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第十七話 『さよなら、桃香』

2015-02-13

「よーし、もう出てきていいぞ」
 鮫島が小声で叫ぶ。桃香の深夜の露出散歩はまだ続いていた。
「ったく、お前ら無茶するなぁ」
 階段から二人が顔を見せると、さすがの鮫島もあきれ果てた様子でそう呟いた。
「だって祢々子が……」
「えー? 祢々子のせい? 少しでも早く進んだ方がいいと思っただけなのにぃ」
「分かった分かった。ほら、もう十一時五十分だ。急がないと部屋に戻れなくなる」
 ここで話し込んでいて、さっきの一組の男子たちがドアを開けたら、それこそ目も当てられない。鮫島は階段を上り始めた。祢々子もそれに続く。
「ちょっと……待って? トイレに行くんじゃ……」
「あれ言ってなかった? 二階のトイレの方に行くんだよ。そっちの方が給湯室があるから、お湯も使えるし」
 祢々子がリードを引くと、桃香もこれに従うしかない。素っ裸で四つん這いになり、階段を一段ずつ上っていった。お湯なんかどうでもいいから、一階のトイレを使わせてくれればいいのに……そう思っても反論は許されない。今の桃香は、祢々子の飼い犬に過ぎないのだから。
「しっかし暮井は情け容赦が無いなぁ。羽生の奴をそこまで平然と犬扱いするとは、先生びっくりしたぞ?」
 鮫島が背中越しに苦笑する。
「そんなに羽生の事が嫌いだったのか?」
 桃香の事が憎いから、こうやって嬉々として犬扱いしているに違いない。鮫島はそう思っていたし、桃香自身もそう感じていた。だが祢々子はキョトンとした様子で首を傾げる。
「え? 別に祢々子、桃香ちゃんの事好きだよ? 一番の友達だもん」
「ほーう。そりゃ面白いな」
「最近の桃香ちゃんはギスギスしてて嫌だったけど、今日すっぽんぽんになって男子ともエッチしちゃって、やっと祢々子たちと一緒になったって感じだよね。みんなの中心になって偉そうにしてる桃香ちゃんも好きだけど、こうやって情けない格好してる桃香ちゃんも好き。それだけだよ」
 祢々子には何の悪意もないという事か……? にわかには信じられなかった。てっきり、威張り散らしていた桃香に仕返ししているものだとばかり思っていたのだが。祢々子の言動はつかみどころが無かった。あどけない顔をして嘘をついているようにも見えるし、純粋に本心からそう言っている感じもする。
 復讐だとか仕返しだとか、純潔だとか貞操だとか、そんなものを超越した何かが、祢々子には見えているのかもしれない。どちらかと言えば、ただ単に何も考えていないだけという気もするけれど……。まぁそこが祢々子の祢々子たる所以か。
 踊り場で向きを変え、三人は残り半分の階段を上っていく。トイレはもう目の前だ。どうやら、トラブルなく無事に露出散歩は終わりそうだった。
 ――しかし昔の人は言っている。『百里の道を行く時は、九十九里をもって半ばとせよ』、と。事実、気を緩めるには早すぎた事を、桃香はこのすぐ後に思い知る事になる。
「おや? 鮫島先生」
 突如廊下にしゃがれた声が響いた。鮫島が階段を上りきった直後、何者かと鉢合わせしたらしい。祢々子と桃香が身を固くする。ここからでは壁に隠れてその人物は全く見えなかった。
「あ、ああ……教頭先生。どうなさったんです?」
 どうやら件の人物は、教頭のようだ。自然教室における最高責任者。なぜわざわざこんな宿泊棟に……。
「どうしたもこうしたも、十一時は私と斑鳩先生が見回りの担当ですから。いやいや、生徒たちも元気があってよろしいですなぁ。こんな時間になってしまいましたよ。そちらはどうですかな? 宿直室の集まりは無事に終わりましたか?」
「ええ、お蔭様で。生徒たちと正面から向き合って話し合った事で、彼らも心を開いてくれるようになりました」
 鮫島は和平会談のために宿直室を使う方便として、「問題行動のある生徒たちを集めて、特別に話をしたい」と申し出たらしい。教頭はその言葉を素直に信じているのだ。だから十一時の見回りで、姫乃たちが部屋にいなくても疑問には思わなかっただろう。桃香凌辱を終えた雑魚男子たちが、部屋に戻る途中ですれ違っても、何とかごまかしが効いたわけだ。
「それは良かった。私も、ようやく全ての部屋を見終わりましたのでな、これから自分の部屋に戻るつもりですが……」
 まずい、と桃香は反射的に思った。宿泊棟の階段は一か所……いま桃香と祢々子が身を潜めている、この階段しか存在しない。そして教師が宿泊する場所は、宿直室に泊まる数名を除いては、全て管理研修棟に部屋が用意されていた。つまり見回りを終えた教頭の取るであろう行動は一つ。これからこの階段を下りて、エントランスを抜けて宿泊棟を出ていくはずなのだ。それは身を潜めている桃香たちに真正面から対峙する事を意味していた。
 祢々子の顔を見上げると、さすがの彼女も事態を呑み込んだのか、身体を硬直させている。当然だ。階段には身を隠す場所などどこにもないのだから。鮫島が時間を稼いでくれている間に、何とか一階まで戻ってトイレにでも逃げ込まなければ、桃香も祢々子も鮫島も……そして五年二組の全員が、破滅の運命を辿る事になる。男子女子戦争の秘密が教頭にバレてしまうのだ。
 二人は視線を交わす事もなく、しかし息の合ったタイミングで、ほぼ同時に踵を返していた。全くの無音のまま、可能な限り素早く階段を下りていく。
 だがその動きはほんの数歩で止まる事になった。
 よりによって、階段の下から足音が聞こえてきたからだ。さっきの一組の男子か? 桃香も祢々子も、全身から汗を噴き出して身体を強張らせた。
 ――ああ、もうお終いだ。
 桃香は観念した。
 前門の虎、後門の狼。行くも地獄、退くも地獄。階段を上ろうと下りようと、もはや二人の姿を誰かに見られてしまう事は間違いなかった。素っ裸の精液まみれで、犬の首輪を付けられ、クラスメイトにリードを引かれている様を見られるのだ。言い訳などできるはずもなかろう。
 これで男子女子戦争の秘密は大人たちの知るところとなってしまう。結局、虹輝と姫乃は脱がされる事なく、戦争は中止という結末だ。こんな事ならもっと早くに戦争の秘密をバラして、自分だけでも確実に助かるようにしておけばよかった。桃香が散々級友たちに仕返しされた今頃になって秘密が暴かれる事になるとは……。
 いや、待てよ?
 この土壇場になって、それでも桃香の頭脳は未だ冴えを失ってはいなかった。焦燥に駆られる心とは裏腹に、頭は冷静に状況を分析していく。
 足音の主は本当に男子だろうか?
 階段を上がった所では、まだ鮫島と教頭が話し込んでいるのだ。階段を上ってきている人物にも、その声や気配は伝わっているはず。男子生徒ならノコノコ教師に近づいていく理由が見当たら無かった。消灯時間はとっくに過ぎているのだ。教師に見つかれば大目玉を食らうのは想像するまでもない事だった。
 だとすれば、こんな時間に階段を使う可能性のある人物は、ただ一人しかいない。
 教頭と一緒に見回りを担当している、斑鳩美月。彼女に間違いないだろう。既に男子女子戦争の秘密を知っている彼女になら、今の桃香の姿を見られたとしても、最悪の事態だけは回避できるはずだ。
 しかし……。それに気付いたところで、桃香の胸に安堵の念は広がらなかった。階段を上っている人物は、既に踊り場の直前にまで差し掛かっている。
 もしその人物が美月だったとしても。踊り場で向きを変えてこっちに視線を合わせた時、果たして平静を保っていられるのだろうか? 突然目の前に、犬の首輪を付けた素っ裸の少女が現れるのだ。恐らく反射的に小さな悲鳴を上げてしまうに違いない。そしてその声を聞きつけた教頭も、何事かと驚いて階段を覗き込んでくるはずだった。結局は同じ事。教頭にバレてしまう結末は変わらなかった。
 万事休すだ。
 いよいよ本当に、正真正銘、絶体絶命のピンチに追い込まれてしまった。もはや自分の力ではどうする事もできない。万策尽きた今の桃香の取り得る行動と言えば、情けないが神仏にすがってひたすら祈る事だけである。奇跡が起きて上手くこの場を切り抜け、教頭にバレる事無くトイレまで逃げおおせますように……。柄にもなく、彼女は今まで当てにした事も無かった神様とやらに、祈りを捧げ始めた。
 ああ、神様。桃香は悪い子でした。もう二度と、クラスメイトを虐めて喜んだりしません。友達を陥れて嘲ったりしません。みんなと進んで仲良くします……。
 目を閉じ、一心不乱に懺悔を続ける。
 だからお願いします。一度だけでいいです。一度だけ、桃香を助けて下さい。どうか、斑鳩先生がこっちを見た瞬間、驚きの声を上げませんように。教頭先生に見つからないように、上手くフォローしてこの危機を救ってくれますように。男子女子戦争の秘密が、誰にも知られず守られますように。
 欲張りで注文の多い願い事なのは重々承知の上だったが、桃香はそう懇願せずにはいられなかった。彼女が全てを失うか否か。鍵を握っているのは、階段を上ってくる、足音の主。その反応次第なのである。
 そしてついに、件の人物の姿が露わになる。
 踊り場で向きを変えてきたのは、ジャージー姿の斑鳩美月。やはり彼女だった。問題はその次だ。シルバーフレームの眼鏡に、桃香と祢々子の姿が映る。薄暗い廊下の照明でも、桃香が一糸纏わぬオールヌードで犬の首輪を身に着け、そのリードを祢々子が握っている事くらい一目で分かった。
 刹那。
 眼鏡の奥の美月の眼が、大きく見開かれる。
 お願い、声を出さないで……。
 桃香はそう祈り続けるが、普通の女性なら――いや男性であっても、ここで思わず声を漏らしてしまうのは無理からぬ反応だった。階段の踊り場で向きを変えた瞬間、誰かがいれば驚くのは当然のリアクションであろう。ましてその『誰か』が裸の少女ならば、悲鳴を上げない方がおかしいというものだ。
 けれども、美月は聡明な女性である。彼女は寸でのところで悲鳴を呑み込み、辛うじて物音を立てずに状況を把握してみせた。表情には明らかに狼狽の色が窺えるが、どうにか声は出していない。
 ……男子女子戦争で桃香が負け、裸で深夜の散歩を強要されているらしい。その途中で教頭に見つかりそうになり、身動きが取れなくなっている。現況を整理するや否や、今度は自分が次に何をすべきか判断し、的確に実行に移していく。
 鮫島は教頭の足止めで精一杯である。階段を使われたら一巻の終わり。それを阻止するのが自分の役目……。美月は一瞬でそれを判断したらしく、無言で桃香と祢々子の脇を通り抜けていった。近くに寄れば、桃香が全身精液とおしっこまみれの無残な姿である事にも気付いただろう。臭いだけでも相当なものだ。
 それでも美月は顔色一つ変えなかった。ただ一つ、憐みのような視線を一瞬だけ見せ、すぐに階段を上りきっていく。そしてさも今気付いたかのような口調で、教頭に話しかけていった。
「教頭先生? あら鮫島先生まで。どうしたんです、こんな所で? 見回りはお済みになったんですか?」
「ああ、斑鳩先生ご苦労様です。こちらも一通り見回り終わったところですよ。今から自分の部屋に戻ろうと思いましてね」
 教頭がそんな行動をとれば全てが台無しだ。桃香たちが助かるためには、何としてでも一度、教頭を階段から遠く引き離さなければならなかった。でもどうやって? どんな口実を使えば、教頭を引き返させる事ができるのだろうか? 桃香には適当な言い訳が全く浮かんでこない。
 一方の美月は、さすが大人の女性である。状況を理解してからほんの十数秒で、瞬く間に教頭を誘導する理由をでっち上げていった。
「私も、さっき廊下に正座させた生徒たちを部屋に戻して、教頭先生にご報告してから帰るつもりでした。ただ……」
「ただ? 何か不都合な事でも?」
「お恥ずかしいのですが、部屋のカードキーを見回り中に落としてしまったみたいで。もしかすると二階を見回っている最中にポケットからこぼれたのかもしれません」
「ははぁ、それは一大事ですな。早速、施設の職員に頼んでスペアキーを貸してもらいましょうか」
「いえ、それよりも……」
 巧妙に、しかも正確に、美月は会話の流れを誘導していく。
「落としたカードキーを悪用されては困りますから。何とか自分で探してみようと思います」
 仮にもうら若き女性の泊まる部屋だ。話の筋に不自然さはなかった。それにもし美月の身に何かあれば、状況によっては責任者である教頭の首が飛んでもおかしくはない。とすれば当然、彼のとるべき行動は決まってくるだろう。
「なるほど、万が一という事もありますな。いいでしょう、私も一緒に探しますよ」
「よろしいのですか? すみません、助かります。そこの廊下の角を曲がった、二組の部屋の前辺りで落としたのではないかと」
 鮮やかなものだ。あっという間に教頭を話に乗せ、階段から引き離してしまった。何という手腕。美月がもっと早く、積極的に男子女子戦争に関わってきていたら、戦争終盤の勢力図はガラリと変わっていたかもしれない。
 同時に、これほどの女性を沈黙させてしまう弱みとは一体何なのか? 鮫島が握ったという美月の弱みを、いつか知ってみたいものだ……そう思う桃香であった。
 とにかく今は、目前急迫の危機を乗り切るのが先決である。幸い、美月の誘導は功を奏し、彼女と教頭の話声は徐々に遠ざかっていた。廊下の角を曲がってしまえば視界からは完全に切り離されるはず。そうなれば給湯室の隣のトイレに逃げ込む事など造作もなかった。
 ようやく、桃香の胸に安堵が広がっていく。絶体絶命の危機は去り、辛うじて首の皮一枚、男子女子戦争の秘密は守られる事になった。あれだけ悪事を働いてきた桃香を、神様はまだ見捨ててはいなかったようだ。
「あ……」
 安心しきったからか。極度の緊張から解放された桃香の下半身に、生暖かい液体が滴り始めた。愛液ではない。緩んだ尿道口を通って、膀胱に溜まっているおしっこが漏れ出していったのだ。さっき宿直室で肛門に鉛筆を突っ込まれた際、失禁したというのに……まだ出足りなかったとは自分でも驚きである。たちまちアンモニア臭が広がっていった。
「あはは、やだー、桃香ちゃんお漏らし!」
 もちろん隣にいる祢々子はすぐに異変に気付いた。鬼の首を取ったように目ざとく桃香の失態をあげつらい、小声で嘲笑していく。危険が去って安心したのは祢々子も同じだ。様子を見に来た鮫島に向かって、得意げに囃し立てる。
「先生ぇー、桃香ちゃんがまたおしっこチビッちゃいました!」
「おやおや、桃香様ともあろうお方が何とはしたない。締まりの悪い下半身ですなぁ?」
「五年生にもなって人前でお漏らしなんて、恥ずかしいね!」
 かつて鮫島も同席していた教室で、耶美におしっこショーを実演させた桃香であるが……まさか自分も鮫島におしっこ姿を披露する事になろうとは。屈辱としか言いようのない醜態だった。
「カーペットに染みができてしまうな、こりゃ。後始末してやりたいところだが先生も教頭の後を追わないといかんし……」
 突然鮫島がいなくなれば、教頭も不思議に思うだろう。カムフラージュのためには、彼も美月のカードキー探しに付き合う必要があった。どうせ適当な場所で、彼女がポケットのカードキーをわざと床にでも置いて、いま見つけましたという演技をするだけなのだが。それで男子女子戦争の秘密が守られるなら安いものである。鮫島は祢々子に小声で指示を出していった。
「羽生のおしっこについてはまぁいいだろう。見て見ぬふりだ。教頭についても先生が上手くごまかしておくよ。暮井は羽生をトイレまで連れていってくれ。それが終わったら、さっさと自分の部屋に戻って早く寝る事。いいな?」
「はぁーい」
 あっけらかんと返事する祢々子。彼女は再びリードを強く引っ張り、桃香を四つん這いにさせた。
「さ、早くトイレに行こうか、桃香ちゃん? 先に服を運んでくれてる人が、きっとお待ちかねだよ?」




 やはり、桃香の着ていた服や下着、靴は、誰かが先にトイレに持ち込んでくれていたようだ。祢々子に先導され、給湯室を通り過ぎた桃香は、ようやく女子トイレの中に入る事が出来た。長い長い、深夜の散歩がようやく終わりを告げたのである。
「……よう、遅かったな。待ちくたびれちまったぜ」
 そう言って、中で待機していたのは。
 何と明石士郎。
 桃香の幼馴染みの男子生徒であった。一応個室に隠れていたようだが、万が一見つかればこっちも大騒ぎになっていたはずだ。随分と危険を冒したものである。トイレの中には、入浴棟から拝借してきたのか、風呂椅子や洗面器、シャンプーまで用意してあった。複数の洗面器にはお湯が張られ、温かい湯気が立ち込めている。
「じゃ、明石くん、後よろしくね! うわー、もう十二時回っちゃってるよ。明日も早いんだから、さっさと寝ないと朝起きれないよー」
 呑気な事を言いながら、祢々子は桃香の首輪の金具を取り外していった。
「散歩ごっこ、楽しかったね桃香ちゃん! また一緒にやろ? 今度は祢々子が犬の役をやってあげる」
 本気なのか冗談なのか。何ともリアクションに困る発言だ。困惑する桃香をよそに、祢々子は笑いながら一人さっさと女子トイレを出ていった。
 そして後に残ったのは二人だけ。
 士郎と桃香。
 実に気まずい空気だった。
 ――なぜ士郎がここにいるのだろう。桃香が考えているのはそれだけである。誰かが服を運ぶ必要があったにせよ、わざわざ男子である士郎がその役割を担う必要は全く無かった。そもそも士郎は桃香を憎んでいるはずなのだ。星空観察の時に告白してきたが、それは戦略上の嘘の告白。桃香の事など何とも思っていない事は、彼女が脱がされて助けを求めた時に無視した事からみても間違いなかった。むしろ自分も積極的に桃香に復讐してきたではないか。今も桃香の肛門に突き刺さっている十二本の鉛筆は、紛れもなく士郎がねじ込んだものだ。
「どうした? そんなとこでうずくまってないで、こっち来いよ。身体、洗ってやるからさ」
 桃香の叫びを無視した事も、肛門に鉛筆を突っ込んだ事も、まるで無かったかのような朗らかさで、士郎が呼びかけてきた。祢々子も何を考えているのかよく分からない人間だが、士郎も良い勝負だろう。あんな仕打ちを受けた後で、どうして彼の言葉に素直に応じられると考えるのか?
「なんで……」
「うん?」
「なんで、今さら優しくするのよ……。意味わかんない。そんな事するくらいなら、どうして助けてくれなかったのよ! あんただって面白がってあたしの身体、オモチャにしたくせに!」
 士郎は自分をからかっているのだ、と桃香は思った。星空観察の告白も、救いを求める声に応えなかった事も、鉛筆で復讐を果たした事も、全て桃香の心を傷つけるため。最初から一貫して、士郎は桃香の事を遊び道具にしか思っていなかったに違いない。
 よろよろと、桃香はその場で立ち上がった。トイレの床に四つん這いなんて不潔すぎる。立ち上がれば身体を士郎に見られてしまうが、今さらそんな事どうでも良かった。
「ハハハ、そうか、そういう事ね。あんたまだあたしとセックスしてないから、身体を綺麗にしてからエッチしようって思ってるんでしょ? いいわよ。どうせもう男子十六人と経験済みだもの。あんたとしたって十七人になるだけ。とっくに汚れた身体なんだから……いくらでもセックスしてあげるわよ。男なんてみんな考える事はおんなじね!」
 トイレの外にまで響きそうな大声で、桃香は士朗をなじり続けた。彼は何も答えない。肯定もしなければ否定もせず、ただじっと桃香を見つめ続けるだけだ。
「星空観察の告白だって、あたしをからかっただけなんでしょ! 人の気持ちも知らないで……人間として、やってることが最低なのよ!」
 士郎がおもむろに立ち上がり、静かに歩み寄ってくる。その表情はどこまでも穏やかで、どこまでも落ち着いていた。
「何とか言ったらどうなの! あたしの身体だけが目当てのく……」
 そして次の瞬間。
 士郎は突然、桃香の身体を抱きしめた。まるで星空観察の時のように。あの時と決定的に違うのは、桃香が一糸纏わぬ素っ裸で、しかも全身精液や尿で汚れている事だけだ。当然、そんな身体の桃香を抱きすくめれば、士郎の服も精液や尿で汚れてしまうわけだが……彼の行動に躊躇いの色は全く無かった。
「な……なに……を……」
「汚れたら、綺麗にすればいいだけだろ? だから今から俺が洗ってやるって言ってるのさ」
「馬鹿じゃないの! あたしが言ってるのは身体の汚れじゃなくて、その、女の子の……」
「女の子の処女は価値があるから、好きでもない男とセックスして非処女になった女の子は価値が下がるって事か? だから汚れた身体は取り返しがつかないって? へぇ、それならその言葉、俺じゃなくて宇崎や甲守に言ってやれよ?」
 ぐうの音も出なかった。
 そうなのだ。桃香は礼門を扇動して、みどりや耶美の処女を奪わせた。身体を汚される事が取り返しのつかない事ならば、それは桃香だけでなくみどりや耶美にも言える事だろう。自分一人だけが被害者面をしていいはずもない。
「それは……」
「非処女の女に価値が無いなんて、誰が決めたんだ? そんな事言う奴は、その女の子が好きなんじゃなくて、処女の女の子が好きなだけだろ? 俺はそうは思わないな。俺が好きなのは羽生桃香であって、処女の女の子じゃない。お前が誰とセックスしようが何人とセックスしようが、桃香が桃香であり続ける限り、俺が好きなのはお前だけだ」
 耳元で囁く士郎の声に、嘘偽りがあるとは思えなかった。その場限りの慰めではなく、本心からそう思っているらしい。身も心もボロボロにされてもなお、桃香の鋭い洞察力は未だ健在だった。
「本当に、そう思うの……?」
「もちろんさ」
「まだ……あたしを……。好きでいて、くれるの?」
「むしろ何で嫌いにならなきゃいけないんだよ。星空観察の時に言っただろ。俺はお前が好きだって」
「じゃあ何で……っ!」
 何で助けてくれなかったのよ、という言葉を、桃香は自ら呑み込んだ。そもそも、自分は助けられる価値のある人間なのだろうか? みどりや耶美の処女を踏みにじり、多くの男子を血祭りにあげ、雑魚女子を捨て駒にしてきた自分が。むしろ見捨てられて当然ではないか。クラスメイトを散々苦しめてきたくせに、いざ自分が苦しめられる番になると、助けてくれなかった事に恨み節を漏らす。そんな馬鹿な理屈もなかった。
「子供の世界ってのは残酷だからな」
 士郎は優しく手を引いて、桃香を個室の中に連れ込んだ。まずはお尻に突き刺さっている十二本もの鉛筆をどうにかしないといけない。和式便器に跨らせ、背後から鉛筆を手でつかむ。
「ま、待って……」
「どうせ抜かなきゃなんないんだ。我慢しろよ」
「そうじゃなくて、いま抜いたら……」
 桃香の返事も待たずに、士郎はいきなり肛門の鉛筆を引き抜いた。                                
「ひゃあぁん!」
 可愛らしい悲鳴と共に肛門がパックリと口を開ける。鉛筆が排泄された感覚を大便の排泄と誤認した身体は、そのまま括約筋を緩め、桃香の直腸に溜まっていた宿便をもひり出していった。本人の意志ではどうにも止めようが無い。
「やだぁ、見ないで! 見ちゃいやぁ!」
 まるで幼い少女のように……今でも十分少女だが、ともかく桃香は泣きながら懇願した。人前で排便なんて女の子にとって耐えられる屈辱ではない。まして見ている相手が好きな男子とあれば輪をかけて恥ずかしいものだ。便秘気味だった硬い大便は、そんな思春期の少女の羞恥心などお構いなしに、次々と肛門から飛び出して便器の中に落下していった。
「そんなに恥ずかしがるなよ。ウンコなんて誰だってするだろ?」
「ばかぁ!」
 慌てて桃香は水洗レバーを押し下げた。辺りには大便の臭気も立ち込めているのだ。自分のひり出したウンチをじっくり観察でもされたらかなわない。匂いの元を絶った上で、士郎を個室から追い出し、改めてトイレットペーパーで後始末を行っていった。
 桃香にとって唯一の救いは、排便行為を見た人間が士郎一人という事だけだ。もし他のクラスメイトや鮫島などに見られたりしたら、それこそ比喩ではなく本気で自殺も考えなければならなかった。衆人環視の元での排泄は、それくらい女として人間として、全てを失う事を意味している。
 その一方、あまりにも恥ずかし過ぎる姿を見られた事で、逆に桃香は、落ち着いて士郎と顔を合わせる事ができるようになっていた。これ以上ないというくらいの醜態を晒したのだ。もう恥ずかしがるのさえ馬鹿馬鹿しい。個室を出ると、素直に士郎の誘導に従い、風呂椅子の上に腰を下ろした。
「ちゃんとケツの穴は拭いたか?」
「う、うるさいわね! いいから話の続きをしなさいよ! 子供の世界は残酷とか何とか……」
 士郎はまずお湯で湿らせたタオルを用い、髪に付いた精液を丁寧に拭っていった。作業を進めながら口を開く。
「ああ。大人の世界はちゃんと罪の償い方が決まってるからな。人殺しだろうと強姦魔だろうと、逮捕されて裁判を受けて、決められた通りの贖罪を果たせば、社会復帰するチャンスだってあるかもしれない。けど俺たち子供の世界にそんなルールは存在しないのさ」
 よく大人は、子供は純粋だと言う。その言葉に偽りは無い。確かに子供は大人より純粋だ。純粋だからこそ……怒りや憎しみ、暴力やエロスといった負の感情に関しても、子供は大人より遥かに純粋なのである。
 大人の世界では、罪を犯しても決められた方法で償えば、やり直すチャンスはある。だが子供の世界にそんなルールは無かった。罪を償うための方法が決まっていないのだ。せいぜい、目には目を歯には歯を……というハムラビ法典ばりの報復ルールがあるくらいだった。自分がした事と同じ事を仕返しされれば、まぁ一応罪は償った事になる。その仕返しの様子をクラスメイト全員が見ていれば、クラスの連中もそれ以上うるさくは言わないだろう。
 つまりクラスメイトに散々悪事を働いてきた桃香が、もう一度クラスの仲間として迎え入れられるためには、どうしても全く同じ事を自分の身で受ける必要があったのだ。大人の世界ならこんな野蛮なルールは通用しない。恨みや復讐といった悪しき感情にさえ純粋な子供の世界ゆえの、残酷なルールだった。
「だから……士郎はわざとあたしを見捨てたって事……?」
 彼は洗面器のお湯をゆっくり、桃香の頭上から注いでいく。水で薄められ、適温になったお湯はとても心地よかった。それからシャンプーで丁寧に汚れを落とし始める。
「ま、俺自身、鉛筆の件じゃお前を恨んでいたからな。同じ事を仕返しできて、やっと胸のモヤモヤがスカッとした感じさ」
「そりゃ、酷い事したと思ってるけど……」
「仕返しは今日で終わりだ。明日からは俺がお前を必ず守ってやる。これ以上、お前がクラスの連中から酷い目に遭う理由は無いからな」
 このまま桃香が立ち直れなければ、彼女は明日からもクラスメイトの奴隷として悲惨な学校生活を送る事になるだろう。しかし桃香自身が凛とした態度を見せれば、彼らももう手は出せまい。同じ事をやり返すから仕返しになるのであって、それ以上の事をするなら、それはもう仕返しではなくただのイジメである。いや既にそれ以上の事……輪姦や露出行為も強要されているのだ。先に手を出した非を勘案したとしても、罪を償った桃香がこの上さらに、イジメまで受忍しなければいけない道理など、あるはずもなかった。
 髪を洗い終えると、それを頭上でまとめ上げ、士郎はタオルを巻きつけて器用に固定していった。次に別のタオルにボディソープを付け、背中を洗い始める。
「へへへ……なんか、昔を思い出すよな。よくガキの頃は一緒に風呂に入ったっけ」
「ば、馬鹿! 何でそんな昔の話を……もういいから貸してよ!」
 桃香はタオルをひったくり、自分で自分の身体の汚れを落としていった。背中ならまだしも、他の場所を士郎の手で洗われるなんて御免である。ちゃんと彼には、後ろを向いているように釘も刺しておいた。彼が素直にその指示に従うかどうかは不明だが……別に従わなくてもいいかと、内心ちょっぴり桃香は思っていたりする。
「俺がお前を守ってやるなんてカッコいい事言ってるけど、実際どうなのよ。男子女子戦争が続いてるのに、そんな事できるわけ?」
 彼女は全身泡まみれになりながら問いかけた。
「戦争なら明日で終わる。虹輝と白鷺の決闘でな。白鷺が勝てば女子軍の勝利だから、何の問題もないだろう? 虹輝が勝てば男子軍の勝利だけど……もしそうなっても、桃香に手を出させない方法はあるさ」
「どうやって……」
「白鷺をスケープゴートにすればいい。元々、決闘はあいつが言い出した事だ。それなのに白鷺が負けちまったら、当然女子は全員あいつを恨むだろう。男子だって、桃香よりは白鷺の方が好きって連中が多そうだからな」
 今日、男子たちがこぞって桃香を慰み者にしたのは、かつて自分たちのおちんちんを笑いものにした彼女への復讐という意味合いが強かった。それに対し、男子の姫乃への思いは少々ベクトルが異なっている。彼らにとって白鷺姫乃は、憧れの存在。高嶺の花。憎むべき敵というより、恋焦がれる相手であった。ルックスの良さでは桃香だって引けを取らないが、男子受けする性格という面では、姫乃に大きく水を開けられている。それは厳然たる事実だ。
「白鷺の作戦で脱がされて、恨みを抱いている奴は少ないだろうけど……上手く誘導すれば、白鷺一人に男子の相手をさせて、他の女子を助ける方法はある」
「でもそれじゃ姫乃が……」
 言いかけた時、士郎が洗面器のお湯で背中の泡を流し始めた。
「ちょっと、あっち向いててって言ったでしょ!」
「いいからいいから。けど意外だな。お前が白鷺の身を案じるなんて。自分と同じ目に遭えばいいなんて思わないのか?」
 さらに士郎は肩越しにもお湯を流してくる。
「別に、案じてなんかないわよ!」
 口を尖らせる桃香だったが、それが本心でない事は誰の目にも明らかだった。確かに姫乃は桃香にとって、自分を打ち負かし、命乞いを無視して男子たちへの生贄に差し出した憎むべき相手だ。だからと言って、自分と同じように裸にされて輪姦されればいい、などと思う程、桃香は幼くはなかった。そんな復讐に身を焦がしても、最後に味わうのは空虚だけ。姫乃が身も心も犯され尽くしたところで、桃香がレイプによって処女喪失した事実が変わる事はないのだから。
 姫乃が勝たなければ、女子軍の勝利もない。そんな打算以上に、桃香は自分を打倒したライバルへの確かな敬意を胸に秘めていた。だからこそ、姫乃には負けてほしくない。それだけだ。
「――ま、戦後処理に関しちゃ俺も色々とプランはあるからな。悪いようにはしないさ」
「悪いようにはしない……ねぇ。その言葉、どこまで信じていいものかしら」
 彼女は知らなかったが、士郎は桃香に対する扱いに関しても、虹輝に「悪いようにはしない」と言っていた。その結果がこれだ。確かにクラスメイトに対して禊を済ませるという意味はあったが、桃香にとってはあまりにも過酷な仕打ちであった。その士郎が、一体どんなプランを練っているのか。信用しろと言われても困る話だ。
 身体の泡を流しきった後で、士郎はバスタオルを手渡してきた。ようやく身体を清め終わり、桃香が下着を着け始める。
「おっと、そう言えば白鷺から預かってるものがあるんだ」
「預かってるもの?」
「生理用ナプキンっての? どうやって使うのか知らないけど、これをパンツに貼っとけば、精液で汚れずに済むってさ」
 膣内射精された場合、その精液は普通一晩くらいかけてゆっくりと排出される。アダルトビデオなどで、ペニスを抜いた瞬間にドロリと精液が垂れ落ちるのは、男優のテクニックによる演出だ。通常のセックスではあんな派手な光景が見られる事はまず無かった。つまりいくら綺麗に洗ったつもりでも、膣内射精された精液はゆっくりと体外に排出され、寝ている間にもショーツを汚してしまう事になる。
 精液は最初こそ白く濁った色をしているが、時間が経っとサラサラの透明な液体となり、さらに布に付着して乾燥すると黄色く変色したりする。さっき身体を洗った際に股間も拭っておいたが、膣内までは手では洗えなかった。クロッチを不自然に汚したショーツを家族に見られたら、そこから男子女子戦争の秘密が漏れる恐れもあるだろう。
「それでナプキン……。ハハハ、姫乃ってば、そこまで考えて準備してたのね」
 彼女が精液の特性に詳しいとも思えないので、ネットで情報を仕入れたのか、美月辺りがアドバイスしたに違いない。桃香はナプキンの包装を解き、ショーツの内側に貼り付けると、羽根をクロッチの外に折り曲げてから両足を通した。これで精液が垂れ落ちてきても安心だ。その様子の一部始終を士郎が珍しそうに横で見ているが、もう咎めるのも馬鹿馬鹿しい。見たければ好きなだけ見ればいいだろう。
 しかしナプキンを介したショーツの感触は、否が応でも桃香に残酷な事実を認識させていた。生理でもないのにナプキンを使っている。精液で下着が汚れないように。――そう、自分は膣内射精されたのだ。誰の子かも分からない赤ちゃんを、妊娠してしまうかもしれないのだ。二度と処女だった頃の身体には戻れないのだ……。
 唇を噛み締めると、目尻からポロリと涙が零れた。生理周期からすれば今日は危険日ではないものの、万が一という事はある。もし妊娠しても礼門の家で堕胎手術は受けられるけれども……それは即ち、郷里親子に致命的な弱みを握られる事も意味していた。礼門の父親がどんな人物かは知らない。どうせあの子にしてあの親ありという感じだろう。手術の見返りに何をされるのか、想像できない桃香ではなかった。
「泣いてるのか?」
 士郎が無遠慮に聞いてくる。いや遠慮しない事こそが彼の思いやりでもあった。
「泣いて……なんか!」
「心配するな。白鷺からはアフターピルも預かってる。忘れずに飲んでおけよ。お前もう生理来てるんだろ?」
 渡されたのは、銀色の台紙にビニールパックされた、小さな錠剤。膣内射精された後にも避妊する事ができる緊急避妊薬……アフターピルだった。実物を見るのは初めてだが、桃香だって名前と効用くらいは知っている。
「私のために……? 姫乃が?」
「あいつは普段から低用量ピルを飲んでるらしいぜ。自分がいつ負けても、最悪の事態だけは避けられるようにな。大した女だよ」
 自分が戦争に負けた時の事を考えて、そこまで事前に準備しているとは。いかにも姫乃らしいやり方だ。その上敵であるはずの桃香の分まで薬を用意しているなんて。
 ここに来てようやく、桃香は気付く事が出来た。
 自分がなぜ姫乃に勝てなかったのか。
 姫乃は、自分が負ける可能性を直視できる強さを持っているのだ。自分が負けた姿を想像し、それを受け入れ、万が一のための備えも用意しておく。その上で勝つための最善を尽くしていた。それは並大抵の精神力で出来る行動ではない。
 一方の桃香は、決して負けた姿を想像しようとはしなかった。負ける可能性を脳裏から追い払い、勝つ自分だけを想像して戦いに挑む。それも一つの強さだが、本当の強さとは言い難いだろう。ただ単に負けるのが怖いから、負ける姿を想像したくないから、負ける自分に目を背けているだけに過ぎない。そんな虚勢を張っただけの強さでは、負けた途端瞬く間に己を見失い、無様な敗残の醜態を晒す事になってしまう。まさに桃香がそうであったように。
 姫乃と桃香とでは、人間としての格が違い過ぎた。
 最初から勝てるわけが無かったのだ。
 もっと早くそれに気付いていれば、こんな惨めな思いをせずに済んだのに……。
 いや、それとも。
 桃香も内心、それに気付いていたのかもしれない。姫乃が自分より遥かに優れた人間だと、無意識のうちに認めていた。だからこそ姫乃に勝ちたかった。桃香は誰よりも姫乃を尊敬し、憧れ、彼女のようになりたいと好意を抱いていたのだ。姫乃への異様なまでの敵意は、それら憧憬の念の裏返しに過ぎなかった。
「――さ、そろそろ部屋に戻ろうぜ」
 士郎が洗面器や風呂椅子を片づけながら促してきた。桃香もTシャツとショートパンツを身に着け、靴も履いて身なりを整えている。
「バスタオルとか洗面器とかは後で鮫島先生が片づけてくれるって言ってたからよ。ほら、部屋まで背負っていってやるよ」
 彼は片膝を着いて桃香に背中を見せた。おんぶして部屋まで運んでやろうというのだ。
「ば、馬鹿じゃないの? 一人で歩けるわよ!」
 桃香は真っ赤になってさっさとトイレを出ていこうとするが……股間に走る痛みに顔をしかめ、足をもつれさせてしまう。同級生の子供ちんちんとはいえ、何十回も挿入を受けた性器は、かなりのダメージを受けているようだ。歩けない事は無いにしろ、おんぶしてもらった方が楽なのも事実である。
「ほら、言わんこっちゃない。ガキの頃はいつも俺がおんぶしてやってただろ? お前は昔から泣き虫で、ちょっと転んだくらいですぐ大泣きして……」
「う、うるさいうるさい! 余計な事言うな!」
「黙ってほしかったら、さっさと背中に乗れって」
「うう……」
 まぁ背に腹は代えられない。諦めて桃香は彼の背中に身を預けた。深夜だから誰かに見られたりもしないだろう。クラスメイトに素っ裸にされて輪姦までされた桃香であったが、それでもなお、士郎におんぶされている姿を誰かに見られたら恥ずかしくて生きていけない……とは思っていた。
 幸い、トイレを出ても廊下に人影は無かった。女子の部屋は二階なので、そのまま平行移動すればいい。トイレに入るまでの深夜の散歩に比べれば、遥かにリスクは低かった。
「なぁ桃香」
 ゆっくりと歩を進めながら、士郎が背後の少女に声をかける。
「何よ」
「そろそろ、聞かせてくれないか?」
「はぁ? 何の話?」
 身を預ける士郎の背中は、子供の頃よりずっと広く感じられた。
「星空観察の時の、俺の告白。その返事さ」
「告白って……」
 桃香が息を呑んだ。あれは男子女子戦争の戦略上の、嘘の告白ではなかったのか? あれが本心からの告白だとでも? 「俺は……桃香の事が、好きだ」というあの告白が?
 だいたい、五年生になった時に桃香が告白した際、「よくわからない」などと言うよくわからない返事をしたのは士郎の方ではないか。それが今頃になって自分から告白なんて、身勝手すぎる。
「あの時も言ったけどさ……俺は、お前が他の男子に辱められるのを見るのは、耐えられない。お前が他の男子にレイプされてる所を見て、ハッキリ分かったんだ。俺が好きなのは桃香だって」
「何よそれ……。馬鹿じゃないの、レイプされてるのを見てやっと自分の気持ちに気付くなんて。ふざけるのもいい加減にしてよ!」
 そう言いつつ、士郎なら有り得る話かもなと、桃香は感じていた。彼はどこか他の男子とズレている所がある。そういう意味では祢々子に近い存在かもしれない。鋭い観察眼と洞察力を持っている桃香には……いやそれ以前に腐れ縁の幼馴染みである桃香には、士郎の性格というものがよく分かっていた。一度告白に失敗しているから尚更だ。
「避妊さえちゃんとしとけば、他の男とセックスしたって全然構わないって思ってたんだけどな。俺も意外と独占欲が強いのかも。桃香には、俺以外の男とセックスしてほしくないって、そう思っちまうんだ」
「いや、それ普通の反応だし……」
 そして厄介な事に、桃香は士郎のそういうズレたところに、好意を抱いていた。士郎のそんな浮世離れしたところが好きなのだ。
「……でもさ、だったら結局あんたも、処女の女の子が好きなんじゃないの? 他の男子とエッチしちゃったあたしなんかでいいわけ?」
 桃香は自虐も込めて、意地悪な質問をぶつけてやった。
「それはそれさ。他の男子とセックスしてほしくないけど、セックスしたからってお前を嫌いになったりはしない。だいたい、俺だって童貞じゃないしなぁ」
「ちょ、聞いてないわよあたし?」
 寝耳に水の話に、桃香が色めき立つ。唐変木な士郎なら、当然まだ童貞だと思っていたのに、とっくに経験済みとは意外な話だ。
「別にいちいち報告する事じゃないだろ」
「いったい誰としたのよ!」
「暮井に言われて……」
「祢々子ぉ? 可愛い振りしてあの泥棒猫ぉ! 士郎も士朗よ! あんな幼児体型のどこがいのよ!」
 あまりの憤りに、桃香が背後から士郎の首を絞め上げる。
「ま、待て! 首を絞めるな! 話は最後まで聞けって!」
「何よ! 言い訳なんて男らしくないわよ!」
「だから違うって! あいつを仲間にするために、暮井の目の前で清司としたんだよ」
「そっかー。男同士だったら別にいいわよね……なんて言うわけないでしょ! なんでよりによって男なんかで童貞卒業しちゃうのよあんた!」
 あまり大声を出すと誰かが部屋から出てきてしまうかもしれない。それでも桃香は声量を下げる事ができなかった。他の女子に士郎の童貞を取られたりしたらかなりの屈辱だが、他の男子に取られるのはそれ以上の屈辱である。それならいっそ祢々子に先を越されていた方がまだマシだった。
「いやだって面白そうだったし。それに男同士ってのも結構、悪くないもんだぜ? 相手の興奮するツボがよく分かるって言うか……」
「聞きたくない!」
 桃香は叫ぶが、「声が大きいだろ」と士郎に注意され、ようやく口を閉じて押し黙った。あまりにもショッキングな事実である。まさか自分の好きな男子が、男同士でセックスして童貞ばかりか処女まで喪失していたとは……。それなら桃香が処女かどうかなんて、大して気にしないのも分かる気がする。たぶん。
 桃香の班が就寝している部屋まで、あと数メートルに迫っていた。カードキーは桃香のショートパンツのポケットに入っているから心配ない。士郎との深夜の散歩も、あと数分で終わりという事だ。
「さ、もういいだろ? 聞かせてくれよ。お前の返事。言っとくけど、『よくわかんない』なんて返事は無しだぜ?」
 最後に士郎がもう一度尋ねてきた。
「あんたがそれを言う?」
 苦笑する桃香も、いい加減、きちんと返事をしなければいけない事は分かっている。いやもう返事は決まっていた。後はそれを言葉にするだけだろう。
「――桃香。俺は、お前の事が、好きだ。恋人になってほしい」
 前を向いたまま、士郎が改めて告白をしてくる。あの士郎がここまでハッキリと、自分の気持ちを言葉にするなんて、初めてではないだろうか。それだけ強い決意が、この言葉には込められているのだ。
 当然、桃香も自分の気持ちをハッキリと伝える。
 それは五年生になった時……いやそのずっと前から抱いていた気持ちだった。
 ゆっくりと口を開き、士郎の耳元で囁く。
「……嫌よ」
 それから、子供の頃よりずっと広くなった彼の背中に、頬を寄せて身を委ねた。士郎の肌の温もりが心地よい。柔らかな笑みと共に口を尖らせる。
「あたしは、士郎の事なんか、だいっきらい」
 彼もまた、その言葉に小さな笑みを浮かべた。桃香がどういう人間か、赤の他人で一番よく知っているのは彼だ。こういう言葉が返ってくる事も、そこに込められた気持ちも、いちいち説明されるまでもなく理解している。そして桃香のそんな所が、士郎は好きなのだろう。一風変わった者同士、お似合いの二人だ。
「悪い森の魔女だった桃香に、さよなら……だな」
「え? 何か言った?」
「いいや。ようやく、囚われのお姫様を助け出せたかなって思ってさ」
「何それ。意味わかんない」
 二人の小さな囁き声は、暗い廊下の中で静かに木霊していた。部屋に着くまでの、ほんの数分の会話。それは小さな小さな会話だったけれども、桃香にとっては、最高に幸せなひと時でもあった。




 翌日。
 いつものように五年生は朝の六時半に起床し、七時から『朝の集い』が開かれた。いわゆる朝礼だ。整列する五年二組のメンバーの中には、当然桃香の姿もある。
 これが自然教室の辛い所だ。普段の学校生活なら、戦死した児童は数日間学校を欠席する事もできただろう。しかし自然教室の場合、翌日の朝から早くもクラスメイトと顔を合わせなければならない。美月に体調が悪いと申し出れば、別行動をとって部屋で休む事も可能だが……プライドの高い桃香がそんな卑屈な行動に出るはずもなかった。
 マゼンダ色のポロシャツにジーンズ、首にスカーフを巻いた格好で、桃香は朝礼の場に姿を見せた。その凛とした表情には、昨晩の醜態など微塵も感じさせない。
「よう羽生。お早うさん」
 男子の一人がニヤニヤと声をかける。
 いくら桃香がカッコ良く決めたところで、クラスメイトの目の前で素っ裸にされ、男子のほぼ全員とセックスし、放尿姿まで晒した事実に変わりは無かった。それらの映像は全てカメラで記録され、いずれはクラス全員にコピーされて配布される事になる。彼らはいつでも好きな時に、桃香の死に勝る屈辱の姿を視聴し、優越感に浸る事ができるのだ。
「今日は何色のパンツ履いてるんだよ?」
「おっぱい苦しそうだな。あんだけデカいんだから、そのシャツじゃ小さいんじゃね?」
「トイレには行ってきたか? またチビッても知らねぇぞ?」
 勝ち誇ったような顔で、男子たちは桃香を小声でからかった。周りの女子にもその声は聞こえているが、咎める者は誰もいない。むしろ互いにヒソヒソ話で桃香を暗に馬鹿にする程だ。当然だろう。桃香に好意を持っている女子など、五年二組の中では数えるほどしか残っていなかった。
 しかしそんな屈辱的な状況に置かれてもなお、桃香は自分の誇りを見失わなかった。男子のからかいに屈するでもなく、いちいち反論するでもなく、軽蔑を込めた視線で一瞥して無視を決め込む。耶美が男子に取っている態度と全く同じである。
「何だよ、シカトすんじゃねぇよ!」
「マン毛もろくに生えてないくせに」
「泣きながら男子に負けた分際で、何カッコつけてんだよ」
 男子たちは執拗に桃香をいたぶろうとするが、彼女は決して屈しなかった。馬鹿にされて悔しいのは事実だが、言い返したりしたら思う壺だと分かっているからだ。屈辱に耐える事が桃香の最大限の抵抗である。そしてそれは最も効果的な抵抗でもあった。
「おい、なに下らねぇこと言ってるんだよ。先生に注意されても知らねぇぞ?」
 たまたま近くにいた士郎が横槍を入れる。あまり大声で騒ぐと、一組の連中に会話の内容を聞かれる危険もあった。男子たちは口を噤まざるを得ない。しょせん、馬鹿な男子たちにできる事なんてこの程度であった。桃香の敗北に便乗して調子に乗っているだけ。自分たちの力では何もできないくせに、弱い者虐めだけは得意という……そんな男子など、相手にする価値もないだろう。
 それに馬鹿な男子たちは知る由もなかったが、桃香はいま現在、アフターピルの副作用とも戦っている最中なのだ。アフターピルというのは簡単に言えば、女性ホルモンを大量に摂取して強制的に生理を起こし、妊娠を防ぐという薬である。当然そんな負担を身体にかける以上、副作用も少なからず存在し、吐き気や頭痛、倦怠感や下腹部の痛みなども起きる可能性があった。最近の製品は副作用も少な目だが……生理の時の苦痛に似ている。
 そんな苦しみを現在進行形で味わっていて、なお身体を休めようともせずに朝礼に参加している桃香と、能天気な馬鹿男子とではレベルが違い過ぎた。彼らの挑発程度で桃香が取り乱すはずもなかったのだ。
 やがて朝礼が終わると、セルフサービスの食堂で朝食を取り、宿泊棟の清掃に入る。ホテルと違ってシーツも自分たちで返却しなければいけないし、荷物をまとめた後は部屋を掃除するように指導されていた。清掃時間は八時からみっちり一時間も設けられている。
 そしていよいよ、九時から始まるのが『スポーツレク』。スポーツレクリエーションの時間である。体育館やグラウンドで、クラスごとにスポーツを楽しむ時間だ。昼食は十二時からなので、確保されている時間は約三時間。以前鮫島が言っていた通り、二日目の海洋研修の予備日程であった。
 一組の生徒たちが体育館でバスケットやバレーボールに興じている中、二組の生徒たちは近くの林の中へと移動していた。鮫島が教頭に掛け合って、許可を貰ったらしい。林の中には少し木々の少ない開けた場所があり、クラス全員が集まれる十分なスペースがあった。ちょうどおあつらえ向きに、テーブルのような切り株まである。
 引率してきた鮫島は、五年二組の全員が揃っている事を確認すると、彼らを見回して口を開いた。
「よーし、みんな揃ってるな? それではこれより、五年二組のスポーツレクの時間を始める。知っての通り、これから始めるのは男子女子戦争の最終決戦だ」
 鮫島が男子女子戦争の秘密を知っている事は周知の事実であるため、誰もそれに関して驚いたりしない。彼は手にしたシャベルでトントンと地面を小突きながら、珍しく教師らしい口調でもっともらしい事を言い放った。
「先生の担任するクラスで、男子と女子が長い間いがみ合いをしていた事は実に悲しいと思う。しかし過ぎてしまった事は仕方がない。この最終決戦を最後に、過去の怨讐は水に流し、自然教室が終わった後はまた男子と女子が仲良くしてほしいものだな」
 しかしその後に続く言葉はやはり教師らしからぬものだった。
「最終決戦の方法は、白鷺と犬飼の両名による、『脱衣カードゲーム』だ。詳しいルールは白鷺の用意したプリントにある通りだが、要するに最後に素っ裸になった方が負けになる。実に分かり易くてよろしい」
 ルールを印刷した書類は数枚しか用意していなかったが、既にクラス全員に回覧されている。みんなルールは周知済みという事だ。脱衣カードゲームである以上、勝った方もある程度は脱がざるを得ない。その事実に男子も女子も興奮していた。まして、そのゲームの内容を提唱したのが、他ならぬ白鷺姫乃である事に。
「では白鷺と犬飼は前に出てくるように」
 そこまで言うと、鮫島はシャベルを片手に端の方へと移動していった。……あのシャベルは施設から借りたようだが、何の意味があるのだろう? 皆、少しは疑問に思っていたが、深く追及する者は誰もいなかった。クラスの誰もが、姫乃と虹輝の最終決戦に意識を集中していたからだ。それは当事者である姫乃と虹輝の二人とて同じだった。
 切り株を挟む形で両者が対峙する。
 クラスメイトはその周囲を取り囲むように、男子も女子も入り混じって観戦していた。鮫島も含めて、ゆっくり腰を下ろそうなどという者は誰もいない。言わば、始まる前からスタンディングオベーション状態。盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。
「今日はよろしくね、虹輝くん」
 姫乃の着ている服装は、白の丸襟ブラウスに、薄いピンクのキュロットスカート。長い髪はうなじの所でリボンによって結ばれている。他に、襟元にスカーフを巻き、両手首にもそれぞれ白いリストバンドを装着していた。スカーフやリストバンドなんて、姫乃にしては珍しいお洒落だ。
「こちらこそ……よろしく」
 対する虹輝は、エメラルドグリーンのTシャツに、白い半ズボン。普段と変わらない服装である。脱衣カードゲームなどという如何わしい遊戯に挑もうとする割には、二人ともあまりに無防備な格好であった。普通、こういった野球拳のようなゲームに臨む場合、有利になるように厚着をしたりするのがセオリーなのだが……。
 まぁ自然教室なら持っている服も限られているし、何よりルールを読めば厚着など無意味である事は一目瞭然。二人の出で立ちは、そういう意味ではごくごく自然であった。
「ルールはちゃんと読んでくれた?」
「うん」
「不満な点があるなら先に言ってね。一度ゲームを始めたら、一切変更は認められないから」
「別に……大丈夫だよ」
 虹輝は一晩中、ルールを何度も読み込んでいた。朝に士郎や清司にも意見を聞いたが、特に不審な点は見られなかった。一応公正なルールになっているようなのだ。姫乃はポケットに入れておいたプリントを取り出し、広げながら改めて確認し始める。
「一応、もう一度この場でルールを復唱するわね。クラスのみんなも、意見があれば今の内に言ってちょうだい」
 姫乃が考案した、『脱衣カードゲーム』のルールは、以下のようになっていた。




『脱衣カードゲーム』のルール。

 この『脱衣カードゲーム』は、男子女子戦争の最終決戦である。このゲームの終了以降、一切の戦闘行為はこれを禁ずる。またその無効な戦闘行為によって生じた結果もまた、無効である。
 ゲームの参加者は、男子軍代表・犬飼虹輝と、女子軍代表・白鷺姫乃の両名のみに限定する。如何なる理由があろうとも代役は認めない。またその他の人間の助言はこれを禁止する。

 ゲームには未開封新品のトランプを一セット使用する。
 参加者にそれぞれ、十三枚のカード(A、J、Q、K、および2から10までのカードを一枚ずつ)配布し、手札とする。またゲームの先攻・後攻を任意の方法で決定する。
 先攻の参加者は、手札の中から任意のカードを裏向けて場にセットする。後攻の参加者も、同様にカードを裏向けてセットする。両者がカードのセットを終えたら、一斉に裏返してオープンする。その結果、数字の大きい方の参加者を勝ちとする。数字は、2から10までのカードは額面通り、Jは11、Qは12、Kは13とし、Aは1ではなく14として計算する。

 勝負に負けた参加者は、身に着けているものを脱ぐ。脱ぐ数に決まりはないが、五回負けた時点で次に脱ぐものが無い状態……即ち素っ裸にならなければいけない。この時、以降の勝負の続行は不可能とする。またソックスと靴はそれぞれ、左右で1セットと数える。
 負けた参加者が脱いだ後、次の勝負を始める。二回目の勝負は後攻の参加者からカードを出し、以降、同様に交互にカードを出し合う。
 場に出し終えたカードは、山札として一まとめにしておく。引き分けの場合、両者とも脱衣は行わないが、カードは山札にまとめて、手札には戻さない。そして次の順番の参加者がカードを場にセットし、勝負を再開する。

 どちらかの参加者が、勝負の続行が不可能になった時点でゲームは終了とする。
 勝敗が決した時点で、敗者は降伏文書に署名し、自軍の無条件降伏を宣言する。この降伏文書の効力は絶対であり、如何なる手段をもってしてもこれを覆す事は許されない。

 以上のルールは、ゲーム開始以前であれば修正が可能である。ただし一度ゲームを始めれば、どんな微細な変更も一切認めない。




 ――これが『脱衣カードゲーム』のルールの全貌。そう、姫乃も虹輝も特に厚着をしていない理由がこれだった。五回負けた時点で素っ裸にならなければいけないのだから、厚着など無意味なのである。
 野球拳というのは実によくできたゲームで、特に男女でこれを行う場合、一見不公平に見えるルールが実は公平な仕組みになっていた。つまり、女性はブラジャーなど、基本的に男性よりも着ている衣服の数が多い。その分有利とも言える。ところが着ている服が多いという事は、逆に隠さなければいけない部分も多いという事であり、事実、乳首を見られる恥ずかしさは男性と女性とでは段違いだった。
 見られて恥ずかしい部分が多い分、着ている服も多くなる。野球拳の『負ければ一枚ずつ服を脱ぐ』というルールは非常によく考えられた、公平なルールとも言えるだろう。
 しかしこの『脱衣カードゲーム』では、五回負けた時点で素っ裸と決められていた。これは明らかに姫乃に不利である。一回負けても左右の靴、二回負けてもソックスを脱ぐくらいで済むが、三回負ければブラかショーツは確実に見られてしまう。四回負ければ下着姿だ。しかもブラとショーツの二枚が残っていても、五回負ければどちらも脱いで素っ裸にならなければならない。男子である虹輝なら四回負けてパンツ一枚になっても、どうにか恥ずかしさを我慢できるのだから、どちらが不利かは考えるまでもなかった。
 問題は、なぜわざわざ姫乃がこんな不利なルールを考えたのかという事だ。公平さをアピールするためだけではなかろう。このルールの裏側に、きっと周到な罠が仕掛けてあるに違いなかった。虹輝にそれを見抜くだけの力は無かったが……士郎も清司も特に問題ないと判断したのだから、戦いようはあるはずだ。
「じゃあ虹輝くん、トランプを出して」
 姫乃に促され、虹輝はポケットのトランプを切り株の上に置いた。昨晩姫乃から渡された、未開封新品のトランプだ。何も小細工はしていない。工作しようにも、自然教室の最中では工具が手に入らないし、何よりその必要も無いからだ。
 この脱衣カードゲームでは、お互いの手札の条件が全く同じである。ランダムに配られたカードを手札にするわけではないのだ。ならばカードに何かイカサマを仕掛ける意味もほとんどなかった。
 限られた手札のカードをどう上手く消費していくか。これは単なる運否天賦のゲームではなかった。高度な戦略性が要求されるゲームなのだ。
 果たして、自分は姫乃に勝つ事が出来るだろうか……。
 いやそもそも、自分は姫乃に勝ちたいと思っているのか?
 姫乃に勝つという事は、彼女が素っ裸にされ、クラスの男子全員の慰み者にされるという事だ。昨晩の桃香のように。その事実を、虹輝は受け入れる事ができるのか?
 彼の思惑をよそに、姫乃はトランプのビニール包装を破り、真新しいカードの束を取り出していった。そしてクラス全員に聞こえるように、高らかに宣言する。
「――ではこれより、男子女子戦争の最終決戦、脱衣カードゲームを開始します!」
  
 
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