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第十話 『最終決戦・自然教室』

2014-07-11

 ついに自然教室が始まった。
 今日から二泊三日の予定で、ここ『国立青少年交流の家』を舞台に様々なイベントが行われる。それは虹輝たち五年二組の生徒たちにとって忘れられない思い出となるだろう。修学旅行と並ぶ学校行事の目玉として。そして、男子女子戦争の決着をつける、最後の戦いの舞台として。
 国立青少年交流の家は、山間に建てられた教育施設である。年間を通してこういった自然教室や林間学校といった各学校のイベントを引き受けていた。通常は平日に行事が行われる事が多いが、どうしても学校側のスケジュールが合わなければ、特別に土日に受け入れる場合もある。今回も、金曜日から日曜日にかけて自然教室が行われる予定だ。そのため五年生は月曜日と火曜日が振替休日となっていた。
 大きな管理研修棟を中心に、体育館やテニスコート、宿泊棟にレストランまで建てられている。星座を観察するための展望台、それにヘリポートを兼ねた営火場……つまりキャンプファイヤーを行う広場もあった。近くには幅の広い大きな川が流れていて、海洋研修としてカヌーやカヤックも体験学習する。
 朝早くに学校に集合した五年生は、バスに乗って青少年交流の家に到着。早速、敷地内のキャンプ場で各班に分かれてテントを設営し始めた。二泊目は宿泊棟に泊まるが、一泊目はテントで一夜を明かすのだ。
 それが終われば野外炊飯に入る。
 メニューはもちろん、キャンプの定番『カレー』である。
「ちょっと男子! 遊んでないで手伝ってよね!」
「おい全然火が点かないぞ? 薪の組み方悪いんじゃね?」
「ねぇ誰か、今の内に野菜切ってきてよ?」
 広場のあちこちで生徒たちの歓声が飛び交う。野外炊飯は班ごとに行うから、出来が悪ければ喰いっぱぐれてしまうのだ。彼らもなかなか必死であった。
 包丁やまな板、ライスクッカーといった用具は施設から借りられる。また軍手や洗剤、ゴミ袋なども学校が持参していた。水を使う時は専用の調理場に向かい、火を使う時は各班のかまどで行うわけだ。
 その一角で、姫乃の班がライスクッカーに向かっていた。火に薪をくべて火力を調節する。火の番をする姫乃の隣には、別の班であるはずの祢々子の姿があった。
「……スタンガン?」
 軍手をはめた手で薪を持ち、姫乃が聞き返す。
「うん、そう。桃香ちゃんね、今回の自然教室にスタンガンを持ってきてたよ。これで姫乃ちゃんをやっつけるんだって」
「確かなの?」
「この目でちゃんと見たもん。外国製の、結構強力なやつみたい」
「そう……」
 かつては桃香の取り巻きだった祢々子も、現在では切り崩し工作のお蔭で男子軍のスパイとして活躍していた。よほど士郎と清司が愛し合うお宝映像が気に入ったのだろう。こうして逐次、貴重な情報を運んできてくれる。一応、クラスメイトたちには秘密にしてあるが、何人かは彼女の動向に異変を感じている者もいるようだ。
「じゃあ祢々子もう行くね」
「ええ。わざわざ教えてくれてありがとう」
 カットされた野菜の入ったザルを抱え、祢々子はスキップするような足取りで自分の班のかまどへと向かっていく。入れ違いにやって来たのは、同じく野菜のザルを抱えた士郎と清司だ。彼らは奇しくも姫乃と同じ班だった。
「おーい、カレーの野菜、切ってきたぜ」
「ご苦労様。もうすぐご飯が炊けそうだから、その後で調理しましょう」
「士郎、とりあえずここに置けよ」
 清司が両手鍋を取り上げた。その上にザルを置いて水気を切りつつ、かまどが空くのを待つわけだ。
「暮井の奴、何だって?」
 手の空いた士郎が、姫乃と交代して火の番を申し出た。軍手を手渡しながら姫乃が答える。
「桃香がスタンガンを持ってきているそうよ」
「へぇ、そいつぁ物騒だねぇ」
「だが逆にチャンスでもあるな。こっちがスタンガンを奪えば、圧倒的な武器になる」
「それはそうだけど……」
 桃香はスタンガンで姫乃を騙し討ちにするつもりだったのかもしれない。強力な電気ショックを放つスタンガンは、簡単に相手を痺れさせ、不正改造した高出力タイプならば気絶にまで至らせる。持っているだけでもかなりの威嚇効果が期待できた。もしそれを奪う事が出来たなら、もはや礼門だろうと鮫島だろうと恐れるに足りないだろう。祢々子のもたらした情報は貴重なはず……だった。
 しかしなぜか姫乃の顔は曇っている。
「話が旨すぎるわ。桃香はもう、祢々子やみどりが裏切った事には感づいているはず。それなのにスタンガンの事を話すなんて……不用意過ぎない? あまりにも不自然ね」
「罠だってのか?」
「今の段階では何とも言えないけど。少なくとも、肌身離さず持ち歩いたりはするでしょうね。鞄を漁って簡単に奪えるとは思えないわ」
 桃香の事だから、二重三重の罠は当然仕掛けてあるに違いない。情報を過信すれば、痛い目を見るのは姫乃の方なのだ。事は慎重に運ばなければ。
「あれ、白鷺さん? カレーのルゥってもらってきてないの? 見当たらないんだけど……」
 材料を確認していた同じ班の女子が、声をかけてくる。
「そう? 別の班の子が間違って持って行っちゃったのかも。先生に確認してくるわ」
 女子軍を追放され、男子軍に協力するようになってから、姫乃とクラスの女子たちの間には微妙な隙間風が吹いていた。とはいえ、元々姫乃は誰からも好かれるような優等生的性格である。あまり露骨にいがみ合おうとする雑魚女子は見当たらなかった。差し障りのない会話であれば、以前と変わりなく交わす事が出来た。
「よーう白鷺。お前んとこのカレーのルゥ、間違ってこっちに来てたぞ?」
 姫乃が数メートル歩いたところで、タイミングよくやって来たのは礼門だ。手に持っているのはルゥのパック。日焼けした顔にニヤニヤと笑みを浮かべている。
「あら……それはどうも」
「ふふん、いつものスカート姿もいいけど、パンツスタイルってのも悪くねぇな。イイ女ってのは、何を着ても似合うもんだ」
 ルゥを手渡しつつ、礼門が舐めるように姫乃の全身を見回した。自然教室では野外活動が多くなるため、女子はみんなショートパンツやキュロットスカート、ジーンズなどを着用している。中学生や高校生のように専用のジャージなどが無いため、教師に咎められない程度で、みんな思い思いにファッションを楽しんでいた。
 普段はスカートなどが多い姫乃も、今日はエメラルドグリーンのパーカーに白いホットパンツという出で立ちだ。
「ぜひとも、ズボンのパンツだけじゃなくて、下着の方のパンツも見せてもらいたいもんだぜ」
「あまり面白くないジョークね」
「へへ、まぁ本当に見たいのはパンツに隠されている、さらに下の部分なんだがな」
「用件はそれだけ? 早く自分の班に戻らないと、食事にありつけなくなるわよ?」
「つれない事言うなよ。同じクラスの仲間だろ? もっとトークを楽しもうぜ?」
 どの口がそんな寝言を言うのか。呆れた姫乃が溜息をつく。だが礼門はあくまでマイペースだった。ウェストポーチを開けると、中から虫除けのスプレー缶を取り出し、無言で姫乃に向かって噴射し始めた。
「ちょっと……何をするのッ?」
「心配するな、ただの虫除けさ。折角の綺麗な肌に痕なんか付いたら勿体ないからなぁ」
 もしこの場で、痴漢撃退用の唐辛子スプレーなどを吹き付けられたら、たちまち姫乃は抵抗できなくなってしまう。だがさすがの礼門もそんな無計画な行動には出るはずも無かった。自然教室には他のクラスの生徒や教師、施設の職員なども多数参加している。男子女子戦争はあくまで秘密裏に、誰にも悟られないように戦いを進めなくてはならないのだ。騒ぎを大きくして戦争の秘密がバレてしまっては元も子もなかった。
 彼が吹き付けているのは本当にただのスプレーのようだった。
 吹かれた場所に変な顔料が付着するわけでもないし、吸い込んだからといっておかしな気分になったりもしない。本当にただの親切心で行動しているのだろうか? とても信用はできないが……。
「おいよせ! 火の近くでスプレーなんか使う奴があるか!」
「ああ、悪い悪い」
 士郎が怒鳴ってもどこ吹く風だ。姫乃の頭の天辺から靴の先まで、まんべんなく噴射してから、礼門はスプレー缶をウェストポーチに戻していった。
「じゃあな白鷺。せいぜい、自然教室を楽しもうぜ。お前にとって一生忘れられない思い出を作ってやるよ」
 不敵に微笑んで立ち去っていく。どうやら、何が何でもこの自然教室で姫乃を打ち倒し、裸にして辱め、処女喪失まで狙っているようだ。全くもって油断ならない相手である。
「何しに来たんだよ、あいつ」
 士郎と清司が駆け寄ってきた。
「さぁ……。カレーのルゥの件はただの偶然だろうけど、何か理由を付けて私に会いに来たのは間違いないわね」
「さっきのスプレーか?」
「別に変わったところは無いみたいだぜ?」
 虫除けスプレーは『自然教室のしおり』でも持参が指示されている道具の一つだ。礼門が持っていても何の不思議もないし、実際姫乃だって持ってきていた。だがやはり、礼門が何の企みも無しにスプレーを吹いたとは考えにくい。
「確実に言えるのは……もう最終決戦は始まっている、って事だけね」
 姫乃の言葉に、士郎も清司も深く頷くのだった。




 その頃、別のかまどでは、虹輝の班が調理に悪戦苦闘していた。洗ったお米をライスクッカーに入れ、目盛りの位置まで水を入れてかまどまで運んでいく。
「お待たせーっ。そっちの準備はどう?」
「おせーよ犬飼。とっくに火は起こしてあるぜ?」
「他の班はみんなもうカレーの調理に入ってるわよ。早くご飯炊かないと」
 虹輝がかまどの上にライスクッカーをセットした。
「ほら、次は野菜野菜!」
 女子の一人がザルに入った野菜の山を手渡してくる。……何だか、虹輝一人が走り回されている感じだ。別に他のメンバーが遊んでいるわけではないのだが、何かと仕事を頼みやすいのだろう。
「待って、野菜の下ごしらえは私がやっておくわ」
 落ち着き払った声が割って入ってくる。
 耶美だ。彼女は虹輝と同じ班になっていた。
「甲守さんが……一人で?」
「男子にも一人くらい手伝ってもらうわ。それより犬飼くん、さっき斑鳩先生が探してたわよ。宿泊棟の裏手。急いで行った方がいいと思う」
「斑鳩先生が? 何の用だろ……」
 虹輝の手から野菜のザルを受け取ると、耶美は同じ班の男子を一人指名して、一緒に調理場の方へと歩いていった。ほんの三日前に、クラスメイト全員の前であれだけ辱めを受けたというのに……。ケロリとした顔をしているのだから凄い精神力だ。普通の女子なら塞ぎ込んで、自然教室にも出てこなかっただろう。隣を歩く男子が、ニヤニヤ勝ち誇ったような笑みを浮かべていても、一切意に介していない。
 何が耶美の心をここまで強靱に支えているというのか?
 噂では耶美は姫乃を裏切り、桃香派に恭順したのだという。その真偽は不明だが、クラスメイトの前であれほどの生き恥を晒してなお、気丈に振る舞っていられるのは、強い使命感が無ければ不可能と思われた。何かを成し遂げようとする固い決意。それが耶美の精神をかろうじて平静に保っている、唯一の要素に違いない。
「先生ーっ? 斑鳩先生ーっ、どこですかーっ?」
 ともあれ、虹輝はかまどから離れて、言われた通り宿泊棟の裏手に足を運んだ。斑鳩先生……美月は姫乃たちの味方をする約束を交わしたそうなので、信頼できる相手だ。もしかすると男子女子戦争について何か話があるのかもしれない。
 茂みの傍を歩きながら、しばらくその姿を探してみた。
「おかしいな、どこにもいな……うわっ?」
 刹那。
 茂みの中から伸びた手が、いきなり虹輝のTシャツの襟首をつかみ、彼の身体を引きずり込んだ。
「うふふ、犬飼くんつーかまえたっ!」
 背後から囁かれる甘い声。振り向くと、気の強そうなロングヘアの少女の顔が目の前にあった。人一倍、お洒落なボウリングシャツを着こなし、スカーフまで巻いている。
「は、羽生さん?」
「犬飼くんっていっつも警戒して他の男子と一緒にいるんだもの。やっと二人っきりになれたわね」
「僕はただ斑鳩先生に呼ばれて……」
「馬鹿ね。そんなの嘘に決まってるじゃない」
 桃香は茂みの中で虹輝を羽交い絞めにし、身体を密着させてくる。気温も高いので汗が浮かぶが、決して不快ではなかった。むしろ凝縮された女の子の甘い匂いと、耳元の吐息とが混じり合って、何とも言えない芳香空間が出来上がっている。背中に伝わるこの柔らかい感触は……桃香の、胸の膨らみだろうか?
「嘘って……それじゃやっぱり甲守さんは……」
「そんな事どうだっていいじゃない。それよりお話ししましょうよ、犬飼くん? 本当は自然教室が始まる前に会いたかったんだけど……間に合って良かったわ」
 虹輝は耶美に騙されて、まんまと桃香の罠に落ちたという事なのか。まさか食事の支度の最中に、しかもこんなに堂々と仕掛けてくるなんて予想していなかった。
「ぼ、僕を裸にして……写真を撮るつもり?」
「あら、あたしに裸を見られたいの? 犬飼くんって見られて興奮するタイプなんだ?」
「そんな事……」
「本当ならそうしたいのは山々なんだけど――、ここで戦死させるつもりはないから安心して。それよりあたしと取引しない? その為にこうして二人っきりで会いたかったのよ」
 桃香の言葉に偽りは無さそうだった。
 さっき騙されたばかりなのに、またそんな判断をするのも、お人好しが過ぎるとさすがに自分でも思うのだが。それでも周囲に誰もいないのは事実だった。もし虹輝が予想外の反撃に出れば、ここで桃香が戦死する可能性だってあるというのに。彼女がそのリスクを背負ってまで、虹輝と二人っきりになったのは間違いなかった。
 それに桃香にとって虹輝など最初から敵の内に入っていない。彼女にとって唯一にして最大の敵は、白鷺姫乃ただ一人。虹輝は姫乃を倒した後でいくらでも料理できると考えているはずだ。ならばとりあえず話だけでも聞いてみる価値はあった。
「取引って……僕に何をさせるつもり?」
 食いついてきた虹輝の態度に、桃香がニヤリと笑みを浮かべる。
「分かってるんでしょ、姫乃を裏切ってあたしに味方してほしいのよ」
「僕がイエスって言うと思う?」
「嫌なら無理にとは言わないわ。別に犬飼くんがいなくても、あたしは確実に姫乃を仕留められるから。そうねぇ……取引というより、これはお情けね。あたしの最大のライバルの散り際に、せめて好きな人と初体験くらいさせてあげようと思って。あたしは姫乃みたいなタイプは好きじゃないけど、初めての相手が馬鹿ゴリラなんて事になったら、さすがにあの子が可哀そうでしょ?」
 随分な自信だ。確かにもし姫乃が桃香に負けたら、確実に彼女の処女は礼門によってズタズタにされるだろう。そればかりか、他の男子たちも我先にと姫乃の身体を貪ろうとするはず。どんな悲惨な目に遭うかは想像するまでもなかった。
 しかしそれは『負ければ』の話だ。姫乃が桃香に勝ったなら、その悲惨な境遇を味わうのは他ならぬ桃香の方だった。そうならないために、彼女は虹輝を利用しようと企んだのではないか? 彼女の自信は単なるハッタリに過ぎないのでは?
「ふーん……その眼。犬飼くんは姫乃があたしに勝つと思ってるのね」
「ま、まぁ」
「でも残念だけどこの戦い、そんな結末にはならないわよ。勝つのはあたし。だってこの戦いはオセロみたいなものだから」
 オセロ?
 突然飛び出した場違いな言葉に、虹輝は首を捻った。
「あたしの家はね、父親が議員をやってるの。小さい頃から色んな大人が父親に会いに来るのを見てきたわ。この人は何が目的でパパに近づいてきたんだろうとか、この人は今なにを企んでいるんだろうとか、ずっと観察してた。だからあたし、他人の言動を観察して感情を見抜くのが得意なのよね」
 それは虹輝も知っている。桃香のその鋭い観察眼と洞察力によって、耶美は自分の恋心を見抜かれ、無残に敗北して屈服させられる事となったのだ。だがそれと姫乃への勝算と、どういう関係があるのか?
「姫乃はこの戦い、自分に有利になるように、切り崩し工作を仕掛けてきたわ。祢々子やみどりはあたしを裏切って、今や男子軍のスパイでしょう? こっちはこっちで、耶美を犬として飼ったりしてる。でも馬鹿ゴリラはいつ裏切るか分からないし、姫乃と男子軍の蜜月も仮初めのものよね。もう誰が敵で誰が味方かもよく分からなくなってきてるってわけ。状況は混迷を深める一方で、しかも刻々と変化し続ける。今さっき味方だった人が、一時間後には敵になってるかもしれないのよ。もちろんその逆の可能性もある」
 オセロは一枚の駒が、白と黒とで表裏一体となっている。将棋や囲碁、チェスと違い、一枚の駒が状況に応じて白にも黒にも刻々と変化していくのだ。
 いま現在、白か黒かが判別できれば、盤面全体の流れを読む事は難しくない。だが残念ながら、人間はオセロの駒のように『白』か『黒』かを一目で見分ける事は不可能だった。相手がいま自分にとって敵なのか味方なのか、判別する事は極めて難しいのだ。
「普通の人間なら、ね」
「そうか、羽生さんは観察眼が鋭いから……」
「もう分かったでしょう? どうしてあたしが姫乃に勝つって自信があるのか。姫乃は自分が有利になるように切り崩し工作を進めたけれども、実は工作を仕掛ければ仕掛けるほど、自分が不利になっているのよ。あたしなら目の前の相手が敵か味方かすぐに見抜ける。でも姫乃たちにはそんな洞察力は無い。どっちが有利かなんて、考えるまでもないわ」
 言われてみれば、祢々子やみどりがいつまでも姫乃の味方をしてくれる保証はどこにもなかった。色々と手は打ってあるものの、絶対とは言い切れない。士郎や清司にしても、桃香を倒すために力を合わせているに過ぎないのだ。もう姫乃の協力は不要と判断すれば、桃香が戦死する前に、姫乃を騙し討ちにして先に倒そうとするかもしれなかった。
 これは戦争なのだ。
 スポーツの試合ではない。
 どんな卑劣な手を使おうと、権謀術数を駆使しようと、最後に勝ち残った者が正義となる。負けた人間が「あいつは卑怯者だ」と声を上げたところで何の意味もなかった。戦争における『正義』とは、正しい行いをした者に与えられる称号ではなく、最後に勝った者に与えられる称号。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「知ってる? 姫乃はね、犬飼くんの事が好きなのよ」
「まさか」
 口ではそう言いつつ、虹輝は内心の動揺を必死に抑えていた。桃香は知っているのだろうか? 姫乃が保健室で虹輝に告白してきた事を。あれが本心なのか演技なのかは虹輝にもよく分からなかったが……。
「犬飼くんも姫乃の事が好きなんでしょ?」
「そ、そんな事、あるわけないよ!」
「あっはは、わっかりやすーい! 隠さなくてもいいわよ、どうせバレバレだし。犬飼くんみたいなタイプは、ああいういい子ちゃん優等生キャラに弱いのよね」
 言いながら、桃香はより一層身体を密着させてきた。明らかに胸の膨らみをわざと当ててきている。耳元で甘く囁いた。
「想像してみなさいよ。もし姫乃が負けたら、あの馬鹿ゴリラが姫乃の身体を玩具にしちゃうのよ。悔しくないの?」
「それは……」
「あたしに協力して姫乃を裏切ってくれたら、最初に姫乃と遊ばせてあげる。どうせあの子はまだ処女だろうから……前の穴も後ろの穴も好きに使っていいわよ? 馬鹿ゴリラの説得はあたしに任せておけばいいし。悪い話じゃないはずだけど?」
 その後に、男子全員のペットにされるのは止められないけどね、と言って桃香は楽しそうにケラケラ笑った。一体何がそんなに可笑しいのか。虹輝にはちょっと理解できない。
「ま、今日一日、ゆっくり考えてちょうだい。あたしが動くのは明日だから。姫乃を裏切る気になったなら……」
「犬飼くーん! どこよ? どこにいるの?」
 茂みの外から声が響いた。
 この声は……宇崎みどりだ。彼女も虹輝と同じ班である。カレーのルゥをもらいに行っていたはずだが、虹輝が呼び出されたと聞いて、罠の匂いを嗅ぎ取ってきたのだろう。探しに来てくれたようだ。
「あら残念。このまま犬飼くんのおちんちん、見ちゃおうって思ってたのに」
 冗談なのか本気なのか、そう囁いて笑みを浮かべ、桃香は虹輝を解放した。茂みの向こう――みどりと反対側の方へ抜け出していく。
「その気になったら連絡してね。メールでもいいし、馬鹿ネズミをパシリに使ってもいいから」
 ウインクして立ち去っていった。
 姫乃を裏切る……。
 虹輝にとっては想像もしなかった行動だ。いや正確には、その発想に目を背けていただけなのかもしれない。現在男子軍の士郎派と手を結んでいるとはいえ、姫乃はしょせん女子である。いつまでも仲間のままではいられない。男子女子戦争が続く限り、必ずどこかで戦わなければならない相手なのだ。
 そして勝つ。姫乃に勝たなければ、今まで男子軍が多大な犠牲を払って戦ってきた意味が無くなってしまう。
 男子が勝つという事は、女子が……姫乃が負けるという事だ。いつか打ち負かさなければいけない相手なら、いま裏切って打ち負かして何が悪い。それも当然の発想だった。
「犬飼くー……あ、いた」
 虹輝が茂みから出てくると、すぐにみどりが駆け寄ってきた。
「何やってたのよ、こんな所で」
「べ、別に……」
「どうせ桃香あたりに誘われてたんでしょ、姫乃を裏切って味方にならない? とか言って」
 図星だ。さすがに桃香の取り巻きをしていただけあって、みどりの推測は的を射ていた。
「耶美が裏切った事くらい、分からないの? なんで素直に言われた通りホイホイこんな所まで出向くかなぁ」
「ごめん……」
「別に謝らなくていいし。あんたがどこで戦死しようと知ったこっちゃないからね。むしろ女子軍の一員としてはサッサと死んでよって感じ。ただ、死ぬんなら桃香を倒してから死んでほしいわ、個人的願望としては」
 みどりの視線はあくまで冷やかだった。当たり前か。彼女がプールでレイプされた時、虹輝は助けようともせず嬉々としてその痴態をカメラに収めていた。礼門に強制されての事だが、クラスメイトの女子の恥ずかしい写真を撮る事に興奮していたのも事実である。恨まれていないだけでも感謝すべきだろう。虹輝に対して好意など持ってくれるはずもなかった。
「桃香に何を言われたのか知らないけど、絶対に耳を貸しちゃ駄目よ。あの腹黒女は自分が生き残る事しか考えてないんだから。約束なんて守るつもりはないし、役立たずと判断したらすぐにポイよ」
「分かってる」
「あの女だけは許しておけないわ。何が何でも復讐してやる。二度と立ち直れないくらい、ズタズタのボロボロになるまでいたぶり抜いてやるんだから……」
 みどりの眼にはナイフのように鋭い眼光が宿っている。桃香が彼女に対して与えた仕打ちを考えれば、無理からぬ反応だろう。
 憎しみは憎しみしか生まない。だから復讐など無意味だ……というのは一般論であって、自分が憎しみの渦中に放り込まれればそんな綺麗事は通じなかった。誰だって復讐の炎に胸を焦がすものだ。
 たとえ復讐を果たしたとしても、レイプされた事実は永遠に消える事は無いが、それでも彼女は仕返ししなければ気が済まない。誰にもそれを責める事は出来なかった。




 早めの夕食を終えると、入浴の時間になる。
 青少年交流の家では、宿泊棟の近くに浴室棟と呼ばれる建物があり、ここに大浴場が設けられていた。決められた入浴時間に合わせて、クラス単位・班ごとに宿泊棟から出向いていき、一日の汚れを洗い落とすのだ。
 自然教室や修学旅行における入浴の時間。それは言うまでもなく、最大のイベントタイムの一つであった。
 さすがに、男子が女湯を覗く……なんて漫画のような展開はそうそう現実には起こらない。とはいえ同性同士であっても、普段顔を合わせているクラスメイトが裸を見せあうというのは、あらゆる意味で貴重な体験なのだ。特に小学校高学年や中学生は、第二次性徴の真っ只中である。身体の発育に個人差が大きい年齢であり、羞恥心も強い。それでいて誰もがエッチな事に興味があるお年頃だった。同性でも他人の裸には興味津々なのである。
 ただし、この五年二組に関してだけは、少し事情が違っていた。
 何せ彼らは男子女子戦争の最中。しかもほとんどのメンバーは既に戦死していた。つまりクラスメイト同士、しかも異性の裸すら、とうの昔にしっかりと確認しているのである。むしろ写真でしか見た事のない裸を、生で見る機会がある……彼らにとっての入浴の時間にはそんな意味合いがあるのだ。残念ながら異性の裸を見る事は出来ないが、それでもなお違った方向で、五年二組の入浴タイムにも高揚感が満ち満ちていた。
 男湯も。
 もちろん女湯も。




 ――それではまず、男湯の方から様子を窺ってみるとしよう。
「いやー、いい湯だねぇ。極楽極楽」
 タオルを頭に載せ、士郎が楽しそうに鼻歌を奏でる。
「ちょっと親父臭いんじゃないか、士郎」
 隣で湯船につかっている清司が呆れたように呟いた。
「こんな大浴場なんて旅行の時くらいしか入れないからなぁ。少しくらい破目外したっていいだろ? あ、おーい! 虹輝、こっちこっち!」
 士郎が大きく手を振る。視線の先には、洗い場で身体の汚れを落とし、椅子から立ち上がった虹輝の姿があった。背の低い彼の肉体には筋肉もほとんどついておらず、白い肌はまるで少女のように美しい。股間はタオルでしっかりとガードしていた。
「何だよ、そんな必死に隠して。男同士じゃねぇか、裸の付き合いだろ?」
「だ、だって恥ずかしくて……」
「こんなんで恥ずかしがってちゃ、深い仲にはなれないぞ? 別に剥けてなくても毛が生えてなくても恥ずかしがる事はないさ。俺と清司なんてこの前、体育倉庫で……」
「ちょ、おい士郎!」
 清司が血相を変えて叫ぶ。
「ああ、悪い悪い。うっかり口を滑らせるところだった」
「うっかりし過ぎだろ……。もうちょっと羞恥心ってものを持ってくれないと……」
 虹輝は知らなかったが、士郎と清司は数日前、祢々子を籠絡するために体育倉庫でお互い裸になって愛し合ったのだ。裸の付き合いどころか、性器を舐め合ったりお尻の穴に挿入したりして、文字通り精根尽き果てるまで絡み合った。清司にとってそれは夢のような時間。士朗にとっても嫌悪感を抱くものではなかった。士郎はもしかすると、男性でも女性でも同じように性的対象と認識できる、両性愛者なのかもしれない。
 だからといって恥ずかしげもなくそれを他人に話されても困るのだ。いくら同性愛が社会に認められつつあるとはいえ、まだまだマイノリティの性的指向である事に変わりはない。
「体育倉庫で、どうしたの?」
「お前には関係ない!」
「お、怒らなくってもいいじゃないかぁ……」
 訳も分からず涙目になる虹輝に、清司は頭を掻いて「いや……すまん」と謝るのだった。
「何だ? 随分とにぎやかだな」
 そこにやって来たのは、礼門だ。
 また珍しい客が顔を見せたものである。
「ちょいと失礼するぜ?」
 彼は虹輝と対照的に、タオルを肩にかけ、股間を隠そうともしなかった。湯船に浸かった虹輝の隣から足を踏み入れてきたので、ちょうど彼の目の前を礼門のペニスが通過していく格好である。
 その大きさは大人並みで、勃起していないにもかかわらずきちんと包皮が剥けていた。毛もしっかりと生え揃い、実に貫録のあるおちんちんである。
「何だよ犬飼。人のモノをジロジロ見て。そんなにこいつが珍しいかい?」
「い、いや、その……」
「へへ、そりゃ誰かさんみたいに皮被りの子供ちんちんぶら下げてる奴にとっちゃ、ズル剥けなんて見た事ないだろうな」
 礼門の視線は虹輝ではなく、むしろ士郎の方へ向けられていた。士郎は既に戦死した身。彼のおちんちんは女子軍の手でしっかりと写真や映像に撮られ、クラス全員に送信されている。半端に生えた毛や、亀頭をすっぽり包み込む包皮も完全に暴かれ、晒し者になっていた。
 男にとって……特に思春期の男子にとって、おちんちんの大きさは重要なステータスなのだ。大きさだけでなく、毛の生え具合や皮の剥け具合を他人と比較し、一喜一憂する。
 下らないと言えば実に下らない。それでも、男子にとっておちんちんは己のプライドの全てであった。普段見せ合いっこなどはしないが、だからこそ露わになった時、自分と相手とのランクが逆転するきっかけともなり得るのだ。
 普段偉そうにしている男子でも、おちんちんが小さかったり毛もろくに生えてなかったり、まして包茎だったりすれば、それが知られた時点でたちまち威信が低下してしまう。逆にナヨナヨした男子が意外と立派なモノをぶら下げていたりすると、それだけでも一目置かれる事になる。男にとって、粗末なおちんちんを見られる事は死活問題だった。
 何とも馬鹿馬鹿しい話だが、そんな馬鹿馬鹿しい事を真剣に考え、苦悩する生き物……それが男というものなのだ。
「……で? 何の用だよ礼門。自慢のブツをお披露目に来ただけか?」
 士郎が憮然と言い放つ。彼ほどの人間であっても、やはり目の前に立派なペニスを見せつけられると、どうしても気後れしてしまうらしかった。無意識に視線を外してしまう。幾度となく女子に子供ちんちんを馬鹿にされたから余計にトラウマになっているのだろう。
「なーに、ただの裸の付き合いさ。ひとつ、腹を割って話そうと思ってな」
 礼門が湯船に浸かり、士郎たちの方へにじり寄っていく。
「白鷺の事か?」
「話が早くて助かる。俺は今夜、あいつを戦死させるために動くつもりだ。ぜひとも協力してもらいたくてな」
 士郎たちはいま姫乃と同盟を結んでいた。それを知っていてなお、こんな厚顔無恥な依頼をしてくるのだから大した根性だ。
「もちろんタダで助けろなんて言うつもりはねぇ。桃香の野郎を潰す手伝いはさせてもらうぜ? あいつ、俺の事を駒扱いしやがって、いい加減ムカついてんだよ。本当なら俺のモノで貫いてやりたいところだが……俺にとっちゃ羽生より白鷺だ。白鷺を倒せるんなら、羽生をどうしようと俺は干渉しない。それに男子軍が勝った後、戦後の枠組みをどうするかもお前らが決めればいいさ。女子どもをどうやって統治して支配するのか。それも、俺には関係のない話だ」
 元々、礼門は五年二組の女子の中でも指折りの美少女……幼児体型の祢々子を除く、姫乃・桃香・耶美・みどりの四人をレイプする事を目的としていた。男子女子戦争への参加は、その野望成就のためのカモフラージュに過ぎない。
 そのため雑魚女子を脱がす事には興味がなく、彼は一刻も早く本命の女子たちを戦死させたいと考えていたのだ。これが男子軍リーダーだった士郎との間に軋轢を生む事となる。士郎は言わばハト派で、男子も女子も最小限の犠牲で、戦争を終わらせようと思っていた。
「俺はお前のそういう生ぬるいやり方が気に食わなくてな。だがプールの一件以降、お前も意外と好戦的になってきたじゃないか。あん時は俺も見直したんだぜ?」
 清司が戦死した時の話だ。士郎と姫乃が同盟を結んだ時でもある。あの日以来、士郎はかなり好戦的な指揮を執るようになった……気がする。
「こうなるともう、俺とお前とが争う理由も無い。そうだろ?」
「逆に白鷺と桃香の感情的な対立は決定的だよな。男子軍を利するだけって分かっていても、一時休戦して女子軍を一つにまとめましょう……って展開は望めない。この隙に俺たちが手を組めば、もう男子女子戦争は勝ったも同然ってわけだ」
「さすがに呑み込みがいい」
 そこで礼門はいったん話を区切り、手ですくった湯船のお湯を自分の顔にぶつけた。ゆっくり顔を拭い、大きく息を吐き出す。
「――羽生とお前は幼馴染みなんだってな」
 切り替えた話題。
 士郎の眉がピクリと動いた。
「ああ。それがどうかしたか?」
「いやなに。幼馴染みだからって必ずしも好きになるとは限らねぇが……ガキの頃から一緒だった腐れ縁の女が、目の前で精液便所にされるとこなんか見たくないだろ? 俺は白鷺さえボロボロにできりゃそれで満足だ。羽生を戦死させる時にお前が手加減しても気にしない。他の男子どもが文句を垂れても、俺は口出しするつもりはねぇし、むしろそいつらを抑えてやってもいいんだぜ? お前と俺とが一喝すりゃ、逆らおうとする雑魚男子なんているわけないだろ?」
 つまり礼門の言い分はこうだ。
 士郎が姫乃を裏切って礼門に協力してくれれば、礼門は桃香を戦死させる事に力を貸す。そして桃香をどう料理しようと口出しはしない。例えば、ちょっと裸の写真を撮るだけで許してあげても全然構わないと言っているのだ。桃香の裸を直接鑑賞して、あわよくば輪姦も狙っているであろう……大多数の男子はブーイングの嵐となるが、士郎と礼門が団結すれば、その不満を抑え込む事は十分可能だった。
 これではまるで、姫乃の処女を見返りに寝返る事を誘った、桃香の策略と全く同じではないか。姫乃を最初に犯させてあげるから、彼女を裏切って自分に協力しろ。桃香が虹輝を誘惑しながら引きずり込もうとした策謀である。この戦いはオセロのようなものだから、最後に勝つのは姫乃ではなく桃香の方だとも言っていた。
 オセロのような戦い――。
 桃香の言葉はまさにこの混沌とした戦況を的確に表現している。祢々子とみどりは男子軍に寝返り、姫乃と士郎は同盟を結び、桃香と礼門も協力。一方で桃香は虹輝に裏切りをそそのかし、礼門と士郎も接近中だ。他にも水面下での切り崩し工作はあちこちで行われているのだろう。誰が敵で誰が味方なのか。もう誰にも分からなくなってきていた。
 果たして、士郎は礼門の誘いを受けるのだろうか?
「……いいぜ。その話、乗った」
 逡巡は一瞬だった。
 士郎はいともあっさりと承諾の言葉を返す。
「明石くん?」
「お前……本気か?」
 虹輝も清司も目を丸くした。
「白鷺とは同盟を結んでいたんじゃないのか?」
「まぁな。清司の言う通り、俺は白鷺と力を合わせる約束をしている。けど、それはもちろん条件付きだ。条件は三つある。一つは、桃香が礼門たちと協力する間、これに対抗するために力を合わせる……って条件。礼門が桃香を裏切るなら、俺はもう白鷺と手を組む必要はないだろ?」
「二つ目の条件は、羽生を倒すまでの間、白鷺が男子軍と手を結ぶって条件だな。そいつも俺が羽生を裏切った時点で無効だ。俺だけじゃなくて、鮫島の先公も俺についてくれるって事になってる。もうあの高慢ちきな女に付き従うのは根墨だけさ。これなら勝ったも同然だ」
「お見通しってわけか。仰る通り」
 鮫島は姫乃にしか興味が無いから、有益と見ればすぐに寝返るのは当然だった。話を聞く限りでは桃香はとんでもなく劣勢に追い込まれているように思えてくる。あくまで礼門の話が全て真実であれば、の話だが。
「最後の、三つ目の条件は何なの?」
 虹輝が恐る恐る尋ねる。その内容によっては、姫乃との同盟を維持する根拠になるはずだ。しかし士郎の返事は素っ気ないものだった。
「三つ目の条件は戦争が終わった後の話さ。戦後の統治について、俺が出来る限り協力するってだけの話。だから今は関係ない」
 戦後の統治について……? どうして姫乃は、戦争が終わった後の事に関して、士郎と同盟を結んでいるのだろう。終戦後という事は、男子軍か女子軍のどちらかが敗北した後の話だ。どちらの軍が負けても、お互いに温情をかけましょうという同盟なのか? 姫乃や士郎がそんな後ろ向きの同盟を組むとは思えないのだが……。
「よし、決まりだな。早速今夜動くぜ」
「それはいいが……どう仕掛けるつもりだ? 作戦はあるのかよ?」
 虹輝があれこれ思いを巡らせている間に、どんどん話は進んでいく。
「ふん。俺は生憎と小難しい策は苦手でね。シンプルに攻めさせてもらうさ。……ズバリ、夜這いだ」
「夜這いぃ?」
「なるほど、そう来たか」
「ハッハッハ、そりゃあいい。いかにもお前らしい作戦だ」
 士郎は声を上げて笑うが、それは決して嘲笑ではなかった。確かに夜這いもまた立派な作戦である。この自然教室という状況下においては。
 普段の男子女子戦争なら、夜這いなどという戦法はまず不可能だろう。姫乃の自宅を見つけるのは、女子の協力があればそれほど難しくはないが、夜間に忍び込むとなると大人でも難しい。まして姫乃の家族に見つかる事なく、姫乃の部屋に侵入し、恥ずかしい写真を撮影してトラブルなく脱出するなど至難の業だった。
 だが今は自然教室だ。
 しかも二日目の夜は宿泊棟で泊まるが、一日目の夜はテントで就寝する。テントの出入り口に鍵はかけられない。これほどのチャンスはもう、後にも先にもこれっきりのはずだ。
「白鷺だって馬鹿じゃねぇ。初日の夜が危険だって事くらい分かってるだろ。恐らく、クラスの女子の誰かとテントを入れ替わるはずだ」
「失脚したとはいえ、白鷺本人と雑魚女子たちとの関係はそこまで悪くはない。口には出さなくても、桃香より白鷺の方が好きって女子もいるだろうしな。女子軍の生き残りもあと二人。みすみす男子軍に売り渡すような真似はしない、か……。俺の役割は、白鷺からそれとなく、どのテントで寝るのか情報を聞き出す事だな」
「ああ。先公どもの見回りもあるから、夜這いを実行できるのは、鮫島の見回り担当時間に限られる。白鷺がどのテントで寝ているのか、探索に少しでも迷ったらタイムオーバーと考えていいだろう。テントに侵入したら、お前は白鷺の身体を押さえていてくれ。鷲尾と犬飼はテントの中の他の女子を押さえつける担当だ。俺が白鷺の服を全部引っぺがして、写真を撮った後、じっくりいたぶってやる」
 てきぱきと礼門が指示を出していった。
 奇しくもこれは、虹輝が転校してきたばかりの頃に似た状況である。反目し合いながらも、男子軍の中枢メンバーが一丸となって女子軍と戦っていた頃。今となっては何だか少し懐かしいくらいだ。
 けれども士郎は本当に礼門と手を組むつもりなのだろうか? もしかすると、姫乃は『礼門が夜這いの協力を持ちかけてくる事』さえも見抜いていて、あらかじめ士郎と打ち合わせしているのかもしれない。礼門に協力すると見せかけて、彼を戦死させる作戦なのではないか? 少なくとも虹輝は……そして恐らく清司も、そんな作戦など何も聞かされていなかったが。
「俺が白鷺をたっぷり味わった後で、まだ時間に余裕がありそうなら、お前らもつまみ食いして構わねぇぜ?」
「女の裸には興味ない」
「俺もパスだわ。お前のおこぼれに預かるほど飢えちゃいないんでね」
 一方で、士郎は桃香の事をどう思っているのか……。その答えによっては、彼が本気で礼門と力を合わせる可能性も十分あった。もし桃香に恋愛感情を抱いているのなら、好きな女の子を助けるために、姫乃を見殺しにするのは自然な判断だろう。男子軍が勝つための戦略としても理に適っていた。
「おう犬飼。お前はどうなんだ? 白鷺とヤッてみたくないのか?」
 礼門が水を向けてくる。
「ぼ、僕?」
「あいつ、もしかすると犬飼に気があるかもしれねぇぜ? 笑っちまうだろ」
 虹輝の脳裏に、桃香の言葉が過ぎった。「想像してみなさいよ。もし姫乃が負けたら、あの馬鹿ゴリラが姫乃の身体を玩具にしちゃうのよ。悔しくないの?」……。
「僕は……別に……」
「何だよお前ら、揃いも揃ってホモか? あんなイイ女を犯せるチャンスだってのによ。……まぁいいさ。なら俺が白鷺を味見するのに異存はねぇって事だな。俺のモノをぶち込まれて、あんあん喘ぐあいつの醜態をせいぜい間近で観察するこった」
 礼門が勢いよく立ち上がる。水音と共に浴槽のお湯が揺れ、こぼれ出していく。虹輝の目の前に、再びあの凶器のようなペニスが晒された。もしあれが姫乃の性器に挿入されたりしたら……。
 その時、虹輝はハッキリと自覚した。
 悔しい。
 悔しいのだ。
 もし自分より先に礼門が姫乃を犯したら……とても悔しい。
 悔しいのなら、どうする?
 虹輝は自問自答する。
 どうすれば自分が礼門より先に、姫乃を犯す事ができるのだろう。彼女は、いずれにしても雌雄を決しなければならない敵であった。
 そうだ。どうせ戦わなければならない相手であるなら。どうせどちらかが勝ってどちらかが負けるのなら。自分は、姫乃に勝って、彼女を手に入れたい。
 誰よりも先に姫乃を自分の物にしたい。
 その為なら……。
 その為なら。
 卑劣な裏切り行為に手を染めたって、何が悪いというのだろう?
 それが、今の虹輝の、偽らざる本心であった。




 一方、その頃女湯では。
 指定時間に合わせて、次々と女子たちが班単位で脱衣場を訪れ、入れ代わり立ち代わり入浴を済ませていた。
 自然教室や修学旅行における、女子の入浴。それは、男子にとって永遠の憧れであった。誰もが見たいと願いながら、決して見る事の出来ない聖域。普段顔を合わせているクラスメイトたちの入浴姿。想像する事でしか得られない情景……。もしこの女湯を覗く事が出来た男子がいたのなら、たとえ後で見つかったとしても、それは一生ものの思い出となる事だろう。
 女湯を盗撮した非合法の映像はあるかもしれないが、「自分のクラスメイトを盗撮した映像」を入手して見る機会などは決してあるまい。アンダーグラウンドで出回っている自然教室や修学旅行の盗撮映像。それはどこか別の学校の、知らない女子の裸に過ぎないのであって、決して「自分のクラスメイトの裸」ではないのだから。
 当の女子たちは、自分たちがそんな永遠の憧れを今この瞬間、形にしているとは思いもせずに、淡々と服を脱いでいた。男子たちにとってのお宝シチュエーションも、女子たちにしてみれば単なる入浴の準備に過ぎないのだ。
「わーい、おっふろ、おっふろーっ!」
 そんな中、人一倍楽しそうに服を脱いでいるのは、祢々子であった。ピンクのTシャツとショートパンツを脱ぎ、キャミソールとショーツ、靴下だけの姿になる。さすがにこの幼児体型ではまだブラジャーは必要ないようだ。アニメキャラがプリントされたキャミソールを脱ぎ、クマさんパンツも堂々と足から抜き取っていく。
「祢々子……あんたもうちょっと恥じらいってものを覚えなさいよ」
 隣の脱衣かごにトレーナーを入れながら、みどりが呆れたように呟いた。
「ん? どうして? いいじゃん、女の子同士なんだし」
 祢々子の胸は完全な洗濯板で、股間の毛も産毛すら生えていなかった。靴下を脱げば完全なすっぽんぽんだ。幼稚園児の集団に混じれば発見は不可能だろう。
「いいわね幼児体型は。隠すところが無くってさ」
 やや皮肉めいた視線を向け、みどりは下着姿になった。既にCカップくらいはありそうなブラジャーは、ホワイトレースに縁取られた黄色い花柄である。大人の女性が付けるような派手な柄ではないものの、他の女子が着用しているようなジュニアブラと比べれば、明らかに大人っぽいデザインだった。
 ホックを外して肩紐を腕から抜き取り、タオルで身体の前面を隠してから、ブラジャーを脱衣かごに放り込む。プールでの一件でクラスメイトに裸は見られているが、それでも改めて身体を晒すのは恥ずかしい。それが思春期の女の子の、当然の反応だろう。最後にみどりは、グリーンチェックのショーツを足から抜き取っていった。
「ふーん、さっすがクラス一のナイスバディだねぇ。出る所は出てるし、引っ込んでる所は引っ込んでるし。あ、ちょっと黒いの見えちゃった! 相変わらずアソコの生えっぷりも大人じゃーん?」
「ちょっと祢々子、ジロジロ見ないでよ。スケベ親父じゃあるまいし」
「良いではないか良いではないか。ほーれ、もっと見せてみよ?」
「きゃあっ?」
 突如響いたみどりの悲鳴に、脱衣場にいた女子たちが一斉に視線を向けた。何と祢々子がふざけて彼女のタオルを剥ぎ取ってしまったのだ。とっさに手で隠すが、大きな胸も股間の茂みも見られてしまっただろう。脱衣場には二組の女子だけでなく、一組の最後に入浴した女子もまだ残っているから、見られた事のない人にもバッチリ身体の秘密を知られてしまった。
「わぁ、おっぱい前よりおっきくなってない? 毛は少なくなったかなぁ……ひょっとして手入れしてきたの?」
「もーう、許さないわよ祢々子! タオル返しなさいよ!」
 手を伸ばすも、彼女はひょいとかわして逃げ出してしまう。
「幼児体型でも隠すところはあるからさ、これ借りちゃおうっかなぁ」
「待ぁーてーっ!」
 祢々子がタオルを振り回しながら走り出せば、みどりだってこれを追いかけないわけにはいかない。やむなく股間を覆っていた手を外して、みどりは祢々子の後を追った。どうにか乳首だけは隠しているが、たわわに揺れる胸も股間のカットした陰毛も、すっかり曝け出す格好である。
 もしかすると祢々子は……わざとふざけて明るく接しているのかもしれない。何せみどりは五年二組の女子の中で唯一の非処女であった。レイプという望まない形ではあるが、経験済みには違いないし、他の雑魚女子たちにセックスの経験などあるはずもない。雑魚女子たちの間では、非処女になる事で身体がどんな風に変化するのだろう? と興味津々にみどりを観察していた者もいたのだ。
 恥ずかしがって隠そうとすればするほど、より注目を惹きつけてしまう。逆に幼児のように丸出しで走り回ったりしたら、エッチな目で見ようとする方が馬鹿らしくなってくるはずだ。セックスを経験しようとしまいと、成長期の身体は刻々と変化するし、個人差があって当然。引け目に感じる心配も恥ずかしがる必要も一切無かった。
 もっとも祢々子の事だから、単にみどりをからかっただけで、深い意図など一切無い……という気もするのだが。
「こら、そこ! 走ったりしたら危ないでしょ! 遊んでないでさっさと入浴を済ませなさい!」
 美月の怒号が響く。入浴時に事故が起きないように、そして時間通りに入浴するように指導するのも、引率の教師の役割である。今回の自然教室では、教頭先生を筆頭に、各クラスの担任と養護教諭である彼女が同行していた。
「はーい」
「すみませーん」
 怒られた二人は大人しく浴場の方へ歩いていく。それを見ながら、桃香が呆れたように呟いた。
「まったく、二人とも子供なんだから」
 彼女の言葉はある意味実に説得力があった。
 なぜなら、露わになった桃香の下着は、上下お揃いの大人っぽい紫色。光沢のあるナイロン地で、派手なレースもふんだんにあしらわれていたからだ。女子高生……いや大人が着用していてもおかしくない。胸のサイズはみどりに譲るが、下着の好みは遥かにアダルトな雰囲気であった。
 恐らく、自然教室のためにわざわざ買っておいた、新品の下着なのだろう。入浴の時にクラスメイトに見られるのは当然予想できるから、見栄を張って高価な下着を着用しておく。桃香くらいの年頃の女の子なら、それくらいのお洒落は当然だった。
「ねぇ耶美。ちょっとホック、外してくれない?」
 タオルで身体を隠した桃香が、隣の耶美に声をかける。彼女は既に飾り気のないスポーツブラを脱いで、黒無地のショーツも引き下ろしたところだった。ほんの膨らみかけの乳房も、意外と毛深く生え揃った陰毛も、隠そうともせずに丸出しである。下手に隠す方が恥ずかしいと、彼女も分かっているのだ。性器の中も肛門も、ましてオナニー姿までクラスメイトに見られていて、今さらヌードを隠そうとするなど、恥の上塗り以外の何物でもなかった。
「はい、桃香様」
 耶美は素っ裸のまま桃香の背後に回り、ブラジャーのホックを外していく。みどりと同じように器用にブラを抜き取り、桃香はショーツも脱いでいった。
 身体を隠しながら脱いでいるのは、恥ずかしいというのももちろんだが、最大の理由は「男子軍の罠を警戒して」いるからだ。もしかすると隠しカメラなどが仕掛けられているかもしれない。脱衣場や洗い場で無防備に晒した裸体を撮影されたら、その時点で戦死である。専門のショップやネット通販なら、今時いくらでも高性能の超小型カメラくらい手に入れる事ができた。
 もっとも、第三者にカメラを発見されるリスクを考えれば、男子軍がそんな戦法を取るとも考えにくいが……。警戒だけは怠るわけにいかない。極力、ガードは固くしておいた方が安心だろう。
「あら姫乃。今から?」
 裸になったところで、ちょうど姫乃が脱衣場にやって来た。一瞬耶美と視線を合わせるが、すぐにお互い眼をそらす。
「あたしも今から入るところなのよ。身体の洗いっこでもする? ふふ、身体の隅々まで洗ってあげるわ」
 悪戯っぽくウインクする桃香。もちろん本気で言っているわけではあるまい。
「お構いなく」
「そう言えば姫乃の裸ってまだ見た事なかったわねぇ。みどりや祢々子はお泊り会で一緒にお風呂に入った事もあったけど。姫乃ってプールの着替えの時でも完全ガードだもんね。脱いだ下着もすぐにスイムバッグの中に入れちゃうし」
 タオルで隠しているものの、桃香は既にオールヌードとなっていた。にも拘らず、恥ずかしがる様子もなく、堂々と姫乃に視線を送っている。
「……お風呂に入るんじゃなかったの?」
「ええ、もちろん。すぐに洗い場の方に行くわ。姫乃の方こそ、早く脱ぎなさいよ。次の班の子が来ちゃうわよ?」
 桃香の意図は明白であった。これから始まる姫乃のストリップショーを、特等席からじっくり観察しようというわけだ。彼女もタオルで隠しながら脱ぐだろうが、少なくとも下着姿までは拝む事が出来る。いずれ戦死させて素っ裸にひん剥くつもりであっても、折角の偶然を活用しない手は無かった。
 何か言いたげな姫乃だったが……。
 それ以上は口を開かず、黙ってエメラルドグリーンのパーカーを脱ぎ始めた。たとえライバル関係にある少女であっても、同性なら裸を見られる事にそれほどの抵抗は無い。むしろ躊躇すればするほど、逆に自分の羞恥心が高まってしまうだろう。極力平静を装い、姫乃は白いポロシャツも頭から抜き取っていく。露わになったのは、真っ白の素肌と、それを覆う純白のブラジャーだ。
「へぇ、優等生は下着の趣味も優等生なのね。胸のサイズも控えめな事。耶美、あなたよりは大きいんじゃない?」
「そうですね」
 耶美の返事は素っ気ないが、その視線は、初めて露わになった姫乃の胸の膨らみへと注がれていた。耶美ほどささやかではないものの、お世辞にも大きいとも言い難いサイズ。それでも五年生としては平均的……或いはやや小さめと思われた。
 ブラジャーもコットン素材のシンプルなデザインで、カップにはまだワイヤーが入っていなかった。乳房が膨らみかけた少女が着用する、典型的なジュニアブラである。
「さ、下も脱いでちょうだい?」
 まるでストリップの催促だ。ジロジロ見られながら服を脱ぐのは屈辱だろうが、姫乃は涼しい顔でホットパンツのファスナーを下ろしていった。相手も裸になっているのだから、文句を言うのは筋違いかもしれない。ホットパンツを足から抜き取り、靴下も引き抜いていく。
 姫乃のショーツは、白地に薄いブルーの水玉が入った、愛らしいジュニアショーツであった。ブラと同じく、リボンがワンポイントで付いている。
「あはは、可愛いパンツねぇ。馬鹿ゴリラなら子供っぽいって笑うだろうけど、犬飼くんならそういうの、喜びそうよ?」
 ようやく姫乃の下着姿を見る事が出来た桃香は、その姿を間近からしっかり観察していった。パンチラすら見せなかったクラスメイト……しかも自分の宿敵とも言うべき少女が、とうとうブラとショーツだけの姿になったのは感慨深いものがあった。
 あのブラジャーの下には、どんなおっぱいが隠れているのだろう。乳首の色は? 乳輪の大きさは? ショーツの下も気になる。果たして陰毛はもう生えているのか? 生えているとしたら、その濃さはどのくらいか? 何より知りたいのは性器の形だ。陰唇の大きさや色素の沈着具合、クリトリスの勃起したサイズも是非見てみたかった。お尻の穴も忘れてはならない。肛門はピンク色なのか? それともグロテスクなすみれ色か? もしかしてお尻の穴の周りにまで毛が生えているかもしれなかった。
 残念ながら今はそれを知る事はできない。姫乃が脱衣かごから自分のタオルを引っ張り出してきた。あれで隠しながら脱ぐのだから、これ以上の身体の観察は不可能だ。
 しかしあくまで「今は」だ。いずれ必ず見てやろう……と桃香は心に誓った。ブラジャーもショーツも剥ぎ取って、生まれたままの姿に貶めてやる。そしてクラスメイト全員に、身体の隅々まで観察させるのだ。もちろん男子には筆おろしもさせてやる。あの清楚ぶった表情が、いつ泣き叫んで屈服するのか。今から楽しみだ。
 姫乃がタオルで身体の前を隠す。しかしすぐに困惑した表情を浮かべた。
「あら、どうしたの姫乃? 困ってるみたいね」
「別に……」
 精一杯平静を装っているが、桃香には彼女の狼狽が手に取るように分かる。ブラジャーの脱ぎ方が分からないのだ。いやもちろん、隠さずに脱ぐだけならすぐにできる。ラップタオルの中でホックを外して脱ぎ去るのもお手の物だろう。しかしタオルで身体の前面だけ隠しながら、ブラを脱ぐのは初めての経験らしかった。
 あれほど聡明で知的な少女が、ブラジャーの脱ぎ方が分からずに混乱している様は、見ていて実に楽しい。しょせん彼女も五年生の幼い少女という事だ。
「耶美、ホックを外してあげなさい」
「はい、桃香様」
 命令を受け、耶美が一歩前に進む。
 しかし彼女が手を伸ばす前に、別の方向から腕が伸び、姫乃のブラジャーに手をかけた。
「――外してあげましょうか?」
 その場にいた三人の視線が、声の主へと一斉に向けられる。
 大きな眼鏡をかけた少女。背は姫乃と同じくらいで、長い髪はうなじで一つに縛られていた。髪はドライヤーで乾かしたようだが、火照った肌から見て、どうやらもう入浴を済ませた後のようだ。五年二組の生徒ではなかった。
「あら、ホックじゃなくてスナップボタンなのね。ブラ、付け始めたばかりなんだ」
「え、ええ……」
「うふふ。可愛い」
 ブラジャーはほとんどの場合、金属の鉤爪で固定するホックが使われている。だがブラジャーの着用に慣れていない少女向けの商品では、ホックの代わりにスナップボタンを採用する場合もあった。きっと姫乃はスポーツブラからジュニアブラに変えたばかりなのだろう。彼女の性格からして、自然教室だから見栄を張ってジュニアブラを着用してきたわけではないと思われるが……脱ぎにくそうにしているのはそれも理由の一つかもしれない。
「あなた、確か一組の」
 耶美が尋ねる。桃香は面識が無かったが、姫乃はすぐに思い至ったようだ。彼女が先日、保健室で美月と会った時、一瞬だけ顔を合わせた……あの眼鏡の少女である事を。
「まのみです。村咲まのみ」
 まのみと名乗ったその少女は、姫乃のスナップボタンを外すと、肩紐もずらしてやった。
「あ、ありがとう……村咲さん」
「まのみでいいわよ、白鷺さん。うふふ、綺麗な肌ね」
 しっかりと胸を隠したまま、姫乃が慎重にブラジャーを脱ぎ去っていく。露わになる彼女の背中。まのみは剥き出しの肩をそっと撫で、背中に人差し指を這わせていった。
「ま、まのみ……さん?」
 背骨に沿って下っていくまのみの人差し指は、尾骨にまで辿り着き、ショーツの端に引っかかる。曲げた指に軽く引っ張られるウエストゴム。お尻を覆っている生地が浮き上がれば、当然その隙間から、隠れていた肌が覗き込めるようになった。どのみちショーツを脱げばお尻は見られるのだが……。ほんの少し、ヒップの谷間が露わになったかと思うと、パチンと音を立ててショーツが肌を叩いた。
「これから入浴するんでしょう? これは脱がないの?」
「今から……脱ぐから。ありがとう、もういいわ」
 姫乃はもちろん、桃香も耶美も、このまのみという少女の言動に困惑していた。少しレズっ気があるのだろうか? いや、それにしては性的な興奮を抱いているようには見えない。かといって耶美のような無表情・無感動というわけでもなかった。珍しい玩具を手にして、興味津々に遊んでいる、そんな純真な幼児を思わせる言動だ。フワフワとしていて捉えどころのない、不思議な少女である。
 一組の女子である事は確かだが……いったい何者だろう? 何が目的だ?
「何やってるの! 次の班の入浴時間が迫ってるのよ! 喋ってないで早く入りなさい!」
 美月の怒号が響く。
「はい、すみません」
 姫乃は左手でタオルを抑えたまま、器用に右手でショーツを脱ぎ去り、小さく畳んで脱衣かごの洋服の下に隠した。ブラと違って鮮やかな脱ぎっぷりである。決して大きくないが、形の整った小ぶりのお尻であった。
「お先に」
 姫乃が洗い場の方へと歩いていく。太ももの筋肉が動くたび、引き締まったお尻が左右に揺れ、同性の桃香であっても思わず見とれてしまう。悔しいが、うっとりするようなヒップラインだ。姫乃を打ち負かした暁には、あのお尻を好きなだけ撫で回して、思いっきり尻たぶを左右に開いてやろう。股間に隠された性器と肛門を白日の下に曝け出すのだ。どんな美しいお尻にだって、汚らしい排便のための穴は備わっている。たとえ白鷺姫乃ほどの知的かつ可憐な美少女であっても、その排便のための穴から、鼻の曲がるような臭いのウンチを定期的にひり出しているはず。それをクラスメイト全員の目の前で証明してやるのだ。
 ふと見ると、いつの間にかまのみの姿はどこにも無かった。入浴を終えたのだから自分のテントに戻ったのだろう。
 耶美はと言うと、姫乃の脱衣かごに無意識に視線を送っていた。
「ふふ、姫乃の脱ぎたてショーツが気になる?」
 言われて初めて気づいたのか、ハッとした様子で耶美が視線を逸らした。
「いえ、別に……」
「今は我慢しなさい。姫乃を戦死させたら、脱ぎたてショーツどころか、姫乃の女の子の部分を好きなだけ味わわせてあげる」
「私はもう、姫乃の事なんて……何とも思ってません」
 俯きながらそう呟く。だがそれが本心でない事は明らかだった。耶美はまだ姫乃の事が好きなのだろう。姫乃を裏切って、彼女を倒すために桃香に服従しておきながら、なお未だに姫乃の事を愛している。やはり桃香への恭順は演技だったのか? 否、断定するのはまだ早い。耶美のその感情は決して矛盾するものではなかった。誰よりも深く愛しているからこそ、耶美は姫乃の事が誰よりも憎い。そう考えても話の辻褄は合うのだ。
 桃香にとってはただの汚い布きれに過ぎない『姫乃の脱ぎたて使用済みショーツ』も、耶美や男子たちにとっては喉から手が出るほど欲しいお宝アイテムらしい。あんな汚い布きれに目の色を変えて、匂いを嗅ぎながらオナニーするなんて、男とは何と頭の悪い低レベルな生き物なのか。要するに、他人の糞尿の臭いで興奮するようなものではないか。馬鹿馬鹿しい。心の底から軽蔑するとしよう。
 桃香には、彼らの気持ちは一生理解できそうになかった。




 入浴後、自然教室一日目の最後のイベントが開始される。
 夜のイベントと言えばもちろんキャンプファイヤーだが、それは二日目の夜のお楽しみであった。初日に行われるのは『星空観察』だ。全クラスの生徒が広場に集まり、教師の説明の元、都会では見られない満天の星を満喫する。
 琴座のベガ。白鳥座のデネブ。そして鷲座のアルタイルで構成される二等辺三角形『夏の大三角』や、蠍座の赤い星アンタレスなど、夏の夜空には見どころがたくさんある。キャンプファイヤーのような派手さは無くても、星空観察も十分楽しい時間だった。
 しかしそのイベントに参加せず、皆から離れて、近くの林の中で佇む人影があった。今日は月も出ていない新月の夜だ。同じ班のメンバーに、教師の目をごまかしてくれるように頼めば、闇夜に紛れて別行動を取る事くらい、どうという事もない。
 人影は二つだ。
 一つは、明石士郎。
 もう一つは、羽生桃香。
 シチュエーションを考えれば、ある意味では妥当な組み合わせだし、別の意味では異常な組み合わせであった。お互い気になっている幼馴染みの二人が、こっそり抜け出して夜の林で逢引き……であるなら、何ともロマンチックな光景だろう。
 しかし男子女子戦争の最中では、二人は敵同士。桃香は貴重な生存メンバーである。そんな彼女が不用意に二人っきりで士郎と落ち合っているのは、非常に危険な単独行動と言えた。
「まさか来てくれるなんて思わなかったよ」
 僅かな星の光を浴びて、士郎が照れ臭そうに微笑む。
「もし罠だったら取り返しがつかないのにさ。やっぱ、幼馴染みだから信頼してくれたって事なの……」
「勘違いしないで」
 対して桃香は、大木に背を預け、油断なく周囲の状況を監視していた。
「定時連絡が無ければ人を呼ぶように、馬鹿ネズミに言いつけてあるから。罠でも切り抜けられるって計算しただけよ」
 取り付く島もない桃香の口調に、士郎は肩をすくめる。
「それで? 話って何? あたしにとって良い話って事だけど?」
「ああ。単刀直入に言うぜ? お前、スタンガンを持ってきてるだろ?」
 その言葉にも桃香は大して反応を見せなかった。祢々子やみどりを通して情報が漏れている事は承知の上……むしろそれを見越した上で行動しているからだ。どうしてスタンガンの事を知っているのか、尋ねようとさえしない。
「それがどうしたの?」
「俺にスタンガンを渡してくれ」
 まさに有言実行。実に単刀直入な物言いだ。あまりのストレートさに、桃香は一瞬呆気にとられ、それから大声で笑い始めた。
「あっははは、面白い事を言うのね。なんで敵軍のあんたにスタンガンを渡さなきゃいけないわけ? 意味が分からないわ」
 最大の武器であるスタンガンを敵に渡すメリットなどあるはずもない。もし渡す事があるとすれば、それは戦争が女子軍の勝利で集結し、士郎が二度と桃香に逆らわないと確信した後だろう。士郎が奴隷になると誓うのなら、スタンガンを渡してやらない事もない。
「馬鹿ネズミや耶美みたいに、あたしの飼い犬になるなら考えてあげてもいいわ。今すぐ素っ裸になって、土下座して靴でも舐めてもらおうかしら?」
 士郎がそんな事をしないのは、桃香も十分わかっていた。ただの安い挑発だ。しかし彼は乗せられることなく、淡々とマイペースに交渉を進めていく。
「始業式の日の事、覚えてるか?」
 思わぬ切り返しに、桃香は思わず怒鳴ってしまった。
「そんな事、関係ないでしょ!」
 この程度で頭に血が上るとは、自分もまだまだ未熟だ。叫んだ後で桃香は内心舌打ちする。
「あの時、俺はまだ自分の気持ちがよく分かっていなかった」
「シカトしてんじゃないわよ! 関係ないって言ってるでしょ! 今さら昔の事、蒸し返さないでよ!」
「でも男子女子戦争が終盤に入って、ようやく分かってきたよ」
「士郎! 人の話を……」
「俺は、お前が他の男子に辱められるのを見るのは、耐えられない」
 噛みついていた桃香の言葉が、喉の奥で詰まってしまう。何を……言っているのだ、士郎は? これではまるで……。まるで……。
「想像してみたんだ。もしお前が白鷺に負けたら、どんな目に遭うか。きっと裸にされるだけじゃ済まない。身体の隅々まで晒し者にされて、写真や映像に撮られて、たぶん男子全員にセックスも強要される。いやもっと恥ずかしい目に遭わされるかもしれない」
「あたしが……姫乃なんかに負けるわけ……」
「だから俺はお前を守る事にした。白鷺を倒してしまえば、女子軍で生き残ってるのはお前だけだ。裸の写真くらいはどうしても撮らなくちゃいけないけど……それ以上の事はさせない。男子軍の勝利で戦争が終わっても、女子に酷い事をしないように、きちんと戦後処理を進めてみせるさ」
 桃香は生き残る事に精一杯で、戦争が終わった後の事にまではまだ気が回っていなかった。どちらが勝つにせよ、戦争はいつか必ず終わる。戦争が終われば、次は戦後の枠組みを決めていかなければならないのだ。勝った方が、負けた方をどのように支配するのか。戦後の秩序を新しく作り上げていく必要があった。
 女子軍が勝つのなら、そんな事は後で考えればいい話だ。男子を好きなように支配して、奴隷扱いしてやればいい。けれどもし女子軍が負けたりしたら……。五年二組が解散するまで、女子は男子の奴隷にされてしまう。どんな辱めを受けても逆らう事は許されない、絶対服従の性奴隷。想像しただけでもおぞましい学校生活になってしまうだろう。
 ならば今の内から男子軍と裏取引を交わして、女子軍が負けても穏便な統治政策が取られるように……いや、それが無理なら、せめて自分だけでも助けてもらえるように密約を交わしておくのも手だった。他の女子がどんな酷い目に遭っても、自分だけ助かればそれでいい。人間として当然の選択だ。
 当然……。
 当然、か?
「――ち、違う! 違う違う違う!」
 己に言い聞かせるように、桃香は腹の底から雄叫びを上げた。大木から進み出て、士郎に詰め寄っていく。
「何で女子軍が負けるのが前提なのよ! ふざけないで! あたしは負けない! 姫乃にも、馬鹿ゴリラにも、犬飼にも……もちろんあんたにも! 男子軍なんかには絶対負けないわ!」
 桃香は一瞬でも弱気な発想に陥った己を恥じた。
何が戦後の枠組みだ。そんなもの、女子軍が戦争に勝てばいいだけの話だ。女子軍が勝って、男子たちを奴隷にして、二度と女子に逆らえないように徹底的にいたぶり尽くしてやる。男子全員を素っ裸にして女子たちの前で土下座させてやる。下等生物の男子ごときが、女子に勝とうなんて百万年早いと知れ!
「戦死したあんたが出しゃばる話じゃないでしょ! これはあたしと、まだ生き残ってる他の連中との戦いよ! あんたなんかに……」
「関係はある」
 自分でも気づかない内に、桃香はかなり取り乱していた。普段のクールな悪女の片鱗すら見られない。どうしてこんなに狼狽しているのか? 自分でも自分の気持ちがよく分からなくなっていた。
対する士郎は落ち着いている。真っ直ぐに桃香の瞳を見つめ、静かに、ハッキリと、言い放った。
「俺は……桃香の事が、好きだ」
 そのまま彼女を力強く抱きしめる。
「え……」
 何が起きたのか、桃香は全く理解できない。士郎の汗の匂いが鼻腔をくすぐり、がっしりとした腕が背中に絡みついた。
 スキ……?
 誰が?
 誰を?
 士郎が……あたしの事を……好、き?
 静寂が周囲を支配した。桃香の口から飛び出していた叫び声は止まったが、しかし彼女の混乱はさらに拍車がかかって制御不能となっている。心臓の音がうるさいくらいに鳴り響き、火照った顔からは文字通り火が噴き出しそうだ。
 士郎の肩越しに、満天の星が目に飛び込んでくる。
 空一杯に広がった星の瞬き。
 それはどこまでも純粋で、どこまでも透き通っていた。




 だがこの時、桃香は気付いていなかった。
 林の中に佇む人影が、二つではなく三つである事を。
 一つは士郎。一つは自分、つまり桃香。そして三つめは……。
「さて。上手くいくかしら」
 抱き合う二人を、遠目に観察し続ける影。冷徹なまでに落ち着き払った瞳と、抑揚のない口調。
 三つめの人影の主は――、白鷺姫乃。
 あの、優しくて賢い、生存メンバーの少女であった。


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