容は、スペードの6と、8・9・10の三枚、そしてQ・K・Aの合計七枚だ。この五回戦でも姫乃に勝ちたければ、スペードの6と組み合わせるのは最低でもスペードの10という事になる。そして当然、白鷺姫乃ほどの人間であれば、その更に上の手を打ってくるのは当たり前の展開だろう。姫乃は同じ失敗を繰り返すような少女ではない。
「僕がスペードの6と組み合わせるのは、スペードの10ではなく、もう一つ上のスペードのQ。姫乃さんならそこまで予測してくるだろうね。つまり姫乃さんは僕の出してくるカードの合計が18だと考え、それに勝てる組み合わせのカードを出してくるはずだ」
 手札の中から二枚のカードを選び、虹輝は裏向けて場にセットした。姫乃の手札の中からできるだけ小さい数字の組み合わせで、合計18に勝てる組み合わせのカードを選択するとしたら……それはハートの7とQしかない。これなら合計19となる。
 という事は当然、虹輝は合計19を上回るカードの組み合わせをぶつけてくるだろう。スペードの6と組み合わせるとしたら……スペードのAか? いずれにせよこの五回戦もまた、虹輝の勝ちとなる。星の差は、姫乃の三敗に対して虹輝は未だ一敗。ゲームがかなり男子軍優勢に傾くのは間違いなかった。
「オープン」
 姫乃がゆっくりと、自分のカードをひっくり返していく。現れた絵柄は、ハートの7とQ。見事に虹輝の予想通りだ。
 一度ならず二度までも、虹輝が姫乃のカードを言い当てた事で、ギャラリーの女子たちの間に動揺が広がりつつあった。まさか虹輝がここまで善戦するとは予想していなかったらしい。逆に男子たちのボルテージは上昇する一方だ。姫乃が三敗となれば、あと二回負ければ素っ裸になる。長年の悲願がついに達成される時が来るのだ。
 しかし何故か、当の姫乃は落ち着き払っていた。自分のカードの内容を二回連続で言い当てられたにも関わらず、全く取り乱していない。むしろその口元には小さな笑みすら浮かんでいた。姫乃にとって、四回戦でカードの内容を推測されたのは予想外だったかもしれないが、少なくとも五回戦で言い当てられた事は予想の範囲内。むしろ好都合とさえ言える――。そんな空気が、今の姫乃からはひしひしと伝わってくるのだ。
「……僕がスペードの6とAを出してくれてラッキー、って感じかな?」
 未だオープンしていない、自分の出した二枚のカードを見遣りながら、虹輝が言葉を継ぐ。
「何の事?」
「とぼけなくていいよ。二連敗しても僕の手札の内容が悪くなればそれでいい。今の姫乃さんはそう思っていそうだからね。羽生さんじゃなくても、それくらいの洞察はできるさ」
「そりゃ、虹輝くんが数字の大きなカードを消費していけば、後々私に有利になるけれど……負けが込むのも苦しいのには違いないわ。次の勝負で私が確実に勝てる保証なんてないんだから」
 素知らぬ顔で追及をかわそうとする姫乃であったが、虹輝は妥協しようとはしなかった。勝つためには手段を選んでいられないのだ。少しでも相手の隙を突き、ゲームの流れを引き寄せなければならない。そのためにも追及の手を緩めるわけにはいかないだろう。
「確かに次の勝負で勝てる保証はないね。でも僕がこの五回戦でスペードのAを使ってしまえば、手札の内容は数字『3』分も姫乃さんに劣る事になってしまう。手札の内容を整えたまま、姫乃さんが六回戦で負けを取り戻すのは簡単だ。そして自分が先攻の七回戦では、秘策を使って確実に勝つ方法がある。だから姫乃さんは安心してるんでしょ? 負けが先行したってそんなもの、後でいくらでも取り返せる自信があるからね」
「……虹輝くん、あなたまさか……」
 ゲームが始まって以来初めて、姫乃の顔に狼狽の色が浮かんだ。桃香でなくても彼女の焦りは手に取るように分かる。あの白鷺姫乃が、虹輝に対して脅威を感じている。それは紛れもない事実であった。
「でも、姫乃さんの思い通りにはいかないよ。悪いね、姫乃さんがやろうと思っていた秘策は……僕が先に使わせてもらう」
 言いながら、虹輝は自分の出したカードをひっくり返していった。裏向けられたカードに描かれていた絵柄は、一枚はスペードの6。そしてもう一枚は――。
「スペードの、8……か」
 姫乃が苦々しげに呟く。虹輝の出したカードはスペードの6と8。一番小さな数字の組み合わせだった。合計は14。姫乃のハートの7とQを組み合わせた19には遠く及ばない。この五回戦は姫乃の勝ちである。虹輝は姫乃のカードの内容を完璧に推測していながら、しかしあえてそれより劣る数字のカードを出してきたのだ。
 観客たちから沸き起こる、歓声と悲鳴。だが勝ったはずの姫乃に笑みは無く、逆に負けた方の虹輝は不敵な笑みを浮かべていた。それが意味するものは何か? クラスメイトの中に、二人の真意に気付いている者は、ほとんどいなかった。




「何やってやがるんだ、犬飼の奴。せっかく連勝できるチャンスだったのによ」
 礼門が苦々しげに言い捨てる。見事に姫乃のカードを言い当て、二回連続で勝つとばかり思っていたのに、あえて虹輝は負けるカードを切ってきた。手札の内容を整えるという意味合いがあったのかもしれないが、それにしても勿体ない話だ。二連敗させればかなり姫乃を追い詰められるはずだったのに。
 ギャラリーの男子たちも同じ事を考えているようだ。口々にブーイングを発して虹輝を非難している。彼の真意に気付いているのは、僅かに士郎や清司、鮫島くらいなものか。あの桃香でさえ、虹輝の行動は理解しかねている様子だった。
「まだゲームは中盤戦なんだから、Aのカードを切る決断が付かなかったって事かしら? さすがに数字『3』分の開きは大きいものね」
 言いながらも、桃香は自分で自分の推測に合点がいっていないらしい。相手を二連敗させるプレッシャーを放棄してまで、手札を整えた虹輝の真意を計りきれていないのだ。姫乃がやろうと思っていた秘策というのも気になる。
「――ポイントは、白鷺が三回戦で使ったカード三枚切りだな」
 傍らの士郎がそう呟いた。
「どういう事?」
 怪訝に訊き返す桃香。
「この脱衣カードゲームは、勝ち星を狙いに行けば手札の内容が悪くなるし、手札の内容を整えようとすれば負けが込んでしまうっていう、ジレンマのゲームだ。しかもお互いの手札が同じ条件で、内容も筒抜け。ジレンマのバランスをどう取るのかが勝負のポイントだろうな」
「そんな事わかってるわよ。問題は、犬飼が手札を整えて何をするつもりなのかって事でしょ?」
「まぁ聞けよ。ジレンマのバランスって点から三回戦の内容を見ると、白鷺の戦略がよく分からなくなるだろ? あいつはあのカード三枚切りで何をしたかったんだ? 虹輝の出すカードを予測できていただろうに、数字の小さいカードを三枚、雑然と出しただけだ。手札の内容は虹輝より良かったにもかかわらず、勝ち星を得ようともしなかった。死に物狂いで勝ちを狙いに行く……なんて言ってるのにさ」
「そう言われてみると……」
「つまり白鷺のカード三枚切りには、勝ち星を得るためでもなく手札を整えるためでもない、もっと別の目的があったって事になる」
 その目的とは何か? 偶然にもその手がかりは、さっきの桃香自身の言葉にあった。
「お前言ったよな? まだゲームが中盤戦だから、虹輝はAのカードを切る決断が付かなかったんだろうって」
 この五回戦に臨んだ際、手札のカードは残り七枚という状態だった。十三枚の手札から始まったゲームは、いよいよ後半戦に突入となる。終盤での戦いに備えて、最強のカードであるスペードのAを温存しておこうと考えるのは、当然の発想だろう。
「それがどうしたのよ。あたしは何も変な事は、言って……な……い?」
 言葉の途中で、桃香の顔色が見る見る変化していった。ようやく彼女も気付いたのだ。姫乃と虹輝の行動の真意に。
「嘘でしょ……まさか、そんな手が?」
「カード三枚切りで一気に手札の数が少なくなれば、ついつい『残りのカードを上手く遣り繰りしてゲームを進めなければならない』と思っちまう。いや、そう思い込ませる事が白鷺の狙いだったのさ。ところが虹輝はその罠に引っかからなかった。逆に白鷺を出し抜いて、あいつより先に秘策をぶつけるつもりだ。見ろよ、あの自信に満ちた表情。次の六回戦は確実に勝てるって分かってなきゃ、あんな顔にはならないはずだぜ?」
 虹輝は敗北のペナルティとして、白い半ズボンを脱いでいるところだった。まだ左右のソックスは着用したままなのに、なぜズボンから脱いでいるのだろう? エメラルドグリーンのTシャツは丈が長く、下着もほとんど見えないから羞恥心はそれほど感じないようだが……。
 ともあれ士郎が言った通り、虹輝の顔には確かに自信が満ち溢れている。二敗目を喫した苦悶の色など微塵もなく、逆にゲームの主導権を握りつつある余裕さえ窺う事ができた。二敗同士で星の差が縮まっても何の問題もない。次の勝負で確実に勝って、また星一つリードできるのだから。
「何だ? お前ら、さっきから何の話をしてるんだ?」
 話に全くついていけない礼門が割って入ってくる。他のクラスメイトたちと同じく、彼には姫乃の真意も虹輝の真意も、全く推し量れないようだ。士郎が呆れたように解説してやった。
「まだ分からないのか? 確かに最初に配られた手札は、虹輝も白鷺もそれぞれ十三枚しかなかった。それにこのゲームは手札が減る一方で増える事は無い。けどな、その十三枚の手札だけで勝負を付けなくちゃいけないなんて事は……ルールのどこにも書いてないんだ」
「はぁ?」
「書いてあるのは、『ゲームには未開封新品のトランプを一セット使用する』って一文だけだ。つまり――」
 そこまで言ったところで、虹輝が沈黙を破った。
「次は僕の先攻だね」
 不敵な笑みを口元に浮かべ、彼は手に持っていた五枚のトランプの内容を一瞥する。そして一気に、全てのカードをまとめて、切り株の上に叩きつけた。腕を横一閃に薙ぎ払い、整然と五枚のカードを並べていく。
 そう、彼は残っていた五枚の手札を全て消費してしまったのだ。まだお互い二敗という状況にもかかわらず。
 その様子を確認しつつ、士郎は言葉を継いだ。
「つまり――、決着が着く前に十三枚の手札を全て使い切っても、何の問題もないって事さ」
 観客たちにどよめきが広がっていった。このゲームがてっきり、最初の十三枚のカードを駆使して相手を五敗にまで追い込むルールだと思っていた彼らにとって、ゲームの途中で手札がゼロになる状況が生じるとは、全く予想外だったのだろう。虹輝や士郎たちでさえ、途中からようやく気付いたくらいだ。最初からそれを想定していたのは、ルールを作った姫乃ただ一人……彼女以外には誰もいなかったに違いない。
「そうか……そういう事かよ。今の手札の状況でカードを全切りすりゃ、確実に白鷺に勝てるってわけか!」
 遅まきながら礼門も状況を把握した。今の虹輝の手札は、スペードの9と10、それにQ、K、Aの五枚だ。合計は58となる。一方の姫乃は、ハートの8、9、11と、K、Aの五枚。合計は55で、虹輝のカードには遠く及ばなかった。虹輝は五回戦の勝負を捨てる事で手札を整え、全切りすれば勝てる状況に誘導した上で、自分が先攻のこの六回戦で、満を持して秘策を用いたのである。姫乃も自分の先攻が回ってくる次の七回戦でカード全切りを使うつもりだったのだろうが、タイミングを計っている内に、虹輝に先を越されてしまった形だ。まさか虹輝がこの秘策に気付いているとは思っていなかったらしい。
「……さすが虹輝くん。この勝負は私の完敗ね」
 彼がカードを全切りしたのなら、姫乃も同じく全切りせざるを得ない。たとえ、必ず負けると分かっていても。
 姫乃は自分の手札を全て切り株の上に並べ、両者が同時にオープンしていく。結果はもちろん姫乃の負け。彼女は大人しく、左手のリストバンドを取り外していった。これで虹輝の二敗に対して、姫乃は三敗。星の差は再び虹輝がリードする形となった。
 先の五回戦で姫乃が勝った事に歓喜した女子たちは落胆し、逆に虹輝の失策を責めた男子たちは、彼の見事な戦略に舌を巻いた。確かに鮮やかな手腕である。
 しかし、ギャラリーの中には、勢いに流される事なく冷静に状況を判断している者もいた。礼門だ。
「いや、待て待て。よく考えたらこれ、そんな大した手でもねぇだろ? 六回戦で確実に一勝したとしても、その準備のために五回戦で一敗してるんだ。だったら結局、星の数はプラスマイナスゼロじゃねぇか。これってそんなに凄い秘策か? 二連勝するくらいの収穫があるなら話は別だけどよ」
 彼の指摘はもっともであった。一勝をもぎ取るために、あえて一敗を受け入れるのであれば、結果としては大して変わらない。五回戦で勝ってしまうと、手札の内容が悪い六回戦で負けてしまい、さらに七回戦のカード全切りで姫乃に二連敗する可能性もあったので、それを防いだという意味では価値ある戦略ではあるが……秘策と言うには少し拍子抜けする戦果とも言えた。
「馬鹿ね。目先の星の数なんて今はどうでもいいのよ」
 桃香が冷たく言い捨てる。
「肝心なのは、犬飼の側からカード全切りをして、ルールが想定していない状況を創り出す事。姫乃の作った土俵に、少しでも自分にとって有利なルールを追加する事。つまりゲーム全体の主導権を握る事……にあるんだから」
 彼女の言葉を裏付けるかのように、虹輝は矢継ぎ早に話を進めていった。
「さて、と。どうしようね姫乃さん? まだ決着は付いてないけど、お互い手札が無くなっちゃったよ。こういう状況はルールには書いてなかったし」
 それは姫乃の考えが足りなかったという事なのだろうか? 否、彼女は自分からカード全切りを仕掛けるつもりだった。ゲームの途中で手札を使い切る事は予想済みのはずだ。
 手札を使い切った状況がルールに想定されていなかったのは、ルールの不備ではない。言わば『遊び』……途中でルールを改変するためにあえて設けられていた、余裕を持たせるための間隙なのである。ゲームの進行を見極めながら、流れに応じて途中からさらに自分有利にルールを改変する。そのためのクリアランスであった。
 確かにルールの文言には、一度ゲームが始まれば、ルールを変更する事は一切認めないと規定されている。だがルールに想定していない事態が生じれば、新たにルールを追加せざるを得ない。姫乃はそこでさらに自分有利なルールを付け加えるつもりだったのだろう。最初からルールに明記していなかったのは、ゲームの進み方によって相手の実力や星の差などを見極め、どんなルールを追加するか調整できるようにするためだ。
 ところがカード全切りを虹輝に先に使われてしまったため、ゲームの主導権自体を彼に奪われる事になってしまった。これは姫乃にとって手痛い誤算であろう。逆に虹輝にとっては、姫乃の作った土俵の上に、少しでも自分有利なルールをねじ込む、絶好のチャンスと言えた。この状況を手に入れる事が、カード全切りを自分から行った最大の目的なのである。今の虹輝が、その千載一遇の機会を逃すはずもなかった。
「ルールには未開封新品のトランプを一セット使用するって書いてあるよね。という事は、スペードとハートのカードを使い切っても、まだ残っているカードを手札として使えばいい。クラブと、ダイヤのカードだ」
 虹輝は切り株の端に除けてあった山札を指さした。切り株の中央にある、使用した手札をまとめてある山札とは別のカード。最初に選り分けた、二十八枚の未使用カードである。
「とりあえず、僕がクラブのカードを、姫乃さんがダイヤのカードを使う。それはいいよね?」
「ええ、もちろん」
「それと、カードを出す枚数に制限を付けよう。何枚でもカードを出していいなんて事になれば、クラブとダイヤのカードもすぐに無くなってしまう。一度に出せるカードは二枚まで。そうすれば、決着が着く前にまた手札を使い切る事態にはならないと思う」
「ずいぶん一方的に決めてしまうのね。ちょっと強引じゃないかしら?」
「元々ルールを決めたのは姫乃さんだ。僕がこれくらい口出ししても、罰は当たらないと思うけどなぁ」
 一番最初にゲームが始まった際、姫乃が当然のようにカードを配分して、先攻を決める方法もジャンケンにしたのとは対照的だった。今度は虹輝が進行の主導権を握っている。
 だがもちろん、甘んじてその状況を受け入れる白鷺姫乃ではない。
「なら私からも提案していい? まず一度に出すカードは、『二枚まで』じゃなくて、『必ず二枚』にする」
 虹輝の表情に緊張が走った。『二枚まで』と『必ず二枚』では全く意味合いが異なってくる。前者は一枚か二枚か選択する余地があるが、後者ではどんな状況でも必ず二枚のカードを切らなくてはならないのだ。
 しかしそれが何を意味するのか、虹輝は推し量りかねているようだった。もちろん、士郎や桃香、礼門にも姫乃の意図が分からない。だが少なくとも、その変更で虹輝が圧倒的に不利になる可能性は低いと思われた。
「……別に、僕はそれでいいよ」
「ありがとう。それともう一つ」
 姫乃は未使用のカードの山札を手に取り、表向けて整然と並べ始める。枚数は全部で二十八枚。クラブのカードがAからKまで十三枚と、ダイヤのカードも同じく十三枚。そして残り二枚は……トランプに必ず封入されている、ジョーカーのカードだ。
「このジョーカーも折角だから使いましょうよ?」
 それは虹輝にとって思いもよらない提案だったようだ。表情から滲み出る焦りの色を隠しきれていない。逆に姫乃の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
 奪ったかに見えたゲームの主導権が、再び姫乃の元に引き戻されていく。さすが白鷺姫乃。本気を出した虹輝でさえ、彼女と互角に戦うのは、至難の業のようだった。
 ゲームの行方は、まだまだ予断を許さない。




 同時刻。
 脱衣カードゲームが白熱する中、その現場となっている林の中を進む、二つの人影があった。
「まったく……足を挫いたなんて言うから飛んでいったら、仮病とはね。心配して損しちゃったわ」
 人影の一つは斑鳩美月。お馴染みの白いジャージー姿だ。
「えへへ、ごめんなさーい。でも良かったでしょ? 足を挫いた可哀そうな女子生徒なんていなかったんだから」
 もう一つは、野暮ったい黒縁眼鏡にお下げ髪の少女。村咲まのみであった。
「それは今週一番の良い知らせだ……って、ロベルト・デ・ビセンゾに怒られるわよ」
「だってぇ、スポーツレクなんてつまんないんだもん。それより男子女子戦争の最終決戦がどうなったのか、そっちの方が美月先生も気になるじゃない?」
 どうやらまのみが足を挫いたと嘘を言って一組のスポーツレクを抜け出し、美月と一緒に二組の様子を見に行く最中のようだ。もちろんまのみの足取りは軽く、捻挫の片鱗はおろか、楽しそうにスキップさえして見せていた。うなじから束ねた一房のお下げ髪が、尻尾のように上下左右に舞い踊る。
 以前、姫乃が保健室で美月と会っていた際、姿を見せた時は敬語で話していたのだが……今は随分フランクな態度であった。あれから急速に仲が深まるような出来事でもあったというのだろうか。単なる一教師と一女子生徒の関係には見えなかった。
「……村咲さん。私の事は斑鳩先生と呼びなさい。前はあなたもそう言っていたでしょう?」
「いやでーす。斑鳩先生より美月先生の方が呼びやすいし。そっちの方が可愛いし」
「あのね、可愛いとかそういう問題じゃないのよ。私とあなたの関係は、あくまでただの教師と生徒。表向きはそれ以上でもそれ以下でもないの。ただでさえ、私たちの関係が暴かれそうになってるって言うのに、この上私たちの活動までバレたらどうなるか――。慎重にも慎重を期した方がいいわ」
「暴かれそうになってるって、誰に?」
 まのみは無邪気に訊き返してくる。自分たちの秘密が漏れているという危機感よりも、純粋な好奇心による発言らしかった。世間知らずというか、どこかズレたところのある少女だ。足場の悪い林の中だというのに、後ろ向きになって軽快なステップを繰り返している。
「ちゃんと前を向いて歩かないと、転んでも知らな……危ない!」
 言わんこっちゃない。刹那、まのみは踵を木の根に引っ掛けて、仰向けにバランスを崩してしまった。慌てて抱きかかえようとする美月。だがそれより先に、がっしりとした腕が彼女を背中から支えてくれる。お蔭で転倒せずに済んだ。一体誰が……?
「危ない所だったな、村咲。頭でも打ったら大変だったぞ?」
「え? あ、ありがとう……ございます。鮫島先生」
 噂をすれば影というやつか。まのみを支えてくれたのは、まさに彼女らの関係を暴いた、鮫島郡丈その人であった。男子女子戦争の最終決戦を観戦しているはずだが、こんな所で何をしているのか。
「鮫島先生、二組のスポーツレクはどうなさったんです? 引率者としてきちんと監督していただきませんと」
 美月はまのみの手を引いて、彼の腕の中から少女を引き離した。鮫島が白鷺姫乃以外の女性には一切興味を持っていない事は知っている。それでもこんな外道教師と、愛すべき教え子を密着させるのは耐え難いと思ったのだろう。助けてくれた事には感謝するけれども、それとこれとは話が別だ。
「いや何、ちょっと忘れ物をしてしまいましてね。これが無いと後々都合が悪いのですよ」
 鮫島がポケットから取り出したのは、密封チャック付きのビニール小袋。百円ショップなどでも何十枚とセットになって売られている、透明の小さな小袋だった。脱衣カードゲームを途中で抜け出してまで、そんな物を取りに行く必要があったというのか? 何のために?
「私の教え子たちは優秀ですからな。私がいなくても問題は無いでしょう。現に撮影のカメラも根墨に任せてあります。あいつのカメラワークはさすがに慣れたものでして、私なんぞよりよっぽど……」
「そんな事は聞いていません。万が一に備えて、不測の事態に対応できるようにしておくのが教師の仕事です。単なるスポーツレクでないのなら尚の事」
 通常のスポーツレクなら、活動補助のためのアルバイトである大学生などにも監督を手伝ってもらうのだが、脱衣カードゲームとなればそういうわけにもいかない。教頭に上手く話して、アルバイトたちは一組の補助に集中するよう手配してあった。鮫島が席を外せば、二組は生徒たちだけになってしまう。もし事故でも起きようものなら責任問題だ。
「分かりましたよ斑鳩先生。これからすぐに戻りますから。……お二人も観戦に向かう途中ですかな? よろしければご案内しますよ?」
「お気遣いなく。遠目にちょっと様子を見るだけです」
「え? そうなの? 残念、間近で見てみたかったのになぁ」
「そんなに面白いものでもないわよ」
 大切な教え子たちが、互いの裸をかけて凄惨な潰し合いをするゲームだ。そんな物を見て面白いはずが無い。美月は元々乗り気ではなかったのだが、まのみがどうしてもと言うから渋々連れてきたに過ぎなかった。
 それに男子女子戦争は五年二組の中だけの秘密という事になっている。部外者でこれを知っているのは、教師である鮫島と美月の二名だけ。美月がまのみに秘密を話した事は、姫乃たちすら知らないトップシークレットだった。まのみを連れてギャラリーの中に混じる事などできるはずもない。
「それは残念ですな。いよいよ脱衣カードゲームも佳境に入ってきたところなのですが。まぁ勝敗の結果は後でお知らせしますよ」
「それも結構です。知りたくなどありません」
 美月がぴしゃりと言い放つ。彼女にしてみれば、虹輝が勝とうと姫乃が勝とうと、どちらにせよ不愉快な結果である事に違いはなかろう。鮫島は肩をすくめると、そのまま踵を返し、林の奥へと進んでいった。その背中を見遣りながら、美月が付け加える。
「……村咲さん。彼が――鮫島先生が、私たちの関係を嗅ぎつけた人物よ。くれぐれも注意してちょうだい」
「へぇー、鮫島先生がねぇ。でもあの人が興味あるのは白鷺さんだけだから、そういう意味ではラッキーだったかな。別に私たちの秘密をどうこうしようってわけじゃないんでしょう?」
「それはそうだけど……」
「白鷺さんも大変だなぁ。あんな執念深そうな人に気に入られちゃって。いくら賢い白鷺さんでも、鮫島先生には勝てないんじゃないかなぁ」
 まるで他人事のような言い方だ。もちろん、まのみにとって姫乃は他人に違いないが、それでも同級生として、多少は彼女の身を案じても良さそうなものである。鮫島に負けるという事が何を意味するのか、まさか分からないわけでもあるまいに。
「ああ、その前に男子女子戦争の最終決戦があるんだっけ。まずは犬飼くんに勝たないと、鮫島先生どころの話じゃなくなるもんねぇ」
 かといって単に冷徹な態度なのかと言えばそうでもなかった。まのみの口調は、どこか一歩引いた立場から、冷静に事態を俯瞰している――そんな落ち着き払った口ぶりなのだ。姫乃が何を考え、何を目指して行動しているのか。まるで全てお見通しだと言わんばかりに。
 まのみが小さく呟いた。
「……『僕はもう、あのさそりのように』」
 ハッとして美月が視線を向ける。彼女は、詩の詠唱でもするかのように、目を閉じて淀みなく言葉を紡いでいた。
「『ほんとうにみんなのさいわいのためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない』」
 それは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節だ。自らの身体を赤く焼いて夜空を照らす、さそり座の伝承を聞いたジョバンニが、親友のカムパネルラに語った決意の言葉である。なぜ突然まのみはそのセリフを朗読したのか。理由は、美月にも薄々分かっている。
「白鷺さんと犬飼くん……。どっちが、カムパネルラになるのかな?」
 楽しそうに笑うまのみ。
 そんな彼女を、美月は複雑な表情で見つめていた。




 姫乃の出した提案はこうだ。
 新たに配られた十三枚の手札のうち、一枚をジョーカーと交換する。ジョーカーは言わばカス札で、数字は0として計算する。つまり実質的に手札としては使えないカードだ。
 そしてどのカードをジョーカーと交換するのかは、カードを裏向けた状態で、対戦相手が指定して決める。交換したカードはすぐに山札に移し、カードの絵柄は確認しない。
 早い話が、十三枚の手札の内、一枚をジョーカーと入れ替える事で手札から捨てるという内容だった。
「なるほど……。自分の手札は確認できるから、どのカードがジョーカーになってしまったのかはすぐ分かる。でも相手のジョーカーの正体は分からないってわけか」
「公平を期すために、ジョーカーを指定するのは自分ではなく対戦相手。でもカードを裏向けた状態で指定するんだから、結局は運任せという事ね」
「相手の手札の内容が筒抜けっていうゲームに、初めて運否天賦の要素を一つ入れる。そういう提案って事でいいね?」
 その提案を呑むかどうかは虹輝に委ねられている。カードを必ず二枚出すという提案は受け入れたのだから、もう一方の提案を蹴っても非難される覚えはあるまい。自分に不利と思えば、突っぱねる事も可能だった。
 虹輝としては、数字の小さなカードをお互い何枚か削減して、手札の枚数を減らした上でスピーディにゲームを進める――という提案をするつもりだった。どのカードを何枚減らすのか、そこに駆け引きの要素を入れる予定だったのだが……。カードを必ず二枚出す提案によって、手札を減らさなくてもゲームの進行を早める事は可能になったのだ。そういう意味では『必ず二枚』という提案を受け入れるリスクは低かった。
 このジョーカーの提案はどうだろう?
 元々虹輝も、手札を使い切った際のルール改変で、運否天賦の要素を少し入れようとは考えていた。完全に戦略をコントロールできる状況下では、やはり白鷺姫乃には勝てない……それは虹輝の偽らざる本音だ。この脱衣カードゲームのルールは姫乃が策定したもの。まともに戦えば勝ち目はなかった。何か不確定要素を入れる事で、奇跡の逆転勝利に賭けるしかない。もちろん不確定要素が自分に有利に働くとは限らず、逆に決定的な敗北に追い込まれる危険もあるが……。少しでも勝率を上げるにはこうする他なかった。
 それもまた、事実であろう。
「……いいよ。その提案も受け入れる」
 虹輝は意を決して返答した。姫乃が不確定要素を持ち込んだという事は、逆にそれだけ虹輝を警戒している表れでもあるのだ。戦略の理詰めだけで勝敗が決するゲームだと、自分の作ったルールを逆手に取られて虹輝に負けてしまうかもしれない。まさについさっき、カード全切りの秘策を先に使われてしまったように。むしろトリックスターの要素をゲームに組み込む事で、虹輝の追撃を上手くかわす事が出来る。彼女がそう考えても不思議はなかった。
 一か八か。
 虹輝も姫乃も、壮絶な神経戦の中で、お互い何度もギリギリの決断を強いられているのだ。
「じゃあ虹輝くん。まず手札をよくシャッフルして、裏向けた状態で並べてちょうだい。その中から私が一枚選ぶわ」
「分かった」
 姫乃の指示で、虹輝は自分の手札を十分に切って、それから横一列に並べていった。このトランプは未開封新品だったはず。裏向けてしまえばどれがどのカードかなど分かるはずもない。姫乃は十三枚のカードを一瞥すると、右から三番目のカードを指さした。
「それをジョーカーと交換してもらうわ」
 切り株の中央に置かれた二枚のジョーカーの内、一枚を手に取ると、虹輝は指定されたカードと入れ替えていった。抜き取ったカードは裏向けたまま、中央の山札に重ねていく。
「次は虹輝くんの番ね」
 同様に、姫乃も手札をシャッフルして一列に並べ、その内の一枚をジョーカーと交換する。虹輝が指定したのは、ど真ん中のカードだ。別に意図や戦略があって指定したわけじゃない。完全に運任せのセレクトだった。
 いや……待てよ?
 確かに姫乃から渡されたトランプは未開封新品だったが、もしかしたら渡される前に何かしらの手を加えられているかもしれない。虹輝の背中に冷たい汗が流れる。
 自然教室の期間中なら、手に入る工具は限られるし、同じトランプを買ってくる事もできない。だから虹輝は一晩トランプを預かっておきながら、何のイカサマを仕込む事もできなかったのだ。しかし姫乃がトランプを購入し、それを虹輝に手渡すまでには、かなりの時間的猶予があったはず。買ってきたのは自然教室が始まる前である。上手く接着剤を剥がして中身を取り出し、何らかの細工を施した上で元に戻してビニールパックの封をする……それを姫乃がやっていないという証拠はどこにも無かった。
 もしかして、自分はとんでもないミスを犯してしまったのではないだろうか? 不安に駆られながら、虹輝は自分の手札を手に持って、カードの内容をチェックしていった。
 虹輝の手札は十三枚。
 その内、一枚がジョーカーだ。
 足りない数字のカードは、クラブの7だった。可もなく不可もなくといったところか。クラブの2や3がジョーカーと交換されたなら万々歳だが、クラブの7はそれより高い数字のカードだ。かといってクラブのKやAといった最上位のカードと交換されたわけでもない。良くもなければ悪くもない、微妙な位置のカードがジョーカーとなっていた。
 やはり考え過ぎだったのだろうか? 姫乃がもしカードに細工を施していたのなら、間違いなくクラブのKやAとジョーカーを交換させただろう。クラブの7をわざわざ指定する理由が無い。いやそもそも、カードに細工をしたところで、虹輝にどのカードを選ばせるのか操作するのは不可能のはず。姫乃の手札のジョーカーを選ぶのは虹輝なのだ。イカサマで彼女がコントロールできるのは、虹輝の手札のジョーカーの位置だけで、自分のカードのジョーカーを選別する手段は無かった。それでは折角の小細工も片手落ちというものである。カードに目印などは付けられていないと考えていいだろう。
 姫乃は相変わらずのポーカーフェイス。どのカードがジョーカーになったのか、窺い知る事はできない。
 彼女が持つダイヤの十三枚のカードの内、どれか一枚がジョーカーと交換されている。その確率は十三分の一だった。一番弱いダイヤの2が選ばれる確率も、一番強いダイヤのAが選ばれる確率も、それ以外の他のカードが選ばれる確率も、全て等しく十三分の一である。もしハートの7なら虹輝とは互角、それ以上の数字のカードなら虹輝が有利となる。もちろんそれ以下のカードがジョーカーならば、虹輝は不利なのだが……相手のジョーカーの正体が分からない以上、自分が有利か不利かも分からなかった。それは姫乃の立場からも全く同じ事が言える。だからこそ運否天賦の要素と成りうるのだ。
 十三枚の手札を有効に活用して勝ち星を稼ぐ。
 それに加えて、必ず二枚ずつカードを出すという制約と、手札のいずれか一枚がジョーカーになっているという不確定要素。これら二点が、新たに脱衣カードゲームに追加されたルールであった。ゲームとしては連続しているため、次が七回戦に当たるものの、実質的には仕切り直し。新・一回戦と考えても良いだろう。奇数回なので先攻は姫乃……まさに最初の一回戦の再現である。
 異なるのは、前述の追加ルールと、そして勝ち星の数だ。
 最初の一回戦ではお互い勝ち星がゼロ同士だったが、この新・一回戦スタート時では、虹輝が二敗。姫乃は既に三敗している。ジョーカーの件があるとはいえ、手札の内容をリセットしてお互い十三枚に戻した状態で、勝ち星が一つ先行しているのは、かなりのアドバンテージと言えるはず。それもこれもカード全切りを姫乃に先んじて行った、虹輝の戦略の賜物だった。
「じゃあゲームを再開しましょうか。まずは私の先攻ね」
 姫乃が二枚のカードを選び、切り株の上に裏向けて並べていく。脇に選り分けていた山札……つまりクラブとダイヤのカードと二枚のジョーカーが手札として分配されたため、切り株の上はスッキリと整理されていた。姫乃が並べたカードを除けば、中央の山札しか余計な物は残されていない。
 さて、姫乃の次の一手――。
 一体どう読むべきか?
 虹輝は自分の手札を眺めながら、慎重に思案を巡らせていった。
 開始直後の最初の一回戦ならば、できるだけ小さな数字のカードから切っていくのがセオリーである。まだゲームの先が長い状況で、いきなり上位のカードを切ってしまっては手札の内容が悪くなってしまう。
 だが虹輝が二敗、姫乃が三敗という状況では、あまりカードを温存する意味も小さかった。姫乃はあと二回負ければ全て終わりなのだ。カードは必ず二枚ずつ切るのだから、JとQ、KとAという組み合わせをいきなりぶつける手もあるだろう。それでもし虹輝が二連勝すれば、その時点で勝敗がついてしまう。極端な話、できるだけ大きな数字のカードから切っていく戦略もアリかもしれない。
 だが問題はジョーカーの存在だ。自分のジョーカーの位置は把握しているが、相手のジョーカーの位置は分からない。それがこのゲームの最も難しい戦略ポイントであった。
 姫乃の立場に立って考えてみよう。
 もし手札の内、上位のカードがジョーカーと入れ替わっていたら、その場合、大きな数字のカードから切っていくという戦略は取りにくい。例えば、仮にQがジョーカーだったとすると、AとKを切った後、次はJと10という組み合わせにせざるを得ないだろう。これでは『私のジョーカーはQです』と相手に教えているようなものだ。ならば、ややランダムな組み合わせでカードを切っていった方が、相手に無用の情報を漏らさずに済む事になる。
 それに上位のカードを消費する事は、思っているよりもずっとリスキーな行動と言えよう。姫乃が脱衣カードゲームに勝利するためには、あと三回虹輝に勝たなくてはならない。上位カードにジョーカーが無かったとしても、大きな数字のカードから切っていく場合、AとK・QとJ・10と9の六枚のカードが必要になってくる。それで三連勝できればいいが、もし一度でも負けたら、姫乃はもう後が無い四敗になってしまうのだ。その時に上位のカードが残っていなければ悲惨である。四敗になった時点で、虹輝は手持ちの最上位のカードをぶつけて最後の一勝をもぎ取ろうとしてくるはずだから。
 そう考えると、星の差で一つリードしているという虹輝のアドバンテージは、想像以上に大きな優位性を持っている事が分かるだろう。虹輝はあと一回勝つだけで、姫乃を崖っぷちにまで追い詰める事ができる。対して姫乃はあと二回も勝たなければ、虹輝に同じだけのプレッシャーを与える事はできないのだ。
 このハンデを有効活用しない手は無い。
 とりあえずここは姫乃の出したカードを見て、そこから彼女のジョーカーの位置を推測する。勝負をかけるのは次の新・二回戦からでも遅くは無かった。姫乃と違って虹輝にはそれだけの余裕があるのだから。
 虹輝のジョーカーはクラブの7だ。クラブの6から下の下位カードは、まぁ捨てカードと見なして無視していい。脱衣カードゲームも終盤戦に入った今、下位カードの使い道など残っていないはず。ひとまず、クラブの8と9を出して相手の出方を探るべきだ。
 姫乃なら、その組み合わせから『クラブの7が虹輝のジョーカー』と推理してくるかもしれない。だがそれを見抜かれたとしても虹輝にはほとんど実害が無かった。虹輝はあと二回、姫乃に勝てばいいのだ。クラブの8と9を出してもなお、手札には10、J、Q、K、Aの五枚の上位カードが残っている。二回勝つために必要なカードの数は、最低でも四枚。五枚残してあるなら、戦略的な幅としては十分である。
「セット」
 ようやく、虹輝はクラブの8と9を引き抜き、切り株の上に並べていった。
「準備はいい? じゃあ……オープン」
 姫乃の合図と共に、それぞれ自分がセットした二枚のカードを展開していく。
 虹輝の出したカードは、言うまでもなくクラブの8と9。
 姫乃の出したカードは――。
「ダイヤの9とJ、か……」
 思ったよりも大胆なカードの采配に、虹輝は少なからず面食らった。姫乃が虹輝に勝つためには、あと三回の勝利が必要となってくる。つまりカードを最低でも六枚消費してしまうのだ。数字の大きい順から数えると、A・K・Q・J・10・9で六枚。ダイヤの9とJをいきなりぶつけてきた姫乃の戦略は、ある意味ではセオリー通りとも言えるし、ある意味ではギャンブルめいた賭けとも言えた。
 最終的な勝利に必要なカードの枚数を逆算し、選んだ六枚の中から数字の小さめのカードをセレクトする。確かに教科書通りのカードの切り方だろう。しかし序盤からいきなり上位カードを消費していくのは危険な賭けでもあった。今回は虹輝は様子見だが、次からはそう簡単に勝ちを譲るつもりはない。一回でも負ければ姫乃はたちまち劣勢に追い込まれてしまうはずだ。
 それともう一つ気になるのは、なぜ10をスキップしたのか? という疑問である。
 姫乃のジョーカーがダイヤの10という事なのか。それともそう思わせる偽装工作か。或いはジョーカーの位置を推測させないための撹乱か。判断を下すにはまだ情報が足りなさ過ぎた。
 まぁいい。
 取りあえず今は敗北の代償として、虹輝が一枚脱ぐのが先決だった。
「虹輝くん」
「大丈夫、分かってるよ」
 五回戦で負けた時に、ソックスではなく半ズボンを脱いだため、Tシャツの裾からチラチラと下着が見えてしまっている。その状態でソックスを脱ぐと、ギャラリーの位置によっては、虹輝のブリーフがバッチリ見られてしまうだろう。
 一回負けた時に靴を脱ぎ、二回目でソックス、三敗の時に半ズボンという順番にしておけば、長いTシャツの裾に守られて無用の恥を掻かずに済んだのに……姫乃の視線にはそんな憐憫の感情がありありと窺えた。気遣うような口調で脱衣の催促をしたのはその為だ。
 ……それはつまり、虹輝が何故この順番で脱いだのか、その意図を姫乃が全く気付いていない証拠でもあった。恐らく観客のクラスメイトたちも誰一人察していない。虹輝の策略はかなりのインパクトを与えられるはずだ。
「……今、脱ぐから」
 言うなり、虹輝は手札を切り株の上に置くと、Tシャツの裾の内側に両手を差し込んだ。自分のブリーフの両サイドをしっかりと掴む。躊躇うわけにはいかないのだ。そのまま一気に膝下まで引き下ろしていく。
「こ、虹輝くんっ? 一体何を……!」
 たちまち姫乃の頬が紅潮した。
「何って、負けたから身に着けているものを一つ脱いでいるんでしょ? そういうルールだったじゃないか」
「それは……そう、だけど……」
「ルールには、『脱ぐ数に決まりはないが、五回負けた時点で次に脱ぐものが無い状態……即ち素っ裸にならなければいけない』ってあるだけで、脱ぐ順番までは指定されていない。パンツを最後に脱がなきゃいけないなんてルールはどこにも無いわけさ」
「で、でも……きゃっ?」
 姫乃が珍しく、普通の女の子っぽい悲鳴を上げる。虹輝が膝まで下ろしたブリーフを、左右の膝を順番に上げながら、足から抜き取っていったからだ。直立不動の姿勢ならば、大き目のTシャツのお蔭でかろうじておちんちんは隠れている。だがちょっとでも動けばたちまち大事な所が見えてしまいかねない状態だった。ましてこんな動きをしたりしたら……。
 しかも姫乃は切り株を挟んで虹輝と真正面から向かい合っていた。切り株はそれほど高さもないため、姫乃の視線の高さからは、虹輝の股間を守ってはくれないだろう。彼女は顔を真っ赤にして、思わず目を背けてしまう。
 やはり姫乃は、この期に及んでなお、男子のおちんちんを恥ずかしがって直視できないらしい。これだけ激しい男子女子戦争に身を置いておきながら、未だに慣れるという事が無いのだ。虹輝は脱衣カードゲームのルールを逆手に取り、その姫乃の唯一と言ってもいい弱点を責める事にした。
「やだぁ、犬飼くんったら大胆!」
「もう姫乃には勝てないって諦めちゃってんじゃない?」
「こらーっ、Tシャツなんかで隠してないで、男らしく全部見せちゃいなさいよ!」
 もちろんそれは虹輝も大いなる恥辱を味わう、捨て身の戦術である事は言うまでもない。ギャラリーの女子たちは、虹輝の意外な行動に最初こそ面食らったものの、すぐに好色そうな笑みを浮かべて携帯を取り出していった。当然、虹輝の恥ずかしい姿を撮影するためだ。辛うじておちんちんこそ隠しているが、そこを守ろうとやや前屈みの姿勢になれば、後ろ側――おしりの下半分が露出するのは避けられない。
 たまたま虹輝の後ろ側にいた女子たちが、ニヤニヤと勝ち誇った顔でその痴態をカメラに収めていった。虹輝の左右にいる女子の中には、しゃがみ込んでどうにかおちんちんを撮影しようとする者さえいるくらいだ。もしお宝ショットを撮る事が出来たなら、その時点で虹輝は戦死。女子軍の勝利が確定するのだから、あながち彼女らの行動を破廉恥だと断罪する事はできなかった。まぁほとんどの女子は性的好奇心のみで行動しているのだろうが……。
 恥ずかしい。
 悔しい。
 大事な所を見られたくない。
 そう思わないと言えば嘘になる。けれども虹輝は必死に平静を装った。同じだけの動揺を姫乃に与えていると信じて。
 言うまでもないが、こんな姑息な手段で姫乃を倒せるなどとは、虹輝は一切思っていない。四回戦と五回戦で彼が行った、カードの数字当てと同じだ。姫乃に僅かでも心理的動揺を与え、勝機を一パーセントでも上げる事ができるのなら、やれる事は全てやっておく。ただそれだけの事である。
 どのみち負ければ素っ裸にされてしまうのだ。万が一、虹輝が姫乃に勝ったとしても、その時には虹輝もパンツ一枚の恥ずかしい姿にはなっているだろうと予想していた。無傷で倒せるほど白鷺姫乃は甘い相手ではない。どうせ恥を晒すのであれば、少しでも戦略的に効果のある恥の晒し方を考えるべきだろう。だからこそ、虹輝は五回戦で負けた時に、ソックスではなく半ズボンを脱いでおいたのだ。ソックスよりも先にブリーフを脱ぎ去るための下準備として。
 虹輝は再び手札を構えた。
 少しでも身をよじればたちまちおちんちんが露出してしまう不安定な状況。風がほとんど吹いていない事が唯一の救いだった。スパッツやアンダースコート無しにミニスカートを着用している女の子の心境とは、実際こんなものだろうか?
 だが姫乃だって同じ三敗である。本来であれば、彼女とてブラジャーかショーツは露わになっているはずだった。条件は同じなのだ。虹輝はそう自分に言い聞かせ、正面の姫乃を見据えた。
「――さぁ、ゲームの続きを始めようか?」
 一方の姫乃は、耳まで赤く染めていて、どうしても正面を向く事ができない。顔は虹輝の方を向いていても、視線は左右にせわしなく動いて落ち着きが無かった。この狼狽ぶりなら、虹輝は万に一つの勝機を掴めるかもしれない。
 ゲームの流れは、再び虹輝の方に傾きつつある。
 ……少なくとも、この時、虹輝自身はそう信じて疑わなかった。




 すっかり平常心を失っている姫乃の様子を、桃香は呆れながら眺めていた。
「まったく……何やってるのよ姫乃ったら。いくら相手が犬飼だからって、今さら男子のおちんちん程度で取り乱さないでよね」
 よもや姫乃が負けるとは思いたくないが、もし負けるのだとしても、こんな馬鹿馬鹿しい戦法で敗北するなんて到底納得できない。仮にも姫乃は自分を敗北に追い込んだ少女だ。虹輝程度に負けてほしくはなかったし、負けるのならもっと納得のいく負け方をしてもらいたかった。目の前におちんちんをチラチラされて、気が散って負けましたなんて絶対認められない。
「ルール追加の時に主導権を握り返したと思ったけど……犬飼の奴も食い下がるじゃない。流れは向こう寄り、か」
 苛立たしげに腕を組み、桃香は乱暴に言い捨てた。士郎が言った通り、スーパーモードを発動した虹輝の実力は、姫乃に勝るとも劣らない恐るべきレベルである。今の虹輝にスタンガン争奪戦のような権謀術数の騙し合いを仕掛けたら……桃香だって勝ち目はなかったかもしれない。
 虹輝を見込んでいた士郎はさぞや鼻高々だろうと視線を向ける。だが意外にも彼は、難しい顔で顎に手を当て、じっと虹輝の姿を見つめていた。
「どうしたのよ士郎。今の流れなら五分五分……男子の方が優勢なくらいなのに、随分不満そうな顔ね?」
 そう話しかけても反応はなかった。
「士郎?」
 自分の思考を巡らせる事に夢中になって、桃香の声にさえ気付いていないのだ。
「士郎ったら!」
「――まずいな」
「え?」
「虹輝の奴、気付いてないのか? あいつ、白鷺の仕掛けた罠にまんまと嵌り込んでやがる。このままじゃ……」
 姫乃の罠? 姫乃が一体何を仕掛けたというのか? 今の姫乃は、見えそうで見えない虹輝のおちんちんに気を取られて、完全に相手のペースに乗せられているだけだろう。それともあれが巧妙な演技だとでもいうのか?
「それって一体……」
「おい明石! どういう事だよそれ!」
 桃香が問い詰めるより先に、背後の礼門が割って入ってきた。士郎の肩を掴んで乱暴に揺すったため、ようやく彼も話しかけられている事に気が付いたようだ。目を見開いて振り返る。
「な、なんだよ郷里、いきなり」
「白鷺の仕掛けた罠だと? あいつ、まだ隠し球を持ってやがったのか!」
 自分の漏らした独り言を聞き咎められたのだと察し、士郎は再び前方を……対峙する虹輝と姫乃に視線を戻した。
「ああ。俺の考えが正しけりゃ、白鷺は実に巧妙に、自分の思う方向に虹輝の思考を誘導しやがった。大した女だよ。当の虹輝自身でさえ、全く気付いていないってのに」
「勝負はどうなるんだっ? お前言ったじゃねぇか、犬飼が本気を出しゃあ、白鷺の奴にも勝てるってよ!」
「勝てるなんて言ってないぞ。勝てると思う、って言っただけだ」
 どっちでもいい! ……と食い下がる礼門を肩越しになだめ、士郎はさらに付け加えた。
「観客の俺たちから見れば、虹輝のジョーカーも白鷺のジョーカーも、位置は分からない。だからこの後どうゲームが展開するのかも分からないのさ。どのカードがジョーカーと入れ替わったのかによって、カードの切り方も全然違ってくるからな。ただ……」
「ただ?」
「勿体つけてねぇで早く言えよ!」
 礼門に急かされても、士郎はあくまでマイペースだった。対峙している二人の様子を一瞥し、ゆっくりと、噛みしめるように言い放つ。
「このゲーム……もう『詰み』の段階かもしれない。俺の思い違いでなければ、白鷺にはもう決着が着くまでのカードの流れが見えているんだ。次の勝負で自分が何を出し、虹輝が何を出すか。その次は? さらにその次は? あいつは既に、その流れを完全に読み切っているのさ」
 士郎の言葉に、桃香も礼門も二の句が継げない。このゲームがもう詰んでいるだって? 馬鹿な。ルールを仕切り直して、まだ新・一回戦が終わったばかりではないか。確かに両者とも三敗同士。黒星の数は折り返し点を超えていた。それでもどちらが勝つかはまだ予断を許さないはずだ。
 それなのに士郎はもう勝敗が決したかのような口ぶりだった。
「フリチン寸前になってでも勝利をもぎ取ろうとする虹輝のガッツには敬意を表するけどな。けどもう遅すぎた。新・一回戦のカードの内容が全てだったんだ。あそこで虹輝は致命的な判断ミスをしちまった。それは恐らくもう取り返しのつかない失着。挽回できるチャンスがこの先あるかどうか……」
 桃香は先ほどの新・一回戦の内容を思い出してみた。姫乃がダイヤの9とJ。虹輝がクラブの8と9。確かに虹輝は敗北したが、これのどこが致命的な判断ミスだというのか? まだまだこの先、いくらでもフォローできる失敗としか思えなかった。とても姫乃の勝利が確定したとは言えない状況だ。
 しかし……囲碁でも将棋でも、一流の棋士になればなるほど、ゲームは最後まで続けないものである。囲碁はお互いの陣地の広さを競い合うゲーム。将棋は相手の王将を奪うゲーム。けれども、一流の棋士同士の戦いであれば、中盤まで打ったところでその先の流れが予想出来てしまい、片方が投了する事も珍しくなかった。三流の棋士ほど、勝てる見込みのないゲームをだらだらと打ち続けてしまう。
 もしかしたらこの脱衣カードゲームも既に、勝敗は決しているのかもしれなかった。姫乃や士郎にはその流れが見えているのだ。自分や礼門、そして虹輝には見えていない何かが、二人には見えている。
 そしてそこから導き出される結論はもちろん――。
 士郎が苦々しげに呟く。
「……このままじゃ、虹輝は負けるかもしれないぞ」
 男子軍の敗北。
 そして女子軍の勝利であった。
 
 
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