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『白鷺姫乃』について

2015-06-30

 駄文その12です。
 今回は、約三年十ヵ月に渡る悲願達成記念としまして、白鷺姫乃というキャラクターについて考察してみようと思います。いつにも増して私事的な内容ですので、興味ある方だけお付き合い下さい。
 しかしそれにしても長かったです。第一話を書いた時点で「姫乃を脱がすのは数年先だよな……」と覚悟していたものの、本当にここまで来るのは長かった。今回ちょっと更新に時間がかかりましたが(むしろここ最近の月一回の更新が私にとってハイペース過ぎるのですが)、これは仕事や私生活が忙しかったのはもちろん、劇中での礼門の葛藤を、作者自身も執筆中に体験していたのが一因です。負けてしまっては強いヒロインが強く見えないけれど、負けてくれなければいつまで経ってもエロシーンに入れない……懐かしの駄文その1『凌辱のパラドックス』ですね。ちなみに『亢龍悔いあり』は実在することわざですが、五年生で習うような物なのかは不明です。普通は聖闘士星矢の『廬山亢龍覇』で覚えることわざではないかと……。
 それと今回、姫乃は新品の下着に着替えていたため、またしても汚パンツ描写を入れる事ができませんでした。これは汚パンツを避けているのではなく、むしろ逆です。エロシーンの一ギミックとして流してしまうのではなく、独立したエロシーンに仕立てて徹底的に描写したいと思っているため、今回は涙を呑んでスルーしたのです。姫乃のエロシーンが一息ついたら、自然教室最終イベントが始まりますので、そこでヒロイン五人全員の汚パンツを完全に暴いてやろうと思っております。

 さて、白鷺姫乃に関してですが、彼女を語る上で重要なポイントとして、「姫乃視点で物語が進行しない」点が挙げられます。序盤ではプール開きの話とか、保健室での告白シーンとか、姫乃視点の描写が何回かありました。しかし姫乃は親しみやすいキャラクターというより、神秘的な不可侵の少女にしたかったため、自然と姫乃視点は減少し、現在では意図的に姫乃視点を避けて執筆しています。姫乃視点だと、姫乃が何を考えてどう行動しているのかがつまびらかになってしまい、面白味に欠けるなぁと思うのです。
 以前紹介した『吉祥天女』でも、原作では小夜子のモノローグが何回か登場して、「小夜子の心の声がはっきり描かれるとつまらないな」と思っていました。映画版ではそういう描写が無くて良かったですね。強いヒロインというのは、むしろ感情移入できないくらいに取っつきにくいキャラクターである方が、ミステリアスな魅力が増して夢中になれると思うのですよ。かのシャーロック・ホームズも言っています。「いまのようにあけすけに楽屋をさらけだしたんじゃ、僕の名声とかいうやつも、やがて地に落ちるのほかないね」と。また名探偵コナンでも『A secret makes a woman woman.(女は秘密を着飾って美しくなる)』という格言が登場してました。

 よって白鷺姫乃には、物語の登場人物には必ず存在するプロフィール的な設定が全く存在しません。よく小説執筆のハウツー本だと、キャラクターに奥深さを与えるため、物語に登場しなくても『登場人物の家族構成や趣味、学歴や成育環境などを細かく設定しておくべき』なんて書かれています。プロの作家とかになるといちいちそんなの考えてないかもしれませんが、確かに裏設定というのはキャラクターに厚みを与えてくれると思います。
 しかし白鷺姫乃のようなキャラクターにはむしろ裏設定なんて邪魔なだけだと思うのですよ。姫乃の家族構成とか、どんな家に住んでいるのかとか、食べ物の好みや趣味、さらには幼稚園時代や低学年時代がどんな様子だったとか、そんな設定は一切必要ないのです。白鷺姫乃はただ白鷺姫乃でありさえすればいい。他の何である必要も無いのです。もちろん、読み手の方が色々想像するのは十分アリですけど。
 これは『男子女子戦争』が、演出的なクローズド・サークルの手法を採用している事も一因でしょう。これに関してはまた次回にでも語りたいと思います。

 次のポイントは、言うまでもなく「強い」ヒロインである事です。アメリカの作家レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド探偵、フィリップ・マーロウの有名なセリフに、「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.(強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく気にもなれない)」というものがあります。この言葉を借りるなら、「強くなければ興奮しない、賢くなければ凌辱する気にもなれない」といったところでしょうか。やはり姫乃のようなヒロインは、強く賢くカッコ良く、手の届かない高嶺の花でなければなりません。
 別におバカなヒロインや親しみやすいヒロインが嫌いなわけではないのですが、どうしても興奮の度合いが違ってくるのです。極端な話、ルックスが悪くて知的な少女と、顔は可愛いけど頭空っぽのパッパラパー少女と、どちらに魅力を感じるかと言えば、私は一瞬の躊躇もなく前者だと思っています。知性や教養のある少女は、自然と空気というかオーラに魅力が滲み出していくものですから。逆にその辺のアイドルみたいな、見てくれだけのパープー女になんてクソの価値もないですね。『男子女子戦争』のヒロインは、エロ小説の制約上、全員美少女という事になってますが、個人的にはヒロインはそこまでルックスが良くなくてもいいと思います。

 なぜそこまで強いヒロインにこだわるのかというと、極めて個人的な話になりますが、それは私の理想の女性像が『私の実の姉』であるからでしょう。とはいえ私の姉は私が子供の頃に亡くなっております。というか、亡くなったからこそ理想の女性像に成りえたのです。
 そもそも、幼い頃は誰しも親兄弟に対して純粋な尊敬の念を持っています。それが成長と共に、案外そんなに立派な人物でもないんだなと気付いていき、あるべき家族の関係へと変化していく事ができるのです。
 ところが私の姉は私が五歳くらいの頃に亡くなっているため、このような真っ当な家族への感情変化を経る事ができませんでした。姉が亡くなったのは小学五年生ごろですが、私にとって姉は『五年生の幼い少女』ではなく、『強くて賢くてカッコいい、何でもできる凄い人』なのです。しかも死んだ人間は美化され、欠点も見えなくなるため、より一層この傾向に拍車がかかってしまいます。
 もうお分かりでしょう。私にとって理想の女性像とは、私の記憶の中にある姉のような、『五年生の幼い少女』の姿をした、『強くて賢くてカッコいい、何でもできる凄い人』。そして実の姉であり、故人でもあるため、『手の届かない高嶺の花』なのです。即ちこれは白鷺姫乃以外の何者でもありません。
 私にとって白鷺姫乃は、理想の女性像を具現化した存在であり、亡き姉の姿を投影した分身であり、ある種のトラウマの象徴でもあるのです。何よりも大切なかけがえのない存在とも言えるでしょう。

 その大切な存在である白鷺姫乃を、滅茶苦茶に汚してやろうという、倒錯的などす黒い欲望を成就させるべく執筆しているのが、『男子女子戦争』というわけです。
 私にとって白鷺姫乃が単なるエロ小説のヒロインではないように、『男子女子戦争』もまた、単純にエロ目的のみで執筆されているわけではありません。もちろん、エロも重要な目的なのは間違いないですが。
 私の理想の女性像は亡き姉ですので、故人であります。つまり理想の女性は既に『失われた存在』であり、世の女性全ては(フィクションのヒロインも含めて)私にとっては姉のデッドコピーでしかないのです。
 このような歪な心理状態に対する治療も、『男子女子戦争』執筆の重要な目的の一つであります。動物と触れ合う事で心の傷を癒すのがアニマルセラピーならば、小説を書く事で同じ目的を果たすのは執筆セラピーと言えるかもしれません。駄文その1で「身も蓋もない言い方をすれば、自分一人のために書いているって事ですね」と書きましたが、確かに作者の心理学的治療のために書いている小説ならば、それは「自分一人のために書いている」事に他なりません。

 白鷺姫乃が脱ぐまでに異様に長い時間が必要だったのも、それが理由の一つでした。つまり、まず『強くて賢くてカッコいい、何でもできる凄い人』という理想の女性像としての描写を徹底し、その上で一度彼女を殺す必要があったからです。殺すと言っても実際に命を奪うわけではなく、死に等しい辱めを与えるという意味ですね。奇しくもこの作品では辱めを受ける事を『戦死』と表現しています。小難しい言い方をするなら、タナトス(死)の代替としてエロス(性)という手法を使っているわけです。
 そして徹底的に汚され、どん底にまで堕とされた白鷺姫乃が、再び這い上がり、復活する姿を描きたい。それこそ『男子女子戦争』の目指すゴールです。イエス・キリストの例を見るまでもなく、世界中の神話や宗教に描かれる、『死と再生』に繋がるテーマと言えましょう。

 だからこそ、白鷺姫乃はそう簡単に脱いでもらっては困るのです。作品を公開すれば、「前置きはいいからさっさと姫乃を脱がしてほしい」と思う人も出てくる事は予想されました。しかし私は執筆にあたって『手っ取り早いエロを求める人の事は一切考慮しない』と決めていましたので、番外編で一足先に姫乃を脱がすとか、予告編的に姫乃のエロシーンを先行公開するとか、そういう配慮は全く行わなかったのです。愚直にコツコツと、時間をかけて話を積み重ねていって、ようやくここまで辿り着く事が出来ました。
 公開にあたって、小説投稿サイトなどは利用せず、ブログでひっそりと運営する事にした理由もそれですね。投稿サイトなどを利用する人は、大なり小なり、「色んな人の意見を聞きたい」「読む人に楽しんでもらいたい」という思いで執筆している事でしょう。私にももちろんその気持ちはありますが、頭の中で長年温めてきた話を淡々とアウトプットする手法で、実質的には執筆セラピーが目的であり、ヒロインを脱がすまでに平気で数年もの時間をかける……という種々の要素を鑑みれば、投稿サイトの利用にそぐわない事は容易に想像がつきました。
「自分一人のために小説を書いている人間が、投稿サイトを利用しようなんて、おこがましいとは思わんかね……」と言う本間先生の幻影を見た気がしたので、ブログで公開、コメント機能も使わないという結論に至った次第です。もっとも、拍手のコメント機能はデフォルトのままだったわけですが。今となっては普通にコメント機能を残しておいても良かったかなぁとは思っています。

 よくウェブ公開されている小説の中には、「長期連載するつもりだったけど途中で飽きてきたから、別の作品の連載を始めました。そっちも飽きてきたんでさらに別の作品も書き始めました。結局全部飽きたんで未完のまま終わります」みたいなのもありますが、『男子女子戦争』に関してはそいういう心配はご無用です。自分の描きたいエロシチュエーションは全てこの作品で表現できますし、表現できないエロシチュエーションならばそれほど強いこだわりも無いので、他の人の書いてくれる小説で十二分に満足する事が出来るからです。他のエロ小説を書きたいとは思いませんし、飽きて更新停止も無いでしょう。病気や事故で作者急逝とか、仕事や私生活が忙しくてどうしても時間が取れないとか、そういう状況は起こりうるでしょうが……どうか私が死ぬまでには完結させたいと思っています。

 というか改めて今回の駄文を読んでみて、つくづく自分でもビョーキ(昭和的表現)だなぁとは思いましたね。これくらい精神を病んでいないと、一人のヒロインを脱がすのに三年十ヵ月もかかる小説を思いつく……まして実際に執筆するなんて馬鹿げた行動はとれないのかもしれません。
 一応、ヒロインの責め方はパターンを変えるつもりでして、過去のメインヒロインでは耶美が羞恥もの、桃香が凌辱ものをイメージしていました。姫乃の責め方はというと、ずばり調教ものですね。裸にしたり凌辱したりするのももちろんメインですが、その後の屈服に至るまでの過程を最も重視するパターンです。
 普通、調教ものといえば「肉体的な苦痛または快感を与え続けて服従させる」展開になるのがほとんどですけど、それだけじゃあまりにもつまらないので、もっと精神的な責め方を重視していきたいところです。気高い姫乃がどこまで堕ちるのか。最低でも精神崩壊寸前くらいまでは追い詰めたいですね。

「どんなヒロインだって、脱ぐ時が来れば自然に脱ぐ。……姫乃だけが理に反して無理に生き延びさせようとする。……どっちが正しいのだろうね」
「それでも私は小説を書くんだっ。自分が生きるために!!」

 というわけで、姫乃がとうとう脱いだ事で、一つの時代が終わりました。次回からはまた新たなる時代が始まる事でしょう。完結は当分先になりそうですので、これからもボチボチお付き合い下さい。
 
 
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