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第十一話 『スタンガン争奪戦』

2014-08-07

 それは突然の告白だった。
 星空観察を抜け出して桃香を呼び出した士郎が、人気のない林の中で、いきなり言い放ったのだ。
「俺は……桃香の事が、好きだ」、と。
 士郎と桃香は幼馴染みであった。そして桃香は士郎の事が好きだった。だから五年生になった時、始業式の日の放課後に勇気を出して告白したのだ。ただの幼馴染みから、恋人関係になりましょう……。
 それに対する士朗の答えは、「よく分からない」だった。彼にとって桃香は家族の一員のような存在であり、男女の恋愛の対象と見るなど、思いもしなかったのだ。決して嫌いだったわけではない。むしろ好きだった。ただその『好き』が、恋愛としての『好き』と同一なのか否か、士郎には「よく分からない」事だった……それだけの話である。
 だがこの時のすれ違いが、後に男子女子戦争という大きな災厄となって、五年二組全体を包み込んでいく事になろうとは、二人は知る由もなかった。
 それが今になってこの告白である。
 最初は混乱していた桃香も、徐々に状況を理解し、少しずつ落ち着きを取り戻していった。胸の鼓動が緩やかに収まっていく。頬の火照りもマシになっただろう。
 大きく息を吸い込み、桃香はようやく言葉を紡いだ。
「なんで……」
 しかし。
 冷静になった時、彼女の心の奥底から湧き上がってきた感情は。
「なんで……今頃そんな事言うのよ……」
 ――喜びではなく、怒りであった。
「え?」
「遅いわよ……。何もかも」
「遅いって、どういう事だよ? 俺はただ……」
「きちんと返事してくれるんなら、どうして始業式のあの日に、返事してくれなかったの?」
 抱きしめられたまま、桃香が声を絞り出す。士郎の耳元に響く彼女の声は、小さく震えていた。
「今さら、そんな事言われたって……後戻りなんてできるわけないでしょ!」
 叫ぶや否や、士郎の胸を押して、桃香は彼を突き飛ばした。
「桃香、俺は本当にお前の事が……」
「分かるわ、嘘でも演技でもない。士郎は本気で言っているのよね。あたしの事が好きだって。だから……だからこそ」
 彼女の鋭い観察眼と洞察力があれば、相手の告白が真剣なものかどうかくらい、簡単に見分けがつく。鼓動が早くなっていても、判断を見誤る桃香ではなかった。
「本気だからこそ、許せないのよ! 今さらあたしにどうしろって言うのよ!」
 キッと士郎を睨み付ける。
「あの日、あたしがどれだけ傷ついたか知りもしないくせに! 今頃になって昔に戻ろうなんて、虫のいい事考えないで!」
 そのまま踵を返し、彼女は林の中を駆け抜けていった。
「桃香!」
 士郎が叫んでも足を止めない。あっという間にその姿は闇夜に紛れ、見えなくなってしまった。
 桃香の性格上、素直に告白に応じてくれるとは思っていなかったが、ここまで拒絶されるとは……。まぁ同じ仕打ちを士郎も、意図せずとはいえ彼女に行っていたのだ。文句を言える立場ではなかった。
 そして数刻の後。
 静かな足音が士郎の方へと近づいてきた。だが彼は全く驚かない。それが初めからの手筈通りと言わんばかりに、足音の主に顔を向ける。
「悪い、失敗だったよ」
 声をかけた相手は、パステルブルーのTシャツにショートパンツ姿の、一人の少女であった。もちろん白鷺姫乃だ。士郎の告白を、少し離れた場所からじっと観察していた。
「上手くいけばスタンガンを渡してくれるかもって思ってたんだがな」
「そう都合よくいく訳がないわ。告白してくれただけで十分よ。これで桃香にかなりの精神的ダメージを与える事が出来る」
「随分な悪女だねぇ。お前がここまでエグいやり口を仕掛けてくるとは思わなかったぜ」
「別に。桃香が耶美にした事と同じでしょう?」
 確かに姫乃の言い分にも理がある。桃香は耶美の恋心を利用し、彼女をズタズタのボロボロになるまでいたぶり尽くした。だから姫乃も桃香の恋心……失恋の記憶に付け込み、その傷口を引き裂いて塩を塗り込んでやっただけだ。
「これで桃香の指揮にちょっとでも乱れが出ればこっちのものよ」
 姫乃の固い表情からは、何としてでも桃香を戦死させようという、強い決意がみなぎっていた。
「さてと、こっちもそろそろ戻るか。星空観察が終われば、後は寝るだけだからな」
「そうね。問題は、郷里くんあたりが夜這いに来る危険があるって事」
「それも手筈通りだ。あらかじめ、無人にしたテントに礼門を誘導し、俺たちが三人がかりであいつを捕まえる。玩具の手錠で拘束して、身動きが取れなくなった時点で連絡するから、あいつの裸の写真を撮って戦死させる。完璧な計画だな」
「あまり気は進まないけど、きちんと戦死させておかないと、いつまでも戦争が終わらないものね」
 虹輝が想像していた通り、姫乃は礼門の夜這い作戦を完璧に看破していた。協力者として士郎たちに接触する事までお見通しだ。
 礼門はみどりをレイプした時に、クラスメイトの前で自分の性器を露出している。みどりの恥ずかしい写真。そこには彼のペニスも一緒に写っていた。顔と一緒に写っているショットは一枚も無かったので、そのペニスが礼門のものであるという証拠にはならなかったが……。今のままでは彼が戦死しているのか戦死していないのか、曖昧なままなのだ。後から蒸し返されないためにも、ぐうの音も出ないような恥ずかしい写真を撮って、確実に戦死した事にしなければならなかった。
「清司と虹輝の奴にも、作戦は説明しておくぜ?」
「鷲尾くんはいいけれど……虹輝くんは大丈夫? すぐ顔に出ちゃうタイプだから……」
「説明しておかないと、俺たちを裏切るような行動に出るかもしれない。どうも昼間、桃香の奴に余計な事を吹き込まれたらしくってな……。俺たちを裏切って桃香につけば、白鷺と最初にエッチさせてやるってよ」
「へ、へぇ……」
 珍しく、姫乃があからさまに狼狽の表情を見せる。
「じゃあ、えっと、その……。つまり、虹輝くんは私とエッチしたくて、裏切るかもしれないんだ」
「それだけ白鷺の事が好きなんだろ。あいつは本当に素直で純情だからなぁ……。白鷺はどうなんだ? 虹輝の事はどう思ってるんだよ?」
 士郎は男女の関係の機微には疎く、誰が誰を好きかなんてよく分からなかった。他人から教えられてもピンと来ないほどだ。桃香の行動からして、恐らく虹輝が姫乃を好きだという事は察しがついたが……。
「私は虹輝くんの事が好きよ」
 意外とあっさり、姫乃は自供した。
「へぇ、そりゃ意外だね」
「明石くんが桃香の事を好きだって知ったのに、私だけ隠してるのはフェアじゃないでしょ?」
「そんなもんかねぇ。けど白鷺、いいのか? 虹輝もお前もまだ生存メンバーだ。いずれは戦う事になるんだぜ? どっちかが必ず勝って、どっちかが必ず負けるんだ。その覚悟は……」
「もちろんあるわ。前にも言った通り」
 姫乃は以前、耶美を通して士郎と同盟を結んだ。その時に男子女子戦争をどう戦うつもりなのかも話したのだ。姫乃はもう既に、戦後の枠組みにまで、その思いを馳せていた。当然虹輝との戦いに臨む覚悟も決めている。
「そうね、もし虹輝くんが裏切るのなら――」
 歩き出しながら、姫乃は呟いた。
「それで戦死するのも、悪くないかもしれない」




 午後十時。
 班長会議や、各テントにおける班会議も終わり、今日一日の反省会も無事終了した。いよいよ就寝時間となり、テントの中で点いていたランプ式懐中電灯も、次々とその明かりを消していく。
 もっとも、素直にすぐ眠りにつく者などそう多くはあるまい。明日の朝は六時半に起床と決められているが、折角の自然教室なのだ。テントの中でお喋りに明け暮れたいというのが生徒たちの素直な気持ちだった。
 ただし五年二組だけは様子が異なっている。
 大部分の生徒たちが一組と同じく平和な夜を過ごしているのに対し、何人かの生徒は激しい緊張の元、男子女子戦争の作戦を決行しようとしていたからだ。
 具体的に言えばその面子は、礼門を始めとする夜這い作戦部隊。士郎、礼門、清司と虹輝の四人だった。
 教師たちの見回り予定は、既に鮫島から聞き出してある。消灯時間である午後十時に教師全員で一斉に見回り、次いで一時間おきに二名のペアで順次巡回。鮫島は美月とペアで、午前一時から見回るスケジュールになっていた。教師の他にも、自然教室には活動補助のためのアルバイトが雇われており、夜間巡回は彼らの仕事の真骨頂である。教師志望の大学生などが務める事が多いそうだ。体力に余裕があるため、彼らは真夜中の巡回を任されていた。
 よって、夜這い作戦に与えられた猶予は約九十分と言えよう。十二時の巡回が過ぎてから、午前二時の巡回がやって来るまでの間の二時間に、前後十五分の余裕を持たせた正味の活動時間。姫乃が寝ているテントの探索時間や、撤退時間、恥ずかしい写真撮影後のお楽しみタイムを考慮すれば、ギリギリの作戦行動時間であろう。
 ――とはいえ、実際には士郎たちは夜這いを仕掛けるつもりなど無いのだが。礼門を騙して無人のテントに誘導し、彼を拘束して戦死させる。言わば逆夜這い作戦である。
 どちらにせよ、時間的余裕が少ない事には変わりなかった。
「おい明石。本当に白鷺から聞き出したんだろうな? あいつが実際に寝ているテントの場所を」
 十二時十五分を待って、礼門たちはトイレを装い、次々と自分のテントから抜け出していった。そしてあらかじめ決めておいた集合場所に集まる。そこから目的のテントまで移動するのだ。士郎を先頭に、礼門、清司、虹輝の順に一列になった。
「ああもちろんさ。俺を信じろって。暮井の班のテントに移ってるらしいぜ?」
 言うまでもなくこれは虚偽の情報である。実際には姫乃は、雑魚女子の班のテントに移っていた。祢々子の班のテントは、中の女子が別のテントに移動し、無人となっている。悟られないように礼門をこのテントに誘導するのが士郎たちの使命であった。幸い、新月の闇夜が互いの顔を暗闇で覆い隠してくれている。表情から悟られる心配は無さそうだ。
 懐中電灯の僅かな明かりを頼りに、抜き足差し足で進む四人。
 聞こえてくるのは、各テントから響く寝息。そして虫や野鳥の微かな鳴き声くらいなものだった。時刻は十二時二十四分。そろそろ夜更かしにも疲れてみんな眠り始める時間だろう。
「ここだ」
 ようやく目的のテントに到着し、士郎が振り返って顎で指示する。テントは整然と並べて組み立てられているため、どの位置がどの班のテントか、その気になれば暗記も可能だった。礼門は周囲に懐中電灯の光を巡らし、実際に祢々子の班のテントである事を確認する。
「清司と虹輝でテントの入り口を広げてくれ。俺たち二人で一斉に飛び込む」
「分かった」
「任せて」
 士郎の小声の指示に、二人が答えた。どうも心なしか、虹輝の声に緊張感が足りていないようだ。安心感が滲み出ているというか。この作戦が姫乃への夜這いではなく、礼門を倒すための偽装作戦だと聞かされたからだろう。まったく……素直にも程があるというものだ。
「三、二、一で行くぞ」
「OKだ」
 テント同士はそれほど密集しているわけでもないので、多少の物音は心配ない。よほど大声や悲鳴を出さない限り、周囲のテントにいる生徒たちが目を覚まして様子を見に来る心配もなかった。
 いよいよ作戦開始だ。
 清司がテント入り口のファスナーに指をかける。
「三」
 ゆっくりとそのファスナーを引き上げていった。
「二」
 清司と虹輝が左右からテント生地を掴む。
「一!」
 左右に引っ張られるテント生地。
 同時に、士郎と礼門が中へ飛び込んでいく……はずだった。
 だが――。
「ぐぁッ?」
 短い悲鳴と共に、士郎が……そう、礼門ではなく士郎が、テントの中へ倒れ伏していく。礼門はその場から一歩も動いていない。
 何が起きたんだ?
「士郎!」
 思わず駆け寄ろうとする清司に対し、礼門の反応は迅速だった。横からタックルを仕掛ける。もっとも、軽く体を接触させる程度のぶつかり方で、とても本気のタックルとは言えない動きだったが。それでもやはり次の瞬間、うめき声と共に清司もまた、テントの中へと倒れ込んでいった。
 並ぶようにうつ伏せに倒れた二人は、苦悶の表情で身体をよじらせている。なぜか立ち上がって反撃しようとしない。いや、立ち上がりたくても立ち上がれないのだ。まるで身体が痺れて動けないように……。
 痺れて、動けない?
「ま、まさか……」
 一人残された虹輝の方へ、ゆっくりと礼門が振り返る。
 その右手には、黒い大型のスタンガンがしっかり握られていた。
「スタンガン! 郷里くんが持ってたのっ? どうして……」
 祢々子の情報では、スタンガンを持ち込んできたのは桃香だ。てっきり彼女が護身用も兼ねて、自分で所持しているものだとばかり思い込んでいたのだが……まさか礼門の手に渡っていたとは。予想外の展開だ。
「フン、どうしてもクソもあるか。お前らの企みはお見通しさ。俺に協力する振りをして、逆に俺をハメようって魂胆だろ。そう思い通りに行ってたまるかよ」
 礼門がスタンガンを握り締める。グリップのスイッチが入り、先端の電極間でバチバチと放電が起こった。ランダムな閃光が彼の顔を不気味に照らし出す。
「テントの入り口に靴が置いてないって時点でバレバレなんだよ。中に人がいれば、靴があるはずだろ? それ以前に犬飼、テメーの態度があからさま過ぎて、引っかかったフリをするのが大変だったんだぜ? どんだけ素直なんだよテメーはよ」
「そ、そんな……」
 まずい、このままでは姫乃の身が危ない。虹輝が焦る。彼女が雑魚女子のテントに退避している事はバレていないだろうが、もし見つかったらアウトだ。彼女と連絡を取るにもまずは安全な場所まで逃げなくては。
 背を向けて全速力で走り出す虹輝。
「バーカ、逃がすかよ」
 もちろんそれを見過ごす礼門ではなかった。すぐに後を追いかけ、虹輝の背中に電極を押し付けて感電させる。
 アメリカのテイザー社などは、ワイヤーの付いた電極の針を射出する……拳銃のようなスタンガンも発売しているが、礼門が持っているのはあくまで本体を相手に接触させて電流を流すスタンダードな製品であった。そのため逃げる敵にはこうやって走って追いつく必要がある。むしろあまり便利過ぎない方が、敵に奪われた時の危険も少ないだろう。
「あぐっ」
 虹輝もまた呆気なくスタンガンの餌食となった。ワイヤー針など射出できなくても、やはりスタンガンは強力だ。礼門が持てばまさに鬼に金棒である。
 抵抗できなくなった虹輝の身体もテントの中に放り込み、礼門はその出入り口のファスナーをゆっくり締めていった。
「ま、待て……よ」
 士郎が荒い息の合間を縫って言葉を絞り出す。
「何だよ明石。大人しく寝てな。白鷺は今から俺がたっぷり可愛がってやるからよ」
「ヘッ……。よく、言うぜ……。テントの場所も……分からねぇ……くせに……」
 彼が無理して礼門を挑発しているのは、恐らく注意を自分に引き付けるためと思われた。もし彼がスタンガンを使って士郎たちを拷問し、姫乃が寝ているテントの場所を聞き出そうとするなら……最初に狙われるのは間違いなく虹輝である。それを防ぐためにあえて自分が拷問を受ける側に回ろうとしたのだ。
 士郎なら、電気ショックに耐えて口を割らない振りをして、業を煮やした礼門が虹輝に狙いを移した時点で根負けして自白する――。という演技くらいお手の物だった。そうやって偽のテントの場所を教えてやれば、礼門はタイムオーバーになって姫乃を夜這いできなくなってしまう。他の女子のテントに行って騒ぎなればさらにありがたい。
 けれども、事は士郎の思惑通りには進まなかった。礼門は不敵な笑みを浮かべたまま、黙ってファスナーを完全に閉じてしまったのである。
「……安心しろ。あいつの居場所くらいすぐに見つかる」
 そう。
 礼門には実は秘策があった。テントを閉じて再び立ち上がると、ぐるりと周囲を見回しながら、ウェストポーチに手をかける。中から細い懐中電灯を取り出した。
 これはただの懐中電灯ではない。紫外線LEDを内蔵したブラックライトなのだ。紫外線を照射する懐中電灯といったところか。
 紫外線自体は肉眼ではほとんど見えない。正確には、青白い可視光線と共に紫外線を出すライトである。この光で照らされた物体は、通常のライトで照らされた時と大きく見え方が変わる特性があった。物体に含まれる蛍光体だけが紫外線に反応して光って見えるからだ。逆に言えば、蛍光体を含む塗料が塗られた物体は、ブラックライトの照射下においては、塗料の部分が青白く発光して見えると言えよう。
 テントとテントの間を歩きながら、礼門はブラックライトで辺りをくまなく照らして回った。特に地面の辺り……テントの入り口の前に置かれた、靴を狙って照射している。
 蛍光体を含む塗料は、無色透明にする事も可能だ。よって専用の塗料を使えば、ブラックライトで照らしながら秘密の文章を書くというスパイごっこのような遊びもできた。紫外線を照射しない限り、無色透明のインクで書かれた文面は解読不能なのだから。現に郵便はがきには、この紫外線に反応する塗料でバーコードが印刷され、配達の管理に使われている。可視光線で見える塗料でバーコードを印刷したら大問題だが、ブラックライトで照らさない限り見えない塗料なら、はがきの受取人が文句を言う事はまず無かった。
 そしてブラックライトやこれに反応する塗料は、ネット通販やホームセンターなどで気軽に購入する事ができた。品質にこだわらなければそれほど値段も高くない。百円ショップや雑誌の付録でさえ見かけるほどだ。塗料も、絵の具のような商品だけでなく、サインペンやクレヨンの形をしたもの、そして『スプレーとして噴射できるタイプ』など多岐に渡っている。
「……へへへ。見ぃつけた、っと」
 礼門が足を止め、ニヤリと笑みを浮かべる。
 彼が照らし出すブラックライトの先には、爪先の辺りが全体的に発光している、一足の靴が置かれていた。
 言うまでもない。白鷺姫乃の履いていた靴だ。礼門が塗布した蛍光塗料が見事に反応して青白く光っていた。昼間のカレー炊飯の際、礼門は虫刺されと称して姫乃に蛍光塗料のスプレーを吹き付けておいたのだ。もちろん無色透明、あまり匂いのしない製品を選んでおいた。多少の塗料臭さは、虫刺されの成分と勘違いしてくれただろう。スプレー缶のラベルを張り替えておけばまずバレる心配は無かった。
 蛍光塗料も洗えば落ちてしまう。髪や肌に付いた塗料は入浴すればすっかり綺麗になったはずだ。しかし洋服や靴は自然教室が終わるまで、そう簡単には洗えなかった。特に靴は足の形にフィットするもの。自然教室のしおりでも、履き慣れた靴を使うように指導してあるほどだ。他人と靴を交換している可能性は低い。
 早い話が、このブラックライトで発光している靴のあるテントに、白鷺姫乃が寝ている……という事だった。だから礼門は迅速に姫乃を見つけ出す自信があったのだ。昼間のカレー炊飯の時からもう、夜這いのための下準備を整えておいたのである。雨が降らなかったのは、礼門の日ごろの行いが良いせいに違いない。
 ブラックライトを口で咥え、礼門がテント入り口のファスナーを静かに引き上げていった。テントは通気性も考慮された構造になっているが、それでも中の空間には少女の甘い匂いが充満している。クラスメイトの女子の体臭や吐息。凌辱に慣れた礼門でさえ胸の高鳴りを抑える事はできなかった。
 左手に持ち替えたブラックライトで中を照らすと、タオルケットを頭から被った人影が三つ、確認できた。枕元に畳んであるエメラルドグリーンのパーカーが青白く発光している。昼間姫乃が着ていたものだ。真ん中で寝ているのが彼女か?
 まぁどうでもいい。一人ずつスタンガンを押し当てて抵抗を封じて、それからゆっくり確認させてもらう。ここまでくればもうこっちのものだった。
 そして礼門がテントの中に入ろうと、靴を脱いだ瞬間――。
「レディの部屋に入る時は、ノックくらいするものよ?」
 唐突に、背後から声をかけられた。
「なっ?」
 振り向こうとした瞬間、背中を突き飛ばされる。たまらずバランスを崩し、礼門はテントの中に倒れ込んでいった。同時にタオルケットが跳ね上がり、寝息を立てていたはずの三人の少女が、勢いよく飛び掛かってきた。
「それっ!」
「右手を抑えて、早く!」
「こーら、暴れないの!」
 声量を抑えつつ歓声を上げているのは、姫乃と祢々子とみどりである。別々の班であるはずのこの三人が一つのテントで寝ているとは……これは罠か!
「お前ら何で……くそ!」
「大人しくしなさい。他のテントの子たちに迷惑でしょ?」
 ばたつかせる礼門の足を取り押さえにきたのは、美月であった。一時に見回り予定の彼女がなぜここに……。
 いや、なぜもへったくれもない。もはや誰の目にも明らかな事だった。礼門はまんまと姫乃たちの罠に引っかかったのだ。彼が姫乃のテントを探し出す事を予見し、祢々子とみどりを加えた三人で待機。さらに美月までもが近くで様子を窺っていた。ブラックライトのトリックがバレていたのだろうか?
 礼門はテントの中で仰向けにされ、右手をみどり、左手を祢々子、両足を美月に拘束される格好になった。彼の手からスタンガンを取り上げた姫乃が、ランプ式懐中電灯の明かりを点ける。悠然と彼を見下ろした。
「……情報通りね。防衛線を張っておいて良かったわ」
「情報……だと?」
「明石くんたちを捨て駒にしたのは申し訳なかったけど……おかげでようやくあなたを捕まえる事が出来た。ようこそ郷里くん? 私たちのテントへ」
 なぜ礼門がテントの場所を見つけられたのか、どうやら姫乃たちは理解していないようだった。分かっていたなら靴を出しっぱなしにはしなかっただろう。礼門を捕えるためとはいえ、自分自身を囮にするのはさすがに危険すぎる。誰かが夜這い作戦の情報を……つまり、『礼門が士郎たちの裏切りを予見し、彼らを倒した上で、何らかの方法で姫乃のテントを見つけ出して夜這いする』という真の作戦内容を、敵にリークしたという事だ。
「白鷺、てめぇ……」
「女の子の寝こみを襲おうとするなんて、許しておけないわね」
「そうよそうよ、女の敵よ!」
「きつーいお仕置きをしちゃいましょ」
「覚悟はいいかしら?」
 さしもの礼門も、三人がかりで身体を押さえつけられては身動きが取れない。それでも抵抗しようと身体をばたつかせた。
「こんな事してただで済むと思うなよ! 必ず仕返ししてや……あがっ?」
 だが抵抗は一瞬だけだった。
 姫乃が容赦なくスタンガンを押し付けてきたからだ。筋肉馬鹿の礼門も、高電圧の電流を流されて神経網を混乱させられては、手も足も出ない。たちまち身体が痺れて無抵抗になってしまう。
「静かにしてちょうだい。あなたの反論なんて聞いてないから」
 汚物でも見るような目で、姫乃が冷徹に言い放った。
 身体を押さえつける必要も無くなり、祢々子たちもそれぞれ次の行動に移り始める。祢々子がデジカメの準備を、みどりが礼門のハーフパンツに手をかけた。
「なに……するつもりだ」
「決まってるでしょ。あんたの下半身を丸裸にして、恥ずかしい写真を撮ってやるのよ。別にあんたのなんて見たくないけど、キッチリ戦死させとかないと、後で死んだ死んでないって水掛け論になっても困るからね」
 見たくないと言いつつも、みどりの態度にはどこか勝ち誇ったような空気が滲み出していた。かつて自分を無残にレイプした、あの憎っくき凌辱魔に復讐できるのだ。自分を見捨てた耶美に加え、直接手を下した礼門。この二人への復讐を成し遂げれば、後は裏から糸を引いていた桃香に仕返しをするだけだった。ニヤニヤ笑いながら、みどりは彼のハーフパンツを引き摺り下ろす。派手な柄のトランクスが露出した。
「なんかさー、気分乗らないよねぇ。可愛い男子をすっぽんぽんにするなら楽しいけど、馬鹿ゴリラさんじゃイマイチ萌えないっていうか」
 そう言いつつも、祢々子は嬉々としてデジカメのフラッシュを焚き始めた。既にみどりの凌辱写真で彼のペニスは確認していたが、自分から露出した写真と、女子の手で無理矢理露出させられた写真とでは、やはり価値が違ってくる。見ていて楽しいはもちろん後者だった。
「くそ、ふざけんな変態女!」
「何よ。あんたがいつも女子にやってる事でしょ?」
「見られて恥ずかしくない立派なおちんちんなんだし、遠慮しないで見せちゃえばいいじゃん」
 ノリノリで礼門を辱めているのは、みどりと祢々子の二人だけだった。身体を押さえつける必要がなくなった時点で、美月も姫乃も、距離を置いてただその様子を眺めているだけである。
「はーい、御開帳っと」
 みどりがトランクスを脱がし、あっさりと足から抜き取った。毛むくじゃらのズル剥けペニスが露出する。
「うーん……やっぱり可愛くなーい。これじゃお父さんのおちんちんと同じじゃん」
 文句を言いつつ、祢々子はしっかりカメラで撮影していった。
「お父さんのって、よく覚えてるわねあんた」
「え? みどりちゃんってお父さんとお風呂、一緒に入らないの? 祢々子、昨日も一緒に入ったよ?」
「あんた五年生にもなって……まぁその幼児体型じゃ当然か」
 娘が何歳まで父親と一緒にお風呂に入るのかは個人差があり、人それぞれであろう。中には中学生や高校生になっても、望んで父親と入浴する女の子もいるそうだが……。祢々子もそういうタイプかもしれなかった。
「姫乃、これでいい? とりあえず写真は撮ったけど」
 みどりが指示を仰ぐ。姫乃は恥ずかしがって、未だに男子のおちんちんを直視できなかったが、グロテスクな礼門のペニスならば平気のようだ。全く興味なさげに眺めている。そして顎に手を当ててしばらく考えると、彼女らしからぬ好戦的な指示を返してきた。
「そうね、悪くないけど……。どうせなら両足を持ち上げて、お尻の穴の写真も撮りましょうか。クラスメイトの前で平気で水着を脱ぐような人だもの。それくらいやらないと、『恥ずかしい写真』にならないでしょう?」
「なっ……」
 トランクスを下ろされても平静を装っていた礼門だったが、さすがに姫乃のその言葉には狼狽を隠しきれなかった。よもや彼女がそんな事を言い出すとは予想していなかったようだ。祢々子が腹を抱えて笑い出す。
「あっはは、それいいねぇ。ちんぐり返しって言うんでしょ? 面白そう!」
「ふざけんな! 誰がそんな馬鹿げた真似す……ぐはっ!」
 血相を変えて叫ぶ礼門。だがすぐにその言葉は途切れてしまう。再び姫乃がスタンガンで電気ショックを与えたからだ。彼女は眉ひとつ動かさずに言い捨てた。
「あなたの反論は聞いてないって言ったでしょう。黙ってて」
 二度の電気ショックで完全に礼門の戦意は喪失していた。逆らう事もできず、みどりと祢々子の両者に足を掲げられ、身体を折り曲げられ、情けないちんぐり返しの体勢を取らされてしまう。おちんちんだけでなく、お尻の穴までもが丸出しとなる、屈辱的な姿勢だった。
「うわぁ……キモ。お尻の穴の周りにまで毛が生えてる」
「なんかヤダなぁ。クラスの男子もそのうちこうなっちゃうのかな。包茎おちんちんが可愛いのに」
「ちょっと、なんか大っきくなってない? なに興奮してんのよ?」
「うわー、ホントだぁ。勃起しちゃってる。サイテー」
 二人の嘲笑がテントの中に響いた。全てを曝け出した礼門は、図らずもペニスを膨らませてしまっている。先端の亀頭がお腹をつついていた。
「確かにこんなみっともない恰好させられたら、あんたも降参よね。いい気味だわ」
 復讐の快感を噛み締めながら、みどりが勝ち誇った。
「馬鹿ゴリラさーん、視線こっちこっち。はい、チーズ!」
 祢々子も楽しそうに撮影を続ける。さしもの礼門も、悔しそうな表情を抑える事はできないようだった。
「それにしても大っきいおちんちんだねぇ。クラスの男子とは大違い。みどりちゃん、よくこんなのアソコに入ったね?」
 かなりデリケートな話題でも、気兼ねなくズケズケ質問してくる。良くも悪くもそれが祢々子という人間であった。嫌な記憶を殊更に呼び起こされて、みどりがムッとする。
「入ったんじゃなくて、無理矢理入れられただけよ。ムカつく、なんでこんな奴のペニスなんかに……」
 よほど腹に据えかねたのか、彼女は立ち上がるなり、とんでもない行動に出た。剥き出しになった礼門の性器……その睾丸めがけて、蹴りを放ったのである。
「あぐぁっ?」
 いくらソックスに包まれた素足とはいえ、金蹴りの威力は相当なものだ。礼門が目を白黒させて悶えた。
「あははっ、雑誌で読んだだけだけど、ホントに男子ってここ蹴られると痛がるんだ? 普段あれだけ偉そうにしてるくせに、ちょっと蹴られるだけで悶絶って、ウケるーっ」
「や、やめ……」
「ほーら、どんどん蹴っちゃうわよ?」
 憎っくき凌辱魔の弱点を見つけ出して、みどりがこらえきれない笑みをこぼした。何度も何度もおちんちんを蹴飛ばし、踏みつける。
「へぇー、面白ーい。ちょっと蹴ってるだけなのに、なんでそんなに痛がるの?」
 それは女子には決して理解できない痛みであった。だからこそ彼女らは、情け無用に睾丸を蹴飛ばす事が出来る。逆に男にとってそれは恐怖以外の何物でもなかった。
「祢々子にもやらせて!」
「いいわよ。でもやり過ぎちゃ駄目だからね。せっかくの玩具が壊れちゃう」
「く、くそ……やめ……はぐぅっ!」
「あっはは、このオモチャ最高! ちょっと蹴っただけで、リアクションオーバー過ぎじゃん」
 養護教諭の美月が制止しないという事は、深刻な状況にならない程度には手加減されているのだろう。みどりと祢々子が代わる代わる、礼門のペニスを足蹴にしていった。もっとも、美月も彼の悪行は聞かされているので、いよいよ本当にマズい状況になるまで見過ごしているだけかもしれないが……。
「止めてほしい? だったらちゃんとみどりに謝って」
 静観していた姫乃が言い放つ。
「謝れ……だとぉ?」
「レイプなんて最低の犯罪行為をして申し訳ありませんでした、これからは心を入れ替えて二度と女子に悪さなんてしません……って言えば、許してあげるわ」
「ふざけんな。誰がそんな……うぐっ!」
 言葉を遮るようにみどりが睾丸を蹴飛ばした。見かねて美月が口を挟む。
「郷里くん。あまり意地を張らないようにした方がいいわよ。騒ぎにならないようにギリギリのところで私が制止するつもりだけど……止め時を見誤るかもしれないからね。その歳でインポテンツなんかにはなりたくないでしょ?」
「クッ……」
 筋肉馬鹿の礼門でも、さすがに睾丸を鍛える事はできない。男子のみが持っている最大の弱点。そこを潰されればどんな悲惨な思いをするかは、男にしか分からない事だ。男子女子戦争ではルールとして暴力が禁止されているため、今まで金蹴りは禁じ手とされていたが……女子がそのタブーを犯すほどにまで強烈な恨みを抱いたのは、他ならぬ礼門自身の行動が原因である。もはや観念するしかなかった。
「レ、レイプなんて最低の……」
「声が小さい!」
 みどりが再びペニスを踏みつける。あまり大声を出すと周りのテントの生徒が目を覚ましてしまうかもしれないが……プールで受けた屈辱を思い起こせば、彼女も叫ばずにはいられなかったのだ。
「レイプなんて最低の犯罪行為をして、申し訳ありませんでした! これからは心を入れ替えて、二度と女子に悪さなんてしません!」
 ヤケクソ気味に礼門が叫んだ。よもやこれほどの屈辱を女子に味わわされるとは、彼にとっても予想外の事だったろう。
「ふん、謝って済むなら警察はいらないわよ!」
 止めの一撃とばかりにみどりが最後のキックを放った。あまりの痛みに、もはや礼門は声も出せずに悶絶する。
 こうして礼門は、決定的な羞恥写真と共に戦死する事になった。
 これで生存メンバーは、虹輝と姫乃と桃香の三人。男子軍はとうとうあと一人にまで追い詰められた事になる。いや実際問題、虹輝が姫乃や桃香に勝てるとは思えない。つまり事実上、男子女子戦争は姫乃と桃香の最終対決を残すのみとなり、虹輝など完全に蚊帳の外であった。女子軍の勝利は決定的と見てもいいだろう。
 もちろん、勝負は最後まで分からないものだが。
「みどり、祢々子。私は明石くんたちを助けに行ってくるわ。適当なところで郷里くんも解放してあげて。もう午前一時を回ってるから……少なくとも、三十分後にはお開きよ」
「オッケー。てことは、あと三十分はこの玩具で遊べるって事よね。お尻の穴に鉛筆でも突っ込んじゃおうっか」
「あはは、それいいねぇ。見苦しいからこの毛もハサミで切っちゃう?」
 夜這いによって姫乃を凌辱しようと企んでいた礼門は、逆に次の見回りが来るまで、女子に弄ばれる事になってしまった。因果応報とはまさにこの事だ。
 美月と共に、姫乃がテントを立ち去ろうとする。靴を履く彼女の背中に、クックック……という不気味な笑い声が投げかけられた。
「へへへ……アッハッハ!」
 笑っているのはみどりでも祢々子でもない。礼門だ。ちんぐり返しの恰好のまま、いいように女子の玩具になっている礼門が、実に楽しそうに笑みを浮かべているのだ。姫乃が怪訝な表情で振り返った。
「何が……おかしいの?」
「いやいや、楽しみで楽しみで仕方なくってよ」
「楽しみ?」
「ああ。この屈辱、何十倍にもして白鷺に仕返ししてやれるんだと思うとな。楽しみすぎるぜ。覚悟しておけ。二度と男子に逆らえなくなるくらい、徹底的にいたぶって屈服させてやる。白鷺だけじゃねぇ、宇崎も暮井も、今日の事は後でキッチリ詫びを入れさせてやるからな」
 どう聞いてもそれは、ただの負け犬の遠吠えであった。しかし礼門の目は爛々と輝いている。彼には見えているのだろう。自分が見事復讐を果たし、姫乃や他の女子たちを服従させる未来が。
「自然教室が終わる時に笑ってるのは、俺たち男子軍さ。明日か明後日かには、必ずてめぇの処女膜ぶち抜いてやる。ついでに羽生や甲守の初物も頂いてやろう。その時お前は思い知るんだよ。いくら抵抗したところで、しょせん自分もそこらの雑魚女子と同じ。俺に負けて屈服するしかない、ただのか弱い女に過ぎねぇって事をな」
 下らない強がりだ。美月もみどりも祢々子も、全く相手にはしなかった。ただ一人、姫乃だけは反応が違っていたが。
「俺のモノに貫かれた女は、結局俺の前に這いつくばる事になる。白鷺、てめぇにもその敗北の味を、たっぷり思い知らせてや……るぐぁッ?」
 姫乃は土足のままテントの中に舞い戻り、走り込んだ勢いを殺す事なく思いっきり、礼門の睾丸に渾身のキックをお見舞いした。固い靴底のゴムが、ペニスを散々に痛めつける。
「あぎ……が……あぁ……」
「……これで三度目の注意よ。黙りなさい」
 吐き捨てるように言ってテントを出ていった。
「うわー、姫乃、容赦なさすぎ……。モロ入っちゃってるよ」
「だ、大丈夫、馬鹿ゴリラさーん。これ気絶してない?」
 普段冷静な姫乃にしては珍しい、感情的な行動だった。士郎たちが倒れているであろうテントへ一緒に向かいながら、美月が声をかける。
「あそこまでやっちゃうとは思わなかったわ。意外とやるわね、あなたも」
 憤まんやる方ないといった表情の姫乃は、歩きながら大きく息を吐き、自分の気持ちを落ち着けていった。
「……すみません斑鳩先生。どうしても我慢できなくて」
「あんな事言われたら当然よ。あなたがやらなかったら私がやってたかもね。でもとりあえずこれで郷里くんは戦死。幸先のいい白星スタートだわ」
 礼門の夜這い作戦を粉砕し、まずは桃香の計略を一つ潰した。美月はそう言いたいのだろう。しかし姫乃の顔に笑顔は無い。
「斑鳩先生は桃香の事をまだよく分かっていないみたいですね。私は白星なんて挙げてません。むしろ今のところ……まんまとあの子の計略に嵌っているだけです」
「え?」
「郷里くんの今日の作戦は、桃香の入れ知恵によるものです。彼は自分の立てた作戦で私を倒せない事を良く知っている。だから必ず桃香に作戦を授けてもらったはず。でも今日の作戦はあまりに杜撰でした。これはきっと、負ける事が前提だから。郷里くんは最初から負けるつもりで、夜這い作戦を実行していたんです」
 恐らく、情報がリークされていた事は知らなかったのだろう。もし万が一にも上手くいけば、そのまま予定通り姫乃を凌辱するつもりだったはずだ。それにちんぐり返しや睾丸蹴りなどという屈辱を受ける事までは予想していなかったと思われる。
 だが、桃香の計画では夜這い作戦は失敗するのが前提。それは間違いなかった。夜這い作戦の失敗もまた、白鷺姫乃暗殺計画の一部なのだ。
「何のために……?」
「それは私にも分かりません。だから桃香の計略に嵌っているだけ、なんですよ。こうして郷里くんを戦死させて、スタンガンを手に入れる事まで、彼女の予定通りに過ぎないんです」
 大きな外国製のスタンガン。最強の武器を手に入れながら、姫乃の表情は浮かなかった。いったい桃香は何を企んでいるのか?
「勝負は明日ですね。明日には決着がつきます。私が負けるのか、それとも桃香が負けるのか……二つに一つ」
 確実に分かっているのは、負けた方が目も覆わんばかりの生き恥を晒し、クラスの最下層の存在に転落するという事だけだった。そしてその確率は五分五分。いや……未だ姫乃の方が不利だろうか。
 本来祢々子が寝ているはずのテントに到着する。
 士郎たちはここで礼門に襲われ、スタンガンで身動きできなくなっているはずだ。二人が駆けつけると、既に別の人物が、三人の男子を介抱していた。
「根墨くん」
「あ、どうも白鷺さん。それに斑鳩先生も」
 テントの中にいたのは、桃香の奴隷であるはずの、根墨忠一であった。その彼が士郎たちを介抱している。
 実は、夜這い作戦の情報を姫乃にリークした人物こそ、彼なのだ。礼門は士郎に騙された振りをしてスタンガンでこれを倒し、何らかの方法で姫乃のテントを正確に見つけ出す……。その情報を事前に得たから、彼女はあえて士郎を捨て駒にして、さらに自分自身も囮にした防衛線を張っておいたのだ。
「助かったわ。あなたのお蔭で、郷里くんを戦死させることができた」
「そうっすか、そりゃ良かった。へへ、男子軍のスパイ時代は、あの馬鹿ゴリラにさんざんパシリにされましたからね、いい気味です。この調子で桃香もやっつけてやって下さい!」
「ええ、頑張るわ」
 忠一は桃香のあまりに過酷な扱いに耐え兼ね、裏切りを決意したのだそうだ。もちろん姫乃は最初から信用などしていない。ひとまず、彼の情報通りに行動してみたまで。それによって桃香の真意も推し量れると考えたからだ。
 確かに、耶美が桃香の奴隷になった事で、忠一が立場を失っているのは事実だ。しかしそれだけであれほど桃香に服従していた忠一が裏切るだろうか? 何かの策謀の匂いを感じる方が自然である。
 とりあえず今夜の忠一の情報は真実だった。今後も姫乃に協力すると言っている。明日、彼がどう動くか……それによって敵か味方か判断するしかない。
 あまりに激しい切り崩し工作の応酬によって、もはや誰が敵で誰が味方か分からなくなっていた。この状況は姫乃にとって非常に不利だ。逆に鋭い観察眼と洞察力を持つ桃香は、どんどん有利になっている。
 ――負けるのは、自分かもしれない。
 それが姫乃の、偽らざる本心であった。




 桃香は眠れなかった。
 既に時刻は午前一時十分。同じテントの女子たちはスヤスヤと寝息を立てている。呑気なものだ。既に戦死した雑魚女子たちは気楽な身分で羨ましい。
 自然教室の班分けは、本来であれば仲のいい子たちで集まる事になっていた。しかし五年二組では、男子女子戦争への戦略上、桃香が主導して女子の班分けを行っている。この班のメンバーも、別にそれほど不仲というわけではないが、さりとて親しいわけでもない。同じテントだからと夜更かしをする気にもなれなかった。
 なのに眠れないのは、ひとえに星空観察の時の士郎の告白が原因だ。「俺は……桃香の事が、好きだ」――。
 馬鹿馬鹿しい。どうせ姫乃にそそのかされて言っているだけだろう。その気持ちは本心でも、目的は不純だった。桃香の失恋の記憶を掘り起し、精神的ダメージを与える。姫乃らしからぬ陰湿なやり口であった。
 まぁ桃香自身、耶美の恋心に付け込んで彼女を戦死させた。その報復としてなら妥当な方法だろう。
 悪い話ばかりでもない。お蔭で桃香は自分の弱点をしっかりと見据える事が出来た。自分が、士郎を好きだという気持ち。どんなに虚勢を張ったところで、自分自身の気持ちに嘘はつけない。
 やはり恋愛感情というものは厄介だ。理屈で考えるだけではどうしようもない。いくら頭で分かっていても、心がそれに従おうとしないのだから。今さらながら、耶美がああも易々と桃香に屈服した理由がよく分かるというものだ。
 しかし状況は今のところ桃香に有利である。何せ士郎は既に戦死した身。いくら桃香が彼への恋心を捨てきれないとしても、男子女子戦争へ与える影響は最小限だった。むしろ同じ恋心の弱点ならば、より深刻なのは姫乃の方だろう。彼女が恋愛感情を抱く虹輝は、未だ生存メンバー。今後の戦況の変化によっては、それが姫乃の致命的な弱点になるかもしれない。
 勝つのは自分だ。
 姫乃ではない。
 自分に言い聞かせるように、桃香は強く心の中でそう念じた。
「……桃香様」
 テントの外から響く、微かな少女の声。
「耶美?」
「はい」
 偵察に出していた耶美が帰ってきたようだ。こんな夜中まで、よく働く犬である。
「状況を報告してちょうだい」
「郷里の夜這い作戦は失敗しました。彼は戦死。スタンガンも姫乃の手に渡っています」
 彼女の言葉を裏付けるように、枕元の携帯が電子音を奏でる。メールの着信だ。姫乃がクラス全員に送信したメールで、件名には『郷里礼門、戦死』とあった。添付ファイルには彼がちんぐり返しの体勢でペニスと肛門を曝け出している画像が添えられている。何と間抜けな姿だろう。惨めの極地である。
 だが……。
 これは手筈通り。彼もそれを承知で動いていた。負ける事を受け入れた上で、桃香の指示通りコマに徹したのだから、むしろその執念には敬意を示さなくてはならない。そこまでして姫乃を凌辱したいのか。
「――分かったわ。全て予定通り、順調という事ね」
「はい。根墨も桃香様を裏切った振りをしています」
 耶美の報告には偽りが無い。彼女は本当に本心から姫乃に復讐するつもりなのだろうか? 未だその心は見えないが、動きが読めないというのも悪くはない。トリックスターの類がいなければ、ゲームもつまらないというものだ。
「フフ、明日が楽しみだわ。いよいよ明日、姫乃の泣きっ面を拝む事が出来る。耶美、あなたにも存分に働いてもらうわ」
「承知しています」
 明日の予定は、午前は海洋研修。午後はテントの撤収と後片付け。そして夜はキャンプファイヤーである。就寝は宿泊棟にて行う。
 白鷺姫乃最期の瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。




 翌日、天気は曇天であった。
 雨天の場合、海洋研修は中止となり、体育館でサッカーやバレーを行う予定である。それでは自然教室の意味が無いわけだが、悪天候で強行して事故でも起きれば目も当てられない。安全第一と考えれば止むを得なかった。
 幸い、朝食を終える頃になっても雨は降り出さず、せいぜい小雨がぱらつく程度。風も無かったため、海洋研修は決行される事となった。八時三十分からオリエンテーション、九時から十二時まで、みっちり三時間の予定である。
 内容は、カヌーやフロート、カヤックの体験。あらかじめ学校指定の水着を持参するよう指示されており、生徒たちはその上から日焼け防止のための体操服を着用し、さらにライフジャケットを着込むのだ。専門のインストラクターの指導の元、しっかりとオールの使い方やバランスの取り方などを学んでいった。
 先日の星空観察では、闇夜に紛れてこっそり抜け出す事も可能だったが、昼間のイベントではそうもいかない。ほとんどの生徒は海洋研修自体が初めての経験であり、集中しなければ事故にも繋がる。男子女子戦争も、この時だけはさすがに一時休戦であった。
 事態が動いたのは、その後の自由時間である。
 三時間の予定とはいえ、大人数で行う学校行事は、常に時間に余裕を持たせてあった。ギリギリのスケジュールでは、予想外のトラブルにも対応できない。そのため午前十一時半には無事海洋研修も終わり、十二時の昼食の時間まで、生徒たちには自由時間が与えられる事になったのだ。
 当然、ほとんどの生徒たちは体操服を脱いで、水着姿で川遊びを始めた。中にはこうなる事を見越して、水中眼鏡やシュノーケルまで持ってきている生徒もいるくらいだ。この状況ならばいくらでも攻撃を仕掛ける事が出来る。
 先に動いたのは桃香の方だった。
「姫乃!」
 川辺の大きな岩の上で身体を休めていた姫乃の元に、みどりが血相を変えて駆けつけてくる。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもないわよ! 桃香が……」
 言いかけて、慌てて口をつぐむ。周囲には一組の生徒もいるのだ。迂闊に口走るわけにはいかなかった。岩に上がったみどりは、姫乃の耳元でまくしたてる。
「ここからちょっと沢の方に入った所に、小さな滝があるでしょ? 桃香が、そこで待ってるからスタンガンを持って来いって。もう私の事、男子軍へのパシリくらいにしか思ってないのよ、あの女」
「どうして私が素直にスタンガンを持っていかなくちゃいけないの?」
 姫乃もみどりも、スクール水着の上から体操服のシャツとスパッツを着用している。姫乃はさらにウェストポーチも腰に巻いており、その中には昨日礼門から奪ったスタンガンが収められていた。防水機能付きなので、水中に落ちても故障はしない。これは今のところ、姫乃の最大の武器であった。
「それが……姫乃が持ってこないと、耶美と馬鹿ゴリラをセックスさせるって」
 耳を疑う情報に、姫乃の表情が曇る。
「耶美の処女膜とスタンガンを交換しましょう……って事?」
「そうらしいわね。あの腹黒女が考えそうな事よ。どうするの? 桃香はあなた一人で来いとは一言も言ってなかったけど……」
 こんなあからさまな罠もあるまい。桃香にとってはどちらに転んでも利益のある交換条件だった。彼女から見て、もし耶美が味方なら、スタンガンと交換した後に協力して姫乃を拘束すればいい。逆に耶美が敵であっても、スタンガンが手元に戻れば姫乃ごと倒す事も可能だった。姫乃が耶美を助けに来るかどうかで、耶美が自分にとって味方かどうかを判断する材料にもなる。桃香には良い事ずくめの取引ではないか。
「どうするの? 耶美はあんたを裏切ったみたいだけど、だからって見殺しになんてできないし」
 みどりは耶美の真意を知らない。本当に姫乃を裏切ったのか、それとも演技をしているのか。演技なら、姫乃はそれを知っているのか否か。
 だがみどりにとって確実に言える事は、たとえ裏切り者だとしても、もう二度とレイプの被害者なんて出したくない。それだけだった。耶美はプールの一件で自分を見殺しにした少女だが、解剖授業の際にあれだけ恥をかかせたのだ。これ以上の復讐など望んでいない。むしろ昨晩思う存分仕返ししてやったはずの礼門が、舌の根も乾かぬ内に性懲りもなく耶美をレイプするなど、許せるはずもなかった。
 しかしスタンガンを渡すか否かは、姫乃が判断する事だ。
 戦死したみどりが口出しできる問題でもないだろう。
「……耶美はもう戦死した女子よ」
 その姫乃が、重い口を開く。
「今さらレイプされようが何されようが、私には関係ない。戦略上、スタンガンを渡しに行く必要性は全く無いわね」
「姫乃……」
「でも」
 口を挟もうとするみどりを制するように、彼女は言葉を継いだ。
「やっぱり、見殺しになんてできない。たとえ裏切られたとしても、耶美は私にとって……一番の友達だから」
 その言葉に、みどりが笑みを浮かべる。
「あんたならそう言うと思った。嫌いじゃないわ、そういうの」
 人を人とも思わない桃香のやり口に辟易していたみどりにしてみれば、甘ちゃんかもしれないが、姫乃の真っ直ぐな言動は心許せるものであった。
 しかし……。考えてみれば、耶美がみどりを見捨てたのは姫乃の指示によるものだ。恐らく姫乃も耶美も、みどりが戦死させられる事はあっても、レイプまでされるとは予想していなかった。その点は不幸な事故とも言えよう。だがもちろんそれでスッキリ水になど流せるものではなかった。
 みどりにしてみれば、姫乃は耶美と同じくらい恨みのある人物のはず。現在の共闘は、より恨みの強い桃香への復讐のために過ぎない……はずなのだが。
 いつからだろう。
 彼女のためなら命を懸けてもいいかもしれない――そんな風に思うようになったのは。当初は桃香への復讐心だけで姫乃に協力していたみどりの心に、いつの間にかそんな不思議な感情が芽生え始めていた。
 もしかするとあの時か。
 姫乃に協力するように、みどりが切り崩し工作を受けた、あの時……。
「私も一緒に行く。味方は多い方がいいでしょ?」
 ともかく、今は桃香の野望を潰すのが先決だ。
「そうね。虹輝くんも呼びましょう」
「ええ? 犬飼も? それは止めた方が……」
 みどりは困惑の色を隠さなかった。虹輝が姫乃の事を好きなのは、もはや公然の秘密と言ってもいいだろう。そしてみどりは、桃香が彼をたぶらかそうとしていた事も知っている。姫乃への恋心のあまり、虹輝が桃香の口車に乗せられる事を恐れたのだ。
「味方は多い方がいいって言ったのはみどりじゃない? 海洋研修の後片付けを手伝っているから、明石くんや鷲尾くんには頼めないし。まったく、桃香もいいタイミングで仕掛けてくるわね」
 その両者だけでなく、祢々子や忠一も教師たちに呼ばれて管理研修棟の方へ移動している。彼らは『レクリエーション係』だった。
 各班のメンバーにはそれぞれ係の仕事が割り振られている。例えば『班長』ならリーダーとしての仕事、『食事係』なら食事の連絡や片付けの指示、『保健係』なら健康チェックや入浴の時間管理……といった具合だ。『レクリエーション係』は、キャンプファイヤーの運営や海洋研修などの準備担当であった。各班の誰がどの係かは事前に調べられる。桃香があらかじめ、海洋研修後の自由時間を狙っていたのは明白だった。
 桃香に協力するメンバーで、いま自由に行動できるのは耶美と礼門。人数を合わせて対抗するなら、姫乃とみどりに加えて、虹輝も誘うのは自然な判断だろう。
「でもさ、知ってるでしょ? 桃香が犬飼を仲間に引き入れようとしているのを。正確には、捨て駒として利用しようと企んでるってとこだけど。どっちにしろ、犬飼を信用し過ぎると、それだけ裏切られる危険が高くなるわ」
 その一方で、みどりの懸念もまた当然の判断である。姫乃が虹輝への恋愛感情に左右され、状況を見誤るのではないかと危惧していた。
「確かに、切り崩し工作が飛び交う今の状況では、虹輝くんが裏切る危険も十分あるわね。でも私は彼を信じる。彼だけじゃなくて、私の味方になってくれるという人たちみんなを……信じるわ」
「姫乃、それはいくらなんでも……」
「昨日一晩考えて、そう決めたの。私には、桃香みたいに相手の本心を見抜く観察眼も洞察力も無いでしょう? だったら、あの子の真似をして相手の心の中を覗こうとしたって駄目よ。自分なりの方法で敵か味方かを判断するしかない。その方法が――、つまり、相手を信じるって事」
 相手の本心が見抜けないのなら、見抜こうとしなければいい。人は選択肢があるから迷うのだ。敵か味方かと悩みながら共闘するくらいなら、裏切られるのを覚悟の上で、百パーセント完全に信じた方がよほど効率がいい。もし裏切られたら、その時はその時だ。
「私がみどりの事を、『もしかすると桃香側に寝返っているかもしれない』なんて疑念の目で見ていたら、いい気持ちじゃないわよね? 本心から私に協力してくれていたとしても、私がそんな疑念で心を一杯にしていたら、共闘が上手くいくはずもない。それどころか『どうせ姫乃は私を信じてくれないんだ』って思って、逆にみどりが本当に裏切るかもしれないわ」
「だったら裏切られてもいいから……無条件で信じましょうって事?」
「そうすれば、裏切るつもりの人が私の味方になってくれるかもしれない。まぁ、これはちょっと楽観論が過ぎるかしらね」
 姫乃は肩をすくめるが、それは決してただの楽観論ではなかった。むしろこの混迷を深める戦況においては、これが桃香に対抗する唯一の方法なのかもしれない。桃香が人を疑う事で戦うのなら、姫乃は人を信じる事で戦うのだ。人を信じる事は、人を疑う事よりずっとずっと、勇気と信念の必要な行動だった。
 やはり、彼女のためなら命を懸けてもいいかもしれない。みどりが小さく呟く。
「……嫌いじゃないわ、そういうの」
 互いの視線を絡めて、二人は微笑み合った。




 小雨が降ってきた。
 防水機能付きのビデオカメラをチェックしながら、桃香が天を仰いだ。
「今夜のキャンプファイヤーは大丈夫かしらねぇ」
 実に呑気な一言である。とてもこれから、姫乃と一戦交えようという気迫は感じられなかった。彼女にしてみれば、どっちに転んでも美味しい勝負なのだ。むしろこれが当然の反応か。
「白鷺の奴、ホントに来るのかよ」
 傍らに立つ礼門が苛立ちを抑えきれずに言い放った。その隣に立っているのは耶美。もし姫乃が来なければ、彼女が耶美を見捨てたという事であり、今から耶美は礼門にレイプされる事になる。にもかかわらず、礼門は不機嫌そうだったし、耶美は平然としていた。
 礼門にとっては、前座の耶美より早く本丸の姫乃を堕としたいのだろう。耶美は……相変わらず何を考えているのか、よく分からなかった。まぁいい。それはこれからの取引の推移によって判断できる。耶美の本心を推し量る事ができるはずだ。
 三人が待機している場所は、沢の奥の方に入った、小さな滝壺の前。周囲を林に囲まれているために目立ちにくいし、滝壺に繋がる池には水草が繁殖していて、あまり泳ぐには適していなかった。よって他に人影は見当たらない。今回の作戦にはもってこいの場所なのだ。
「……来たわ」
 桃香が呟く。
 水草の池から川へと繋がる支流。その水の流れに逆らうように、二つの人影が岩場を歩いてこっちに向かってきていた。姫乃と……虹輝だ。
「あら、二人だけ? こっちは三人なんだから……みどりも誘った方が良かったんじゃなくて?」
 桃香の言葉にも、姫乃の表情は硬かった。
「あなたの取り巻きだった人なんて、信用できるわけないでしょう。私と虹輝くんの二人で十分よ」
 本当だろうか。姫乃はそう簡単に心の内を見せようとしない。逆に虹輝などは思っている事がすぐ顔に出るタイプだが……やや不安げなその表情からして、二人だけで来ているのは間違いなさそうだった。或いは、彼にだけはみどりの動向を知らせていないのか。
「スタンガンは持ってきたんでしょうね?」
「もちろん」
 姫乃がウェストポーチからスタンガンを取り出す。グリップを握り込むと、バチバチと放電が始まり、先端に火花が走った。
「いいわ。それじゃあスタンガンを持ってきてちょうだい。耶美の身柄と交換しましょう」
「その手には乗らないわ。私がスタンガンを渡した瞬間、襲われない保証がどこにあるって言うの?」
 姫乃が桃香にスタンガンを渡せば、もうこっちのものだ。彼女が耶美を連れて逃げるのを黙って見送る義理などどこにもない。たとえ耶美が姫乃の味方だったとしても、こっちには礼門という筋肉馬鹿の助っ人もいるのだから。虹輝も含めて、全員まとめて凌辱してやればいいのだ。
 当然、姫乃にとってみすみすスタンガンを渡す選択肢など有り得ない事になる。まぁこれは予想されたやり取りだ。桃香はいくつか受け答えのパターンを用意していたのだが……わざわざ虹輝を連れてきているなら話は早い。一番単純なパターンで良かった。
「なら犬飼くんにスタンガンを渡して持って来させればいいんじゃない? こっちに犬飼くんが来た時点で耶美を解放するわ。もしあたしが良からぬことを考えていたとしても、戦死するのは男子軍の犬飼くん一人。男子女子戦争が終結するんだから、姫乃にとっても悪い話じゃないでしょ?」
「やっぱり取引を守るつもりなんてないのね」
「万が一、の話よ。犬飼くんが戦死しちゃうと、形の上とはいえ男子女子戦争が終わっちゃうから……あんたと決着をつけたい私としても少々都合が悪いわ。こっちの馬鹿ゴリラも姫乃を犯したくてウズウズしてるし。今回は、スタンガンさえ手元に戻ればそれでいい。クラスメイトの言う事くらい信用しなさいよ」
 よくも抜け抜けとそんな事を言えたものだ……と姫乃は思っているに違いない。別に桃香を信用してくれる必要など無かった。桃香にとって、『姫乃が信用してほしい相手』は、ただ一人。犬飼虹輝だけなのだから。
 恋心に惑わされて彼を信じてくれれば、或いは――。
「いいわ」
 逡巡の末、姫乃が答える。
「虹輝くん……。お願いできる?」
 スタンガンを差し出した。意外とあっさり決断したものだ。何か考えがあるのか……それとも単に恋は盲目というだけなのか。
「……分かったよ」
 そして虹輝もまた、一瞬の躊躇の後、これを受け取った。
 さぁ、どう出る?
 虹輝が素直にスタンガンを持ってくればそれも良し。耶美と交換してこれを取り戻せばいい。逆に桃香の口車に乗せられて姫乃を裏切ろうとすれば……。さらに良し、だ。どっちにしろ桃香にとって愉快な展開である事に違いは無かった。
「今そっちに持っていくよ」
 虹輝が岩場を歩き出す。濡れた岩の上をビーチサンダルで踏みしめた。声が少し震えているようだ。緊張のためだろう。
 緊張……。
 緊張、か。
 何のための、緊張だ?
 ――そして、次の瞬間。
 くるりと、虹輝は踵を返した。
「虹輝く……」
 姫乃の言葉は最後まで続かない。
 バチッと響く不快な放電音。そして、膝から崩れ落ちる姫乃の身体。短い悲鳴が滝の音にかき消された。
 やった。
 やったのだ。
 姫乃からスタンガンを受け取った虹輝が、反転してこれで姫乃を攻撃したのだ。岩場に倒れ伏す姫乃。その苦悶の表情は決して演技ではない。
「虹輝くん……どうし……て……」
 さらに彼はもう一度、姫乃の体操服の上からスタンガンを押し付けた。響き渡る悲鳴。これでもう確実だ。姫乃の全身の筋肉が麻痺していく。
 虹輝が……姫乃を裏切ったのだ。
 彼女を手に入れるために。
 桃香の口車に乗って。
「あっはは、良くやったわ犬飼くん! 上出来よ!」
 桃香の高笑いが響く。
 そしてそれに呼応するかのように、雨はその勢いを増し始めていった。

 
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